なぜJRだけが止まるのか きつい基準は緩まず無視される

安全。重要な概念の一つだ。

個人的な安全に始まり、夜行バスが事故らないようにする基準、企業経営においてのリスクコントロール、果ては国の国益を守るところまで横断網羅的に考えるべき優先順位の極めて高い概念だ。

痛ましい事故が発生する都度、基準は厳しくなる。安全のためには必要なことだ。

ただ基準が厳しければ何でもよいかと言うとそうではない。

ルールと言うのは「手段の一つ」に過ぎない。

私が監査をしていた時は①ルールの有無 ②ルールの妥当性 ③ルールの順守状況 を見るわけだが。②③について言えば、たとえば甘すぎるルールに意味がないように、厳しすぎるルールだと守られなくなる。守ってもらえないルールもまた無意味なものだ。

さて、表題についてだが。

羽越本線の脱線事故に起因する。
詳細はウィキを読んでもらうとして、私の主張に必要な範囲で簡単に触れる。

要は「それまでは風速30m規制値としていたが、にもかかわらず事故が発生したので、今は風速25mを規制値にした」ということだ。ゆえに他の私鉄は動いている状況でもJRは運休になりやすい。


繰り返すが確かに安全は大切だ。規制を厳しくすることで確実に事故は減る。ただ、それは対症療法であり、即物的、直線的なモノの見方でしかない。JRが動かないことによるデメリットと言うのを合わせて考える必要はあるわけだ。総合的な判断なので絶対の正解はないわけだが。

極論化すると分かりやすいだろう。「絶対に電車事故を起こさない方法は電車を動かさない、電車に乗らないことである」わけだ。安全がすべてに優先されるというのが行き過ぎるとこうなるわけで。異常さに気づいてもらえることと思う。

また、「基準を緩めること」これが実に難しい。緩めた後で事故が発生すると責任問題になる。なので一度厳しくされた基準が緩むことはなかなかない。監査やルール絡みの重大なジレンマの一つだと個人的には考えている。

そして「厳しい」と考えられた基準は「緩む」のではなくて現場で「無視」される。JOCの臨界事故などもそうである。

翻って「憲法9条」や「夜行バス」についてもだ。確かに安全は最優先事項ではある。だが、同時に曲線的、側面的な見方を忘れてはならんと思うわけだ。平面思考のみで立体思考ができない人間に任せておくととんでもないことになる。このあたりは「頭の良さ」というより「頭の柔らかさ」に通じるものがある。

CIA(内部監査人)や行政書士資格から「ルールについて」、将棋の趣味から「格上との戦い方」に特化して思考を掘り下げている人間です。