(TRPG)お地蔵さんを動かすには!

【ジョロジョロ序論】

世の中に情報収集や情報分析の書籍は数多ある。古代中国の孫子先輩も情報の大切さを説いている。だが、「情報の出し方」の書籍はきわめて少ないことに気づいた。

5W1hとかホウレンソウとか「論理的に前提と結論を持って伝える」ってのは情報の「伝え方」であって「出し方」ではない。戦術と戦略の違いとでも言えばよいのか。

「大事なことを伝え忘れないようチェックリストにつける」「順序立てて短い文章で丁寧に話す」「箇条書き」「図表を使うとわかりやすい」等々も全部「戦法」の話であって、戦略的な話ではあるまい。

ずっと考えて脳内で転がしていたことが、さきほど唐突に天啓を得て突然まとまったので(笑)記してみる。単純にはゲームマスターがシナリオ情報をプレイヤーに伝える場合が最も役に立つと思う。うまく使えば会社での業務報告とかにも転用できるのかもしんない。

【本論】
ある情報が得られた時に、その意味を考え、次の行動を決める。これが基本だ。情報収集自体は一つの有力な手段に過ぎないということである。その情報をどう活用するかに意味がある(なお、知識も情報の一種である)。情報を得ることが目的化しているのではまだまだだし、情報を得ても自分の行動に反映させないのでは意味がきわめて薄いということだ。

様々なコンベんションでゲームマスターをして色々なプレイヤーにあたり、考えることがある。「どうすればプレイヤーを楽しませられるか」だ。人の好みは十人十色、千差万別。バトルスキーもいればロール好きもいる。同じバトルスキーでもきついバトルを喜ぶ者もいれば、大量の雑魚をなぎ倒す演出に酔いたい方もいる。

内部監査という因果な稼業になったあたりから、上記とは別の要素として「そのプレイヤーの情報消化能力」というのに注視している(世間一般では「情報収集能力」と言われているが、個人的にはどうやら単なる収集能力ではないようだという結論に達した)。

マスターとしてはプレイヤーの力量に応じて出す情報のレベル感を変える必要があるというわけだ。上級者にはギリギリのところでとけるレベルの必要最小限の情報しか与えない(必要最小限の情報がなければ彼らとてどうしようもない。不可知のことには神ですら対処できない)。反対に初心者にはこれでもかと親切なくらいに実際の行動まで誘導する。中級者には上級者よりは結論が得られる情報を出す。初級者には事実情報から類推される可能性を示唆して思考を誘導する。

基本は上級者向けの情報をだし、プレイヤーの反応を見て徐々に情報の出し方を緩めるのが良い。ここで単に「情報量」を増やすと初心者は情報の洪水で溺れてしまうので勘違いしないように。出す情報の内容はかわらない。伝え方を変えるのである。・・・むしろ、上級者とみればかく乱を狙って大量の情報を出すという手法を取る。上級者は情報処理能力にもたけているからですな。

上級者には情報から類推する力があるので、それを楽しんでもらうためには不要なことをしゃべり過ぎないほうが良い。彼らは話を進める上では非常に頼もしいが、油断のならない強敵でもある(笑)。こちらとしては無関係のダミー情報を出したり、時系列のゆがみで対抗したりするが、むろん最終的にはぎりぎりで解いていただきたいものである。逆に初心者は煮詰まって進まない可能性があるのでそれをケアする。

理屈よりもまずは具体事例を示してみよう。

たとえば数日前にある地域一帯に地震があったとする。プレイヤーたちがその地帯にある街にやってきたところ、町は壊乱状態にあり、いたるところで人が倒れているという状況。

上級者なら必要最低限の情報
「街の至る所で扉や窓が壊れている。いたるところに人間が倒れている」

中級者にはプラスして結論が得られるレベルまで
「建物の外壁はほとんど損傷していない。倒れているのは男性ばかりだ。」

初級者にはプラスして類推される可能性の示唆
「これはもしかしたら地震の被害ではないかもしれないと思った。男性たちは建物の死体気になっているわけではないし、手に手に武器になるものを持っている」

初心者にはプラスして行動の示唆まで
「このままでは何もわからない。とりあえず生存者を探してみてはどうだろう?」

という具合である。出している情報の内容はほぼ不変。「実は町が地震以外の何かで被害を受けている」ということ。この違和感に気付いてくれるかどうかである。

自分で何かをしようという欲求が薄い場合など、お地蔵さんと化す。情報や知識を得ても特に何かをしようとはしない。ゆえに、情報や知識だけでなく、そこから導き出される意味や、実際の行動提案までしなければお地蔵さんは動いてくれない。

一方、情報分析に慣れている人ほど、得た情報が自分にとってどのような意味があるのかを考え、活用しようとする。必然的にそのままでは使えない情報であれば補足や追加の調査確認を行うものである。

情報の違和感や矛盾点に気付き、裏を取り始める瞬間が「量的情報収集」から「質的情報収集」に切り替わる瞬間である。

情報収集にたけたプレイヤー(キャラクターではない)はわずかな事実情報を渡すだけで自発的に話を進めてくれるのでありがたい反面、油断ならない(笑)。詳細な説明をせずに済む分、より多くの違う内容の情報を出すことで、複雑な話を楽しんでもらうことができる。情報処理能力というか、情報を消化する能力が高いわけだ。こちらとしては、情報の時系列操作やダミー、誤誘導の情報を出すなどして「敵としては本気」で勝負できるわけだが、「マスターとしてはギリギリで勝利してほしい」という線に落ち着く。

いくら上級プレイヤーでも最低限必要なキーとなる事実情報がなければどうしようもない(不可知への対応)。事実情報という前提がなければ、論理的な仮説を構築できないのは当然のことだ。

情報を出した相手が、「キー情報」をどれくらい消化したのか?を確認しながら話を進める必要がある。中には「わかった」と返事をしながら、それが単なる「鳴き声」であり、実はうわの空でまるでわかっていないという猛者もいるので注意が必要だ。(…なんとなく謝りたい気分になった。ごめんなさい)

相手が初心者であればあるほど事実情報にオンする形で仮説や行動案を提示しなければならない。ゆえに初心者に無用に多くの情報を出せばよいというわけではない。消化しきれず却って混乱するのがオチである。だから初心者相手にはシンプルな構造の話しか提示してならないわけだ。

彼らには親鳥がとってきた餌をいきなり目の前においてもダメなんである。消化しやすいように噛み砕いたり(思考誘導)、それを口の中に運んでやるなど(行動誘導)する必要があるわけだ。

幼児向きの絵本は好例かもしれない。絵画など、想像を広げる情報はあるが、解釈が必要なもい情報は必要最小限となっている。一方、大人向けの純文学などは活字情報が多く、読み手により多くの消化能力を要求する。

「前提知識」がないのに「分析」はできない。「解決意識」がなければ「分析」は行われない。「前提知識」「解決意識」の2つが分析には必要だ。

単一事象を注意深く調べるのは単なる「観察」に過ぎない。「分析」をして「推論」「仮説」までたどり着くためには前提として「基準」や「尺度」が必要になる。

たとえば内部監査であれば既存のルールや基準に加えて、相応のビジネス経験という前提が必要だ。ルールや基準を守っているかどうかを見ていくだけでは監査にならない。ゆえに監査は一般に経験豊富な「ベテランの仕事」とされている。私のような30代は監査業界中では「最も若く青い部類」になる。<だからこそ色々考え、工夫せねばならず、それが楽しい。また、最近はありがたいことに外部から評価を受けることができた>

科学者が未知の物質を調べる時でも、それまでに身につけた物質の知識との比較検証で探りを入れていく。

前編の事例でいえば、「地震による被害なら普通はこうなるはずだ」と知識と意識を持って居ればこそ、違和感に気付き、その次の確認の行動につながっていくわけだ。お地蔵さんや初心者には意識あるいは知識の片方、もしくは両方が欠けている場合が多い。そこを補うように情報を渡す必要があるわけだ。

四角四面に情報を出す状況や条件、場所や人物にこだわる方もいる。彼らの言い分は「プレイヤーの力量や行動に応じて情報を出す状況や条件、場所や人物を変更するのはご都合主義ではないか。プレイヤーの行動による差異がなくなるのであればマスターが解決しているのと変わらないし、何よりもプレイヤーをバカにしている」というものである。「一度、ヒントは出した。気づかなかったプレイヤーが悪い」というわけだ。

そのこだわりでキー情報が伝わらず、参加者が楽しめないのであれば本末転倒だと思うんだが。(作戦失敗でも楽しめるセッションならば何の問題もない、名古屋でのキャンペーンは「負け戦」の頻度が非常に高い。最初からプレイヤー陣営は最大限の努力をもってしても勝ち目が薄いことが多かった。「だが、それがいい」と負け戦を楽しめるメンバーであれば、シナリオ内での勝ち負けは重要ではない。だが、参加したプレイヤーがリアルに楽しめないのはいただけないと思う)。

人の考えや価値観は人それぞれだ。だが、このマスターのもとで情報不足から実際にセッションが失敗に終わったとして、次回以降私はこのマスターのシナリオに参加したいとは思わない。このマスターが自分の考えにこだわるのは彼の自由。私がこのマスターのシナリオに参加しないというのは私の自由だ。

裏手事情をいうなら、マスターがどこでどのように情報を出す心算だったのかなんてーことはマスターにはわかっても、プレイヤーには不可知のことである。そんなマスターにしかわからない部分にこだわって、キー情報を渡さず、プレイヤーを楽しませられないのでは無意味だと思うんだが。

むしろ、プレイヤーが不可知であるゆえにキー情報はなんとしても渡す必要があるのだ。私にすれば「気づかせたうえでプレイヤーが愚かならば容赦しない」が、気付いてもいないことで失敗にされるのはたまったものじゃないと思う。いきなり一撃で倒されて「いやあ、ヒントは出してたんだけどね。君らと別のところで敵が合流して、一撃必殺の攻撃をしてきたんだよ」という状況を楽しめる人物は少なかろう。

ゆえに「簡単に解かれたくない」という思いで情報を出し惜しむマスター、「いつでも後出しジャンケンの余地を残す」ために事実情報を出さないマスターには非常に苦労する。推測の楽しみ以外を見出す必要があるのだろう。「キャラ受け狙い」とかね。マスターとプレイヤーはもともと立場がフェアではないのだから、そこで下手に絞られても仕方がない。段階的にでもよいので事実情報を出すほうが両者にとって幸せなことだと思われる。

毎度の話だが、「将棋」は私は父母長兄よりも盤面に出ている「情報」を正しく客観的に見れていないゆえ負ける。ランダム要素がないので純粋に価値判断の問題だ。感情的になるのは構わないが、感情的なあまり客観性を失ってはならない。むしろ、より客観中立的に状況を見て、打ち手を決めるべきだ。表層の事象だけを見て、深層の推測もせず、声を荒げるのは愚かなことだ。「もうちょっと考えてみようか」と思う。「そう見せかけるポーズ」だというならなかなかクールだがね「w。

情報や知識を段階的に、どのようにとらまえるのか? というのは人生すべてに関わる話である。

CIA(内部監査人)や行政書士資格から「ルールについて」、将棋の趣味から「格上との戦い方」に特化して思考を掘り下げている人間です。