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数億円を動かす投資家を育てた昭和の風景【結局、心が運を呼ぶ(1)】

<1>『結局、心が運を呼ぶ』

運がいい人、悪い人。あなたはどちらでしょうか? 「運」とは一般的に、その人の意思や努力ではどうにもならない巡り合わせのことを指します。出身地や幼少期の家庭環境、持って生まれた心身の特性など、自分の力で変えられないことは多々あります。

しかし、たとえ困難な境遇にあっても「あの人は運がいい」と言われる人がいます。彼らは普段から良運を呼び込むような行動をしているのです。私がそう確信したのは、渡邉健司さんのお話を伺ってから…。

渡邉さんは38歳の頃から株を始め、現在は配当金で生計を立てるプロの個人投資家です。新薬の開発をするバイオベンチャーへの投資によって資産を大幅に増やし、2015年には群馬県・草津のリゾートマンションを購入。自然豊かな温泉地で過ごすことで、長年悩まされていた喘息の症状も改善したそうです。

昨今、十分な貯蓄を作り上げた後に早期退職する「FIRE」というライフスタイルに注目する若者が世界中で増えているそうですが、渡邉さんの生き方はまさに彼らの憧れと言えるでしょう。

博打好きだった祖母の血を引いてか、若い頃は麻雀やパチンコに熱中。バンド活動を機に大阪から上京した経験を持つ音楽好き。学歴は少々珍しく、中学卒業後は陸上自衛隊少年工科学校で寮生活を始めるも喘息の悪化のため断念。バイトをしながら夜間高校に通います。

そんな苦労についても、渡邉さんは明るく語ります。

「良い大学へ行った友人は、時にプライドが邪魔しているように見えることがあります。自分は学歴がないことがむしろ強みですね」

このように、ポジティブな考え方が自然と身についている人なのです。

また人生の転機になるような場面では必ずと言っていいほど気さくな友人が登場し、渡邉さんをアシストします。ご自身も「自分は弟タイプ」と言っていますが、自然と良い仲間を引き寄せる才能の持ち主でもあります。それも全て、渡邉さんの真っ直ぐな「心」が運を呼び込んでいる。そう思えてならないのです。

<2>『坊主頭とオカッパ頭が走り回る昭和の風景』

人間はみな、誰かに支えられて大きくなります。たった一人の力で誕生し、成長した人はいないのです。
また大人になってからも多くの人に支えられて生きていて、これからも困ったときは誰かに頼っていい。渡邉さんの幼少時代のお話を聞くことで、つい忘れがちな、しかし生きる上で大切なことを再確認できます。

渡邉さんは1964年(昭和39年)3月22日生まれで、お笑い芸人のダウンタウンと同学年。

「近所に住むYちゃんの大きなお宅で仲良く遊んでいた記憶がすごくありますね。広い庭で赤い花の蜜を吸ったり。ニワトリも10羽くらい飼っていて、餌をあげたり。」

そんなYちゃんはオカッパ頭だったとか。渡邉さんのエピソードからは、坊主頭とオカッパ頭の少年少女が自由に走り回る昭和の風景が見えてきます。

好奇心旺盛な子供だったそうで、それが禍となり命にかかわる事件が起こります。ご自身の最も古い記憶で、東大阪に暮らしていた4歳の頃の出来事です。

「当時は文化住宅に住んでいたんです。当時は『文化包丁』だとか、やたらと『文化』がつく時代だったんですけど(笑)。

住んでいた近くに池があって、1人で塀を乗り越えて遊んでいたら手が滑って池に落ちてしまったんです。すぐに気付いたおばちゃんが騒いでくれて、たまたま近くで電気工事をしている方がいらっしゃって助けてもらったんですね。

気を失っていて、その後目が覚めたのが救急車の中。やんちゃな子供だったというか、好奇心があったのでしょうね。塀に登るだとか、子供はみんな好きですよね。」

文化住宅とは、関西地方で主に昭和の高度成長期に建設された集合住宅のこと。当時はお風呂がなく、トイレは共同だったか定かでないような小さなご自宅だったそう。
幸運にも、このにぎやかな住環境のおかげで一命を取りとめました。

特に子供の水難事故は恐ろしく、「子供は静かに溺れる」と言われています。呼吸をするのに必死で、実際には映画のシーンのように声を出したりバシャバシャと暴れて助けを求められないものだそうです。
そんな中でもすぐに気付いた近所のおばちゃんは、家事に追われながらもきちんと近所の子供の様子に目を配らせていたのかもしれません。

「あと文化住宅の向かいにアパートがあるんですけど、そこにいつも良くしてくれるお姉さんが住んでいました。看護師さんをしていて、子供好きな人だったんで僕のことを「ケンちゃん」と呼んで、頭をなでてくれたり。

遊びから帰ってくると鍵がかかっていることがたまにあったんですが、4歳なのでまだ鍵を持たされていなかったんです。それでドアに背をもたれて待っていたら、通りかかった看護師のお姉さんが「お母さんが帰るまでうちで待つ?」と言ってアパートの部屋に上げてくれました。確かオレンジジュースを飲んだかな。

大学生の妹さんと2人で住んでいたらしくて、すごく部屋が片付いていて。ガラス戸棚に綺麗なコップが並んでいて、お人形もいっぱい飾ってありました。

そのときお姉さんが掃除機を使って掃除を始めたんですけど、うちにはまだ掃除機がなかったのでワクワクしながら見ていて、触らせてもらったりして。(掃除機を持っていたのは)多分お姉さんが早かったんだと思いますよね、若い人だったので。流行物っていうか、綺麗好きだったからかもしれないですね。

例えば冷蔵庫は多分その時家になかったんですよ。白黒テレビだったし、洗濯機も脱水でハンドルをグルグルと回すようなタイプでした。でも5歳になって引っ越してからカラーテレビも冷蔵庫も全て揃っていましたね。

そうこうするうちに母親が帰ってきたので、最後は玄関まで送ってもらいました。小さなお人形もくれたりして、すごく優しかった。だから僕、看護師さんはとても優しいんだなと良いイメージをずっと持っていますね。」

近所の子供を部屋に招いたり、また親もそれを当たり前のように容認できたのは互いの信頼関係があってこそ。普段からご近所さん同士での丁寧な交流があったことがよく分かる、当時らしいエピソードに心が温まります。

「友達のHちゃんのお母さんにも可愛がってもらいましたね。私は一つ年上の兄がいるので、性格も次男タイプだったからでしょうかねぇ。

まぁ、昭和なのでみんな優しい、社会的に優しい時代だったんだと思うんです。看護師のお姉さんにしても、Hちゃんのお母さんにしても、そういった優しさが特に記憶に残っています。」

これらの逸話から、令和に生きる私たちが学ぶことはたくさんあります。

渡邉さんが幼年期を過ごした1960年代という時代、そして東大阪の文化住宅。ここには「子供はみんなのもの」という考え方が自然とあったように感じます。「他人の子供だから関係ない」のではなく、みんなが世界中の子供だという意識です。

子育ては社会全体で行うべきだと日々感じます。走り回る子供を見かけたとき、その親や子どもを批判する前にまずその場にいる大人全員で見守るような、それが当たり前であるような、思いやりのある世の中であってほしいと思うのです。

今後弱ったときや年老いたときに必ず誰かに支えてもらうこととなるでしょう。大人も子供も、みんな支え合って生きているのだと、渡邉さんのエピソードが改めて気づかせてくれます。

<3>『Oくんは、選挙違反してるからなぁ』

「渡邉、日曜日うちに来えへん?」

「え、行く行く!」

小学三年生のある日。渡邉少年は、たまに遊ぶ程度の仲である友人のOくんから突然自宅に招待されたのでした。
Oくんの家はいわゆる大金持ち。部屋には立派なオーディオセットがありました。

「どのレコード聴く? たくさんあるけど」

「あ、これがいい!」

選んだのは、1972年にリリースされた「ハチのムサシは死んだのさ」。平田隆夫とセルスターズによる当時の大ヒット曲です。キャッチーな歌詞とメロディ、振り付け。また主人公にハチが登場することで童謡のような趣もあり、子供たちに大人気だったそうです。

「うわー、えぇなぁ!」

高音質のオーディオで聴くことでその魅力は倍増。豊かで迫力ある音色に、渡邉少年は夢中になりました。

「渡邉くん、よく来たわね。よかったら召し上がれ。」

そこへ、Oくんのお母さんがお菓子を持って部屋に入ってきました。それもいつも食べているおせんべいとは様子が違う、高級そうなお菓子たち。繊細なティーカップに淹れられた紅茶からは湯気が立ちのぼり、上質で華やかな香りが部屋中に漂います。

まだ低学年でしたから、紅茶を飲むのだってこれが初めて。味わったことのない高貴な苦味を体験し、好奇心旺盛な渡邉少年の胸は大きく高鳴ります。まるでイギリスの王子さまにでもなったかのよう!

その時、Oくんのお母さんがかけていたいわゆる「ざます眼鏡」とも呼ばれるフォックスフレームの眼鏡がキラリと光ったのを、夢見心地だった渡邉少年は気がつきませんでした。

そして、こんな依頼を受けたのです。

「渡邉くん、今度の学級委員選挙ね、うちの子に投票してほしいの」

高音質オーディオ、高級菓子や紅茶にすっかり心奪われていた渡邉少年に迷いはありません。「わかりました!」と二つ返事。
そして帰り道、「ハチのムサシは死んだのさ♪」の軽快なメロディーで頭の中はいっぱいになっていました。

***

しばらくして、学級委員選挙の投票日。渡邉少年も投票を済ませて机に戻り、やがて投票結果が黒板に正の字で記されていくのをぼんやりと眺めていました。

そこでようやく気がついたのです。

「あっ、やばい! Aくんに投票してもうた!」

あの日の約束をすっかり忘れ、日頃から信頼していたクラスメイトのAくんに投票してしまったのでした。

しかし時すでに遅し…。開票が進むにつれて、AくんとOくんで競っているようでした。

あれ? 不思議だな。Oくんは普段、学級委員に選ばれるような子ではないのに、どうしてこんなにも票が伸びているのでしょう。

「これは、自分以外にも買収されてる奴がおるっちゅうことか…」

贈収賄がクラスに蔓延していると気付きました。

最終結果、AくんとOくんがどちらも14票で並びました。どうするべきかと皆が悩んでいたとき、

「…Oは、選挙違反してるからなぁ」

Kくんという子が大暴露。実はKくんもOくんの自宅に招かれ、投票するよう依頼されたのですがその場で断ったのだとか。
正義感あるKくんの告発を受け、担任の先生による調査が入ります。

「Oくんに頼まれて票を入れた人、立ちなさい。」

さて、どうしよう。実際には票を入れてないもんなぁ。でもここで立たないと、「俺に投票しなかったんか?」と投票しなかったことがOくんにバレてしまうかも。
そうしたらOくんを庇うために立たなかったということにすればいいのか? 一体どうすれば??

パニックに陥った渡邉少年ですが、深く考えている時間はありません。

投票の依頼は受けていたので、結局立つことにしました。見渡すと、自分を入れて計8人が起立していました。思った以上に女子が多かったことも判明。高級菓子や紅茶を目の前にして、彼女たちもマリー・アントワネット気分を楽しんだのでしょう。

それから再投票が行われ、Oくんは落選。学級委員長はAくんに決まりました。

「残念だったねぇ」

Oくんにそう声をかけた渡邉少年でしたが、彼は懲りておらず「バレちまったか」みたいな様子だったのだとか。屈しない、へこたれない精神を生かして立派な大人になっていることでしょう。

また、クラスメイトたちもOくんに対して「あはは、やっちゃったなぁ」と寛容で、いじわるすることもなく、いじめも一切起こらなかったそうです。

そんな大らかな子供たちの集まる素敵な小学校から、渡邉少年は翌年度の4年生の時に転校をします。それまで越境通学という形で時間をかけて登下校していたのですが、今度は学区内の小学校に通うことになります。

<つづく>

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