楽観と現実逃避は違うし楽観の裏には準備という「悲観」がある

先延ばし癖、楽観的になれば改善する? 東大の研究
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それを「悲観」と表現するのが適切かはともかくとして。

楽観主義は単なる「現実逃避のお馬鹿さん」とは全然違う。ちゃんと悲観的に(!?)最悪を想定しての「準備」をした上での楽観であると私は提唱する。

同じ「何とかなるでしょ」「大丈夫」でもその裏にある根拠、将棋の読み的な裏付けがどれだけあるかでその言葉の重さはまるで違ってくるということだ。

だから「なんで大丈夫と言えるの?」と問いかける。そこで根拠が示せるかどうかだ。

また、この問いかけは悲観主義者に対しても適用できる。「なぜだめだと思うのか?」という問いかけになる。


将棋では「攻めるべき時に守ってしまって負ける」とか「守るべき時に攻めてたとえばしまって負ける」というのがあるが、そういう白黒明確な時はあまり悩まないものだ。

根拠がある場合は白黒明確だが、問題は「根拠レスな自信(不安)」に対してだ

ここで問われるのが本来の楽観や悲観の傾向なのだろう。

CIA(内部監査人)や行政書士資格から「ルールについて」、将棋の趣味から「格上との戦い方」に特化して思考を掘り下げている人間です。