【将棋】アマ指導者にしかできないこと

毎週金曜日はT君という中学生と駒を落として対局をすることが多い。実家の将棋教室は昼から夕方がメインの時間帯なのだが、T君は部活や勉強が忙しいのでメインの時間帯に来れない。それでも将棋を学びたいとのことで金曜日午後の「大人の将棋教室」に春先から志願してやってきてくれている。

T君はまじめに手筋を学び、定跡を覚え、詰将棋をこなしていた。それでも春先は父の「4枚落とし」ても相手にならなかった。父に受け切られ、妹に翻弄される姿を見て「これは通うのをやめてしまうのではないか?」と心配した私が「相手が手を抜いてない状態での勝利」を味わってもらおうと6枚落として指したが、それでも私が勝ってしまった。その他リレー将棋やキューピー将棋で彼のモチベーションを保とうと私なりに努力したが、ほどなくその手の変則将棋はやらなくなってしまった。まあ「本将棋が一番面白いから」なんだが。

T君は一見簡単な局面でも長考する。一見寡黙で表情に乏しいので最初は分かりにくかったが「適当に流す」ことをしない妥協しない子なのだと理解してからは話が早かった。彼のほめるポイントが見つかったのだ。

出る結果だけを見れば彼は「長考した挙句に負け」ている。だが、それだけ深く考えられるということは「読みが浅い」のではない。「読みは深いが手順を前後しているだけ」ということだ。実際彼の指し手は彼の理論に沿ったものであり、出す順序やタイミングが間違っているだけである。最近の子は「早見え早指し」が強さだとする子が圧倒的に多い。その意味でも彼のような「粘り強く考え続ける力」は貴重なものだ。

駒落ちの上手の定跡を知っている父母と違って、私は感覚で指す。相手の棋力を推し量る。最善手よりも相手の間違いを誘う手を好む。T君が駒落ちの下手を定跡として単に表面理解をしている間は、私のかく乱に良いように翻弄されていた。

昨日は私の「2枚落とし」だった。困難な終盤、「T君なら飛車を逃げるだろうからその間に仕切り直しだ」と考えて飛車を追う手を放ったが、T君は無視して黙って詰めろの銀を打ち付けた。当てが外れた私はそこから一転して受けに回ったが、T君は終始間違えず9手詰めで仕留められてしまった。私の4枚落ち相手に3か月もかかったT君にまさか2枚落ちを挑戦一回目で突破されるとは思わなかった。伸びだしてからの成長が著しい。

「長考できるってことは、それだけ候補の手がたくさん見えているってことだよね?」
「君は弱くない。出す順序を間違えてるだけだ。そこさえ間違えなければT君は十分強い。」
「一つ一つの手を点で見るんじゃなくて、線としてみた時にどの順序が一番効率的なのかを考えてみて。」

ほめ、励まし続けていたわけだがこうもあっさり負けてしまうと威厳も何もないなぁ(笑)。まあ、「本気の大人が負けてあげられること」はでたらめに強いプロの指導者には絶対にできない、われわれアマチュアの指導者だけの特権である。子供にも絶対に「こちらが手抜きをしていない、本気で相手をしていること」が伝わると思っている。

「強さ」とは「自分の弱さと向き合えること」なのでしょう。現時点の「強さ」も重要ですが、生まれた途端世界最強だった範馬勇次郎(w)みたいな存在でもない限り、どこかで自分より強い相手にぶつかり、負けるわけで。

現時点の「強さ」はあくまでも、最初に躓くステップまでの高さでしかないように思います。
「疾風に勁草を知る」というやつで、敗北や失敗に向かい合った時こそ、その人物の真価が問われるわけですな。

CIA(内部監査人)や行政書士資格から「ルールについて」、将棋の趣味から「格上との戦い方」に特化して思考を掘り下げている人間です。