我流理論ACF 2010年版

我流理論のACFで人生経験の貯蓄がたまったのでバージョンアップをば。既に知っている人には目新しさは少ないでしょうけれど語り口を変えて少し書いてみます。

●序論「ACF理論とは?」
著者ハナーがさまざまな戦記物(史実、仮想問わず)、マーケティング、監査、ゲーム類そして将棋などの体験から勝手に成り立つと思っている「おもに2つの敵対勢力が争う場合」のジャンケン的駆け引き理論。孔明もハンニバルもヤン・ウェンリーも語れる「つもり」の理論。(「自己完結理論」は自分が思い、人に語るまでは許容される。信じる、信じないは聞いた人が決めること。それを言動として押しつけるのはイカンという話ですな)

オモテ理論
A(アサルトやアタック)
無駄●ACFの無い合理的な攻撃ゆえ、不合理の多いFに直撃する。

C(カウンター)
慎重に相手の動きを読み、見定めるのでAに消耗を強いる。

F(フェイクやフェイント)
動きが読まれにくいため、Cを翻弄できる。

●ACFウラ理論
A(アサルトやアタック)
突撃や攻撃のこと。直線的ゆえCに読まれやすく、相性が悪い。

C(カウンター)
反撃のこと。受動的で相手の動きにつられやすいのでFに翻弄されやすい。

F(フェイントやフェイク)
虚撃のこと。無駄な動きが多いため、シンプルなAを受けると瓦解する。

●具体的なACFのイメージ
A=騎馬隊などの突撃、正攻法。直線的で狙った箇所を速やかに粉砕する。攻撃的で直接的な選択。 我が家の棋風でいえば母。

C=ファランクス歩兵による槍ブスマ。攻勢防御。多し穴や伏兵。相手の動きを先読みして備える。受動的で安全、堅実な策。 我が家の棋風でいえば父。

F=陽動やおとり作戦。空城計。ハッタリ。実体なき素振り。曲線的でこちらの動きをみる相手を幻惑。唯一「実ダメージ」ではなく相手のペースを乱すのが目的のもの。野心的で自由気ままな策。 我が家の棋風でいえば私。

これらに格上との戦い方や領域論、表裏の考え方、「主攻・要・助攻」を絡めて考える。射程や機動などの「間合い」の考え方も絡み合ってくる。

領域論で言えば、勝敗のカギは自分ので出来不出来ではなく、相手の出来不出来である。自分の力が最大で10、相手の力が50の場合。自分が10を出したところで相手に11以上を出されれば負ける。まずは相手を10以下に落とすのが絶対の条件だ。

「奇跡を目撃するためには事故を起こす確率を上げることだ」

事故と言うと悪いイメージがあるが、確率が低い状況では必ずしも悪いことではない。また、低確率を乗り越えて奇跡を拝むには事故すら自分のメリットとして活用するくらいのふてぶてしさが必要だ。

格下が格上に勝利するには、相手にいかに実力を出させないかが重要となる。幻惑やかく乱の比率を増やし、相手のペースを乱す。「無と見せて有」「有と見せて無」「相手の認識外で動く」「相手にワザと認識させる」などなど。つまりFの比率を増やす必要がある。(・・・もっともよいのは格上相手には戦わない事なのだが、ここでは戦わざるを得ない場合を想定している)

さて、ここからが本題。Fは虚撃というだけあって、他のAやCと比較して「決定打」にはならない。直接打撃効果がほぼ皆無だ。裏を返せば実ダメージを与えられない以上、相手のペースや体勢を乱すことしかできないとも言える。

フェイントで「相手の体勢を崩すこと」はできても「相手が滑って転んで頭を打ってくれる」事はほとんどない。勝利を決定づけるにはAもしくはCによる実撃が欠かせない。(そして、ここで良く逆転されるのが私の将棋だったりする)

FというのはAやCに比べると「他の理論からの転用」が容易である。F自体にそもそも諜報戦の要素が含まれているのが大きいのだ。相手の認識範囲を意識しながら仕掛けなければ、あっさりとAによって打ち破られる危険性がある。相手がAを選択する瞬間に注意しつつ、その場合の反撃を仕込んでおく必要がある。

相手を崩すためには「誘いの隙」が必要になってくる。自分の弱みや弱点すらも利用する「したたかさ」が必要だ。勝負事において相手が弱点を狙ってくるのはむしろ当然のこと。そこに策を準備できないのなら逃げたほうがいい。むしろ、相手に弱点をリークするタイミングを持って、相手が仕掛けてきてからの展開にあらかじめ備えておくことで局面をリードするべきだ。

これを繰り返すと実際に本当に実力不足で隙をさらしていても、相手が疑心暗鬼から攻めてこないという効果も付随してくる。

最近重視しているのは「実効のある虚撃」だ。本格的な攻撃に比べ明確な目標を持たない威力偵察や速攻、奇襲である。一手得する。一歩得する。ちょっとだけ形を押し込めるなど。わずかでも先行することで相手のペースを乱し焦りを誘う。この場合奪ってくるポイントは手段であって目的ではない(これがAによる攻撃との最大の違いである)。新の目的は相手のペースを乱すこと。

・・・もっとも、ずっとこの手口なので最近は父母も全く焦ってくれなくなった。一工夫も二工夫も必要だ。

格上の立場からみるなら、局面の単純化を行えば勝てる。つまり、直線的で分かりやすいAを選択すればよい。わかっていても防げないクラスの攻撃であれば何の問題もないのだが、それでは「駆け引き」の意味がない。今回事例としては「駆け引きの余地がある程度の力量差=私と父母の棋力差」位を前提とする(この事例でもかなり厳しい力量差はあるのだが)。攻撃のタイミングを読まれると格下のCで粘られる可能性がある(もっぱら、母の攻撃に対して私が粘るのはこのパターンだ)。つまり、格下のCを外すべくFを用いて幻惑し、格下を翻弄したうえで本命のAをたたき込めばよい。

格下の立場からすればFで格上を翻弄し、ペースを乱したところでAやCを合わせるのがパターンだった。

格上でも格下でも決定打ではないもののFが絡むのが面白いところである。古来から諜報活動が重要とされるのはかく乱か本命化の見極めがそれだけ重要だという証左だからなのだろう。相手の行動が変わる瞬間という「境目」「節目」に注意するのは大切なことだ。

とはいえ、ずっと全部に警戒するのは不可能だ。普段はポイントだけ抑え、最低限の定点観測にとどめる。いかに手を抜けるかが肝心なところだ。

スポーツや戦争で瞬時の切り替えなんてのは言うほど簡単ではない。試合の流れというものがあり、目の前に迫った相手の脅威があり、それまで固定化していた思考を切り替えるにはそれなりの時間が必要な場合が多い。時間的猶予があるはずの将棋でも駒の勢いというものがある。だから、受動的に待つだけではなく、積極的に「戦機」「潮目」というものを作り出す動きであるFは重要なのだ。

実撃であるAやCはいわば相手に直接作用しなければならない分、こちらにも相応の覚悟がいる。反面、Fの虚撃は相手に作用しないので、相手の動きにさえ注意すれば自前で作り出せるのが最大の長所である。

経営学にSWOT分析というのがある。強み、弱み、機会、脅威の頭文字だ。4つの着眼点で考えるとACFGということになる。自分の強みに着眼してつっこんでいくのがA。自分の弱みに着眼して防御を固めるのがC。機会(相手の弱み)にはたらきかけていくのがF。脅威(相手の強み)に備えてがっちりと守備を固めるのが新しい概念のG(ガード)である。GはCに似て非なるものであり、ACFすべての選択肢に対して微差の不利という特徴がある。とはいえ、単に時間稼ぎに意味がある場合は非常に有力な選択肢だ。自分の将棋戦術が最近、単なるFではないことに気づき、考えた結果行き着いた概念がこのGになる。

四六時中Fをし続けるのは難しい。ネタがない時にはGで固めて、まずはアイデアを生む時間稼ぎをする。過去の私の記事を見てもらえば分かるが父や母や長兄に攻め込まれて粘りつつもジリジリと損害を見切って、防衛線を下げながら引き直す記述があるが、あれはCというよりがGだったらしい。

ACFは所詮理論というか仮説に過ぎない。正直な話、「初段の私」と「4段の母」「5段の父」には全敗でおかしくないだけの棋力差がある。理論を用いることでそこそこ戦えていること、しかも勝率が上がりつつあることが相応にこの仮説が当たっているという証明になると考えている。体系化して他人に伝えるには甚だ難しいところがあるのは事実だが、一応妹に伝授しようとしている最中だ。

CIA(内部監査人)や行政書士資格から「ルールについて」、将棋の趣味から「格上との戦い方」に特化して思考を掘り下げている人間です。