人生最後の一局

【将棋1】「暑く」「熱く」「厚い」天童

10年と1か月前の天童での対局紀行など書いてみます。え、奇行じゃないかって? ・・・反論できねぇ orz。

全15回位の予定です。将棋よりも「考え方」がメインですので、将棋の知識が無い方にこそ読んでもらえたら嬉しいなぁ(^^)。


●「暑く」「熱く」「厚い」天童
山形県天童市は古くから林業が発展し、良質の盤や駒が生産されてきた。我ら3兄弟が両親の結婚30周年祝いにと贈った五寸盤と駒のセットも天童産である。家族仲良くというのは人間関係の基本だと思うのだが、その盤上で私の敗北が量産されるのはいかがなものかと思う(笑)。また、毎年4月には「人間将棋」が開催される将棋のメッカの一つである。

今回の出張先の一つに山形市があった。少し造った時間で天童市に足を伸ばした。監査対象データとして抽出した天童市の入札絡みの「箱モノ」を自分の目で見ておくのは今後役立つだろうというちょっとした職業人意識もあるにはあったが、その中に将棋に関する案件があったので興味本位の方が強い。

個人的には効率や仕事だけの生き方は選びたくない。無駄や遊びをする余裕がなくて何の為の人生か。機能美や機能的であることは重視するが、それオンリーなら機械にでも任せておけば良いと思う。

山形の夏は東北の中でも図抜けて暑い。最近まで50年近く日本の最高気温の記録があったというのも頷ける話だ。暑さでセミが気絶して木から落ちたという噂にも信憑性を感じる。気温、湿度ともに高い炎天下の屋外をうろつく。熱中症にキヲツケテ。水分補給と日陰移動は標準装備。

私『あっちいねぇ。クーラーは効いてないけどねぇ。そろそろ「携帯クーラー」は開発されてもいいんじゃないかと思うな。地球環境には悪そうだが。』

木陰の自販機で立ち止まった私の目にとまったのはある会館内の将棋コーナーで熱心に指している女の子二人組だった。

私『ほう、珍しい。小学校高学年くらいか。』

この春先、私は京都でプロ棋士安用寺六段の指導対局を受けた。二枚落ちがやっとだった私の左隣で角落ちで勝利している小学生の女の子がいたのを思い出した。たしか五段になりたてとか言ってたか。

私『強い子なら興味深いが、さりとて昨今は私のようなおっさんが小学生の女子に近づくのは憚られるからなあ。』

かつてミクシィにいた某A君のご都合主義あふれる脳内お花畑日記なら、「きゃっきゃウフフ」と対局する展開もあり得るのだろうが(微笑)。

私『対局できればまさに「天の童」との対局になるし、絶好の記事が書けるがなぁ。』

天童は天候も暑く、将棋の選手層も厚いようだ。

【将棋2】修羅の楽園

なにかしら策はないかと考えたが、どう考えても不審がられるだけだ。

私『しかし、こう遠くては局面がわからんから棋力もわからん。あまり、長時間見ていて不審がられてもつまらんし。…離れるか。』
謎人物「中に入らないんですか?」

いつのまにやら背後をとられていた。振り向くとニコニコした50代くらいの男性がいる。穏やかな紳士という感じだ。

私「あ、いや。見てるだけなんで。」

意味の取り様によっては危うい返事を返した。落ち着いているつもりでも少なからず慌てていたのだろう(笑)。

紳士「どちらから来たんですか?」

私のいかにも旅行者の恰好を見て当然と言えば当然の質問が来た。当たり障りなく返事する。

紳士「ここでは暑いでしょう。将棋に興味がある人は大歓迎ですから、中へどうぞ。」

人のよさそうな感じ、お誘いの熱意に応諾して建物へと入る。

紳士「この奥に指せる場所がありますよ。」

この建物の図面は見ているから、薄々そうだろうとは思っていた。

紳士「興味があるなら一局いかがですか?」

興味があるから見ていたわけだし。まあ、見るだけならというつもりで建物の中に入ってみた。先ほどの私の位置からちょうど死角になる場所に対局場が設けられていた。紳士に誘導されて場内を見て回る。屋内なので広さは限定されているが、将棋盤は10面くらいあり、いたるところが激戦地である。しかも、いずれも指し手のレベルが高い。あきらかに新橋より上だ。さすがはメッカというところか。

私『なんか、修羅の国に来ちまったなあ。』

まずは一歩を踏み入れた。はたして背筋を走るのは悪寒か、武者震いか。

私『なんだかんだいって、好きなんだよなぁ。この感覚が。』

むろん、「勝利」も大事だが、勝負過程でいかに考え、限界ギリギリでふみとどまっていられるのか?自分の輪郭がもっとも明確に浮き彫りになる実感があるのだ。・・・ずっと続くと疲れるけど。

ここまで来るとなんか口説かれてる女性のような感じだ。賢明な読者のみなさんなら次にくる展開はは予想がつきますね(笑)?

【将棋3】弱い奴なりの立ち回り方

紳士「見てるだけじゃ、物足りなくありませんか?どうです、一局指しませんか?」
私「はあ。そこまで仰るのであれば。」
紳士「いやね、今日私と指す予定の相手が来れなくなってしまってね。対戦相手がいなくてアブレて散歩してたんですよ。」
私「そうだったんですか。」

成るほど、私が背後をやすやすと取られた合点がいった(違)。

会場はクーラーが利いていて、吹き出した汗が冷え始める。隅っこの畳縁台(もちろん、わが社の製品だ)で空いていた盤(残念ながら盤は取り扱いが無い)を挟んで座り、駒を並べ始める。隣で対局中のおっちゃんが紳士に声をかけた。

おっちゃん「あれ?先生、新しい人、お弟子さん?」
私「(会釈しつつ)いえ、単なる通りすがりです(笑)。」
おっちゃん「それは失礼。どちらから?」
私「東京からです。仕事が終わったので寄らせてもらいました。」
おっちゃん「そうでしたか。後で時間があれば指しましょう。」
私「あまり強くないので手合い違いじゃなければですね(笑)。」

山形の将棋指しはフレンドリーな方が多かった。何でもないやりとりだったが心が妙に温かくなる。

私『普段優しいが盤上勝負になると辛くなるってのは一種のツンデレなのかね。』

挨拶しながらおっちゃんの盤面をチラっと見たか、本格的な鷺ノ宮定跡を組み上げていた。

私『このおっちゃんも私より強そうだな…。そんな人に「先生」と呼ばれているのか。うちの3強クラス以上かな?』

弱い奴には弱い奴の立ち回り方がある。そしてそういうのが大好きな性分だ。某スカウターのように相手の戦闘力を見える化できる装置がないゆえ、それを推し量る感覚が問われる。…とかアホなことを考えてたら話しかけられた。

紳士「お時間はどれくらいありますか?」
私「今日はまるまる休みとりましたから、けっこうあります。」
紳士「じゃあ、互いに持ち時間は60分の切れ負けにしましょうか。」

了解を告げると紳士が手慣れた感じでチェスクロックを設定する。「考えるスタミナ」がない私には60分はいささか多い持ち時間設定だ。そこまでフルで考えると脳みそぐるぐるになってしまうが、異論はない。

私『時間的にこの一局勝負か。さあて、相変わらず成り行き任せだ。相手の力量がわからん。いずれにしろ私より強いのだけは間違いない。』

【将棋4】人生最後の一局

まずは情報を探ってみる。相手の力量や得意戦法なんてのがわかればこちらはカメレオンのようにそれに対応・・・できないんだけど、一応努力できる。

私「ちなみに腕前はどのくらいなんですか?」
紳士「まあ、指せば分かりますよ。」

紳士さんはうれしそうに駒を並べている。本当に『将棋好き』な人なのだろう。別に駆け引きをしてるつもりはないのだろうが、うまくいなされた。私のように相手の力量によって明確に戦略や指し方から組み換える人間は「指す前に知りたい」なんだが(笑)。

「相手には無関係に自分の全力を尽くす!」という考えの方はスポーツマンを中心に多数いる。私としては好ましく思いはするが、いざ「勝負」と考えるなら、自分の戦略が相手と無関係というのはいささか手抜きだと思う。孫子の兵法ならば「敵を知る事」は基本中の基本になる。何よりも考える範囲を「自分の領域」のみに限定しすぎていると思う。最初から「視野を狭めて得られる集中力」のみでは勝率は低くなるのてはなかろうか。

相手が自分より強いか弱いかで戦い方を変えるのは当然だと思うが。自分らしさは目的に対して貫くのであって、手段に対して貫くのではあるまい。この考え方は長兄にはよくからかわれるのだが。

長兄(大上段から)「君もそろそろ将棋を指したまえよ(笑)」
私「は?」
長兄「一つ得意戦法をしっかりと指しなさいということだ。その方がずっと早く将棋の本質に近づけるし、強くなるぞ。毎回、勝手に自分で崩れてるだろ?」

我が長兄、少しは歯に衣を着せたほうが良いと思うのだが。原則的には丁寧で謙虚な男だが、私に対して将棋を語る時は宇宙1傲慢だ(笑)。それでこそ倒す目標にする甲斐がある(爆)。

私「毎回最後の一局のつもりで指してるとこうなるんだよ。」
長兄「なんでそんなに追いつめられてるんだ(笑)。実際、人生で最後の一局じゃないじゃないか。その後の成長を考えるなら1つ軸を作るほうがいいじゃないか。」
私「うーん、なぜか、毎回最後の一局(絶局?)のつもりで指してるんだよ。そうなると自分より強い奴相手には、自分が崩れてでも相手を崩すのが最善なんだって。」

・・・私には強迫観念でもあるのかもしれないw。「人生最後の一局」だったら、その後の成長を考える意味はあまりないということで目先の勝利を泥臭く目指す発想になっている。

長兄「そういう魔術師気取りはもうちょっと強くなってからにしたらどうだ? 成長をかなり妨害してるようにも見えるがな。」

全くその通り。ただ、私は奇手奇策で「相手の意表を突く」のが好きなんだ。魔術師というよりは道化師になるのがほとんどだが。

長兄「まあ、記事は楽しく読ませてもらっているがな。よくもまあ、1局の将棋でこれだけ色々と書けるもんだ。考えてる量だけならウチでもダントツじゃないか。」
私「ただ、考え付く事の大半が将棋の強さに直結しないというのがおもしろいところでさw。自分でも滑稽なくらい効率悪いんだよね。」

なお、私自身は将棋連盟の初段の免状をたまたま持っているが、完全な実力による「術許し」とは言い難い。父母によると「初段は十分あり、二段には少し足りない」らしい。だが、私は「対家族」に特化している「局地戦用将棋指し」なので父母相手には常に実力以上の戦果をあげていることはさしひかねばなるまい(私が将棋を指す小目標は「打倒父母長兄」なのだ)。また、試しや新機軸と本人が思う事を試そうとするので、実力は不安定で波が大きい。<昨年は妹にすら負けた。まあ、妹が上達し、上手く指されたたのもあるが> それはさておき、自分としては他流試合では「かろうじての初段」くらいの手合いと思っている。

手入れの行き届いた将棋3寸盤に良い香りのする駒を並び終える。生対局はやはり良い。空気が張り詰め、背筋の伸びる感覚がある。相手が強い場合、ここらで弱者センサーが働く事が多いのだが。

私『ふむ。強い相手だとは伝わってくるんだが、なにかおかしいな。この違和感の正体はなんだ??? 単なる気のせいか?』

振り駒で私の先手と決まる。以前も書いたが、この瞬間は私でも羽生さんと互角だ。最初の礼は丁寧にする。弱くてもできることはきっちりやろう。

お願いしますを言いながら次を考える。

【将棋5】楽観は悲観の中に在る

相手の情報が無い限り、想定する事態の目安は2つ。平均的に最も起こりえるレベルと最悪のレベルになる。特に基準とするのは後者でなる。MAXにゲージを合わせておけば、あとは実際に相手の様子を見ながら相手のレベル設定を下げるだけでよい。上下に調整を行うよりもラクだ。

私『どうにも事前のやり取りではぼんやりしてるな。』

想像し得る最強の相手を想定することにした。情勢は悲観的に設定する。今まで私が平手で指した最強の相手と言えば、この春、京都の大会で戦った元奈良県のアマ代表(?)になるが…。

私『あの時は相手というよりは場にのまれて何もできなかった。』

勝負においては「自分がどう見られるか?」より「自分が相手をどう見るか?」を考えろという長兄の教えを実践できなかった。俗物の私は必要以上に他人の目を気にしてしまったわけだ。

私『だが、一局だけでは設定が難しいんだよな。ある程度馴染みがあって最強なのはやはり長兄か。』

楽観的なのと単なる現実逃避は違う。どれだけ悲観的な状況だとしても、可能な限り「現状認識」を行い、その中で対策を捻り出そうとする姿勢が真に『楽観的』という事だ。実は楽観と悲観は非常に近しい位置にある。悲観的状況がなければ「究極の楽観」は生まれない。

私『未知の強敵相手に無難なのは対応型、カウンター狙い。後だしジャンケンの選択肢を残すべきだ。ただし、じっと待つ消極策だけではいいようにやられるので、隙あらばひっかきまわす変則的な「におい」を織り混ぜる。』

毎度おなじみ、実力者ほど視野が広い為にこちらの未熟な力量よりも「可能性」を見てくれる。強敵ほど「もしかしたら」と一片の疑問さえ生じさせれば「広さと可能性のフェイント」に付き合ってくれる。強敵が私ではなく、「強敵自身のレベル」で考えてくれるところがある。フェイント(多元的解釈が可能な予備動作)を主体に、相手の指し手の乱れを誘い、その瞬間を見極めてカウンターを放つというスタイル…を目指す。毎回調整に苦労しており、実現できているかどうかはかなり微妙なんだが(笑)。

…なお、長兄がまるで私の手に引っ掛からないのは、長兄が己の大局観、間合いや速度計算に絶対的な自信を持っている、ある種のエゴイストだからだろう(そしてそれは私にとっては最悪の相性でもある)。だから長兄からすれば私が一人で踊って、勝手に体勢を崩し、自爆しているようにしか見えないのだろう。・・・実際、そういう面は多いので否定はできないw。

私『目新しさを考えるとか「風車」が有力か。「鎖鎌」は相手の性格を知らずに仕掛けるのは怖すぎる。私レベルの雁木や右四間、左美濃程度はあっさり見切られそうだ。「カマイタチ」や「車懸」はおもしろいが、まだ序盤の手順が確立していないし、そもそも中央制圧の積極策であってカウンターではないし。』

自分なりの戦略構想を練りながら指していると戦況はいきなり動いた。後手からの角交換である。こちらが無難に応じるのを見届けて、相手は腰掛け銀にしてきた。

【将棋6】長い名前にゃ意味がある

記憶を洗い直す。本格的に戦うのは初めての戦法だ。だからといって別に不利になったとは思わない。私の経験値など、この相手と比較すればたかがしれている。むしろ、目新しい戦法相手は、その原理を自分なりに分析し、価値観を与える作業は疲れるが楽しい。

私『えーと、たしか1手損角換わり腰掛け銀だったっけか。』

長い名前の戦法だが、ちゃんとそれぞれの言葉に意味がある。

まず「1手損」とは文字通り相手よりも1手番損すること。「先に相手玉を詰めれば勝ち」な将棋で手損するのに成り立つ不思議な戦法である。私なりの不思議さの理由は「将棋駒にスタック(重なる)ルールがないから」というもの。(もし、味方にスタック可能なルールになると、全く別のゲームに変貌するだろう。スタック中は上の駒しか動かせないとか、取られる時は二枚まとめて取られるとかの不利があっても、戦いが立体的になりそうだ)。具体的には後手の8五歩か伸びていないのがミソらしい。歩は後退かできない。その位置に8五桂馬の可能性を残す事で選択肢を残す指し方である。

私『なるほど、後手の立ち遅れをむしろプラスにする発想か。うん、こういう逆転の発想は好きだな。』

続いて「角換わり」とは互いに序盤で角を取り合う事。手持ちに角があるので不用意に高い陣形にすると打ち込まれる。「角交換に5筋を突くな」という格言も想起される。私なりの解釈で言えば「いつでもどこにでも投入できる予備戦力として、角という強力な駒を互いにもちあっている時点で仕掛けが発生するまでの「静」と一度ドンパチが始まってからの「動」の落差が激しい将棋。いきなり中盤をすっとばして終盤に突入する可能性もある。

私『・・・ありゃ?中盤をすっ飛ばして終盤になりえるのか?…前言撤回。自分にとっては明らかに嫌な戦法じゃん。』

貧弱な棋力の私の一縷の希望は中盤戦である。それをすっ飛ばされると激弱なアマチュア初段が出来上がる。

「腰掛け銀」とは中央5筋、自分の歩の上(先手なら5六、後手なら5四)に銀を位置取る事。好位置に陣取った銀により中央制圧する事で攻防ともに支援効果が発生する。

私『我が家でこれを指す人間がいないから気付かなかった。これこそプロ棋士も用いる「可能性」や「広さ」の戦法の代表格かもしれないな。さすとしたらデビューしたてのヤンキー高校生なみにケンカっぱやい母((笑)とか、「光速流」谷川先生の信者である長兄か。父はまず指さない戦型だな。』

【将棋7】イナセな風車でいなせ

角交換の時点で「戦型」の選択肢はかなり絞られた。「指し手」の可能性はかなり広がったが、それは相手も同じ事。互いに角を手持ちにしたので打ちこみがありえる。(防御としては打ちこまれないように戦型を低く構える。攻撃としては手持ちに角があるので、隙はないかと探る。)

私『歴戦の古強者相手には見慣れない戦法で対抗する事で相手の「経験の強み」を最小化する。』

私にとってはどれだけ不利な要素が増えようとも、大抵の不利な要素は確率に対して「割り算」にしかならない。確率をゼロにしたいなら、私の意識を飛ばす「引き算」しかない。そして将棋では(将棋ではなくても大抵はw)相手を直接ぶん殴って気絶させるのは反則、というよりは犯罪である。つまり、私が奇跡を狙うことをゼロにできるものは実質、「自分自身のアキラメのみ」となる。

春の京都大会ではガラにもなく萎縮してしまった。だが、今回は「熱くなりつつ冷静」という程良い精神状態を保てている。

私『普通は常時100%を引き出そうとするとペース配分が乱れて失敗する。90%くらいを維持しながら勝負どころに有限な資源を集中投入するのが基本だが。』

「どうにもならん相手」に何とか一泡吹かせようと企む時の悪戯っぽい感覚が好きだ。そこに「自分である意味」を感じられるからなんだろうな。

私『悩む余地も迷う必要もない。低い陣形で珍しさがあって、私が指せるものと言えば…「風車」で確定じゃないか。』

風車との対局経験が豊富な人って別の問題があるように思う(笑)。普通に強くなりたい人にとって、ここまでマイナーな戦法に必要以上に研究を割り振るのは成長戦略として間違っている。ところが私の場合は「父母長兄への勝利」という目標なので、マイナー戦法の風車を研究するのは合理的な手段ということになっている。目指しているものが違うから手段も当然に変わってくるという事だ。

見慣れない戦法で相手との経験差を最小化する狙いだ。美しい左右対称の陣、風車。「堅さ」こそないが「広さ」がある。地下鉄飛車によるゾーンディフェンスが機能すると、打ち込みに対しての隙を作らないまま自分の好きな筋を主戦場に設定できる。初心者の場合、その隙の無さに軽く絶望さえするらしい(仕掛け方さえ分かれば風車は堅くない。その本領はむしろ「幅広い選択可能性」と「玉の広さ」にあるのだが)。殊、浅く広く指す分には私の中ではいまだに「理想形」だ。

むろん、風車は長所ばかりではなく、短所もたくさんある。まず、組み上げるまでが脆い。攻めだけ、守りだけではあっさり潰される事が多いので、相手を牽制しつつ組み上げる細心の注意が必要な戦法である。また、組み上げてからも所詮「金銀2枚+地下鉄飛車の守り」なので、相手が戦力を玉頭に集中投入してくるとあっさりと力負けする(私は風車と戦った事は1回しかない。その時は風車VS風車だったので、単純には戦力集中できなかったが、近い発想で勝利している)。要はクロスレンジでガンガンに打ちあうには不向きである。状況に嵌るかどうかで強さが極端に変わる、総じてピーキーな戦法だ。

私『さて、少し間合いを離さなければ。』

【将棋8】認識外の2つの世界

慎重に一手一手組み上げる私に対して、紳士の手付きは軽快そのものだ。

私『相変わらず、強いのはわかるけれど、度合いがわからんな。』

人間は自分の認識できる範囲でしか事象を考える事はできない。むろん、自分より強い度合いが上がるほど、実像はぼやけ、正確に推し量れなくなる。紳士の迷いのない指し手には「迫力」よりも嬉しくて仕方がないという「感情」を感じる。おそらく、今までに会った相手の中でも最高に将棋が好きな人なのだろう。そんな事を考えていると唐突に紳士は口を開いた。

紳士「私は初段止まりだったんですよ。」

なら戦える相手か。…あれ、なぜ語尾が「過去形」なんだ?(職業柄、違和感のある言い方や語尾には敏感になっている)…なんとも言えない嫌な予感はあったが聞かずにはいられなかった。

私「今もこうやって指していらっしゃるのに、なぜ過去形なんですか?」
紳士「いや、もう随分昔の話ですから。奨励会にいたのは、ははは。」

ちなみに奨励会で最下級の6級がアマチュア5段に相当すると言われている。単純にアマチュア初段の私との階級差を考えると…10階級の差である。長兄をアマチュア五段と換算してさらに6階級の差である。

私『…ははは、じゃねえっての!完全にヤバい相手じゃねーか!(笑)ついに来たよ、元奨励会が。』

今まででぶっちぎりの戦力差になる(プロ棋士と指した事もあるが駒落ちの指導対局だった)。絶望的な差に軽く目眩すら覚える。私が「かろうじて認識できる」最大の実力差が「私と長兄との差」だ。それ以上の差になると認識外になる。でかすぎてつかめなくなるのも当然か。たとえば私がトッププロと指して、当然のように負けたとする。力の差がありすぎると自分では敗因が拾いきれなくなるわけだ。長兄との戦いで負けたとすればまだ敗因分析もできるのだが。

私『額面通りに考えると、この紳士は長兄をその最大差であしらえるという事になるな。どうりでつかめないわけだ。ファミコンで数兆ケタの円周率演算してたようなものか。』

若干、大げさな気もするが。たがいに熟練者になり、より深い世界になるほど潜在的な「実現しなかった」読みの量が格段に増える(某格闘マンガの表現を借りると互いが想定しただけで実現しなかった「打撃軌道」を互いに相殺する感じ。…却って解りづらいかw)。ここにも「認識外の世界」がある。もっとも対局者2名は認識しているので、傍観者にとっての「認識外の世界」だが。傍観者がその世界を知るには自分の棋力を指し手と同等以上に高めるしかない。さもなければ彼らは一生この世界を見ることはできない(解説者がいれば多少の助けにはなるが)。

互いに相手の最善手を潰し合うので、現実に盤面に現れる両者の差はより小さくなる。だが、盤面に現れたその「小さな差」のもつ意味は逆に大きくなる。運やランダム要素ではなく、純粋に実力の差が顕現するわけだ。だから、プロ棋士同士の対局はハイレベルで噛み合うし、短手数で終わる時はどちらかが早期にミスをした場合になる。例えばある局面で私が5手、長兄が10手読めるとして。紳士が15手読めるわけではない。紳士が読めるのは11手に過ぎない。ただ、その1手差が「とてつもなく大きな紙一重の差」になる。上級者になればなるほど一番深い1手に要する密度、必要な単位の桁が変わるわけだ。私の指し手が「お湯みたいに薄いアメリカン」だとしたら、上位者達の指し手は「濃縮しまくって苦味走った大人の味わいエスプレッソ」になる。

【将棋9】モンスターハンター

私にとって間違いなく史上最強ぶっちぎりの相手、くわえて悪気のない天然さんで将棋好きな愛すべき人物ときたもんだ。「一分の隙」どころか「一縷の望み」すら見い出せるかどうか。マンガなどで「可能性が1%でもあれば…」という表現があるが、リアルに立ち向かうのは並大抵ではない。今回でいえば万が一の2乗だから1億分の1くらいか。こいつは、すげぇや(笑)。
将棋をしているとカード運やダイス運のせいにできない純正能力勝負がお手軽にできる。それが今回のように自分より明らかに強い相手であれば「お手軽な絶望体験」が可能だ。人が絶望に向かい合った時、どう考え、どんな行動をするかが推し測れる。しかも、現実ダメージは皆無である。…精神ダメージは受けるかもしれないが。『負けていいや』と軽く考えれば精神ダメージを受けないだろうが、それでは真剣な試練にならない。
私『まあ「那由多の彼方」に立ち向かって案の定敗れ去ったどこぞの神父よりはマシだ。』

かつて、ある友人が「氷点下はスターリングラードよりも『40度も暖かい』と言っていた比較表現を思い出し笑いしつつ、マインドセットをし直す。精神的にブレそうな時の切り替えは大事だから、自分用の儀式を用意するようにした。

当然、やるからには絶望的実力差があろうとも勝つつもりで可能な事を全部試す。別に相手は不死身の怪物ではない。頭金にすれば、ちゃんと詰む相手だ。私はモンスターハンターをやれば良い。…ただし、このモンスターは身体能力のみならず、知性や経験もこちらよりはるかに上だが。
私『将棋に関してはほぼ全ての面で相手が上回る。こちらが勝る要素は将棋の勝敗に結び付けるには遠い要素ばかり。さて、どう持っていくかな。』
そういえばサッカーの大番狂わせをジャイアントキリング(巨人殺し)というらしい。
私『私にとって長兄が既に巨人だ。とすると、今回の要求はさしずめゴッドスレイヤー(神殺し)か。』
…いかん、燃えてきた(笑)!燃えない理由がないではないか。たとえ近い未来に瞬殺が待っているとしても、今は互角(と思う)。
*いつもよりおもろかしく誇張して書いております(笑)

【将棋10】広さ勝負の限界

まずは深呼吸。盤面から少し後退り、視野を広く保つ。ミントタブレットを口に放り込み、精神に続いて思考のスイッチを切り替える。深く潜れない私は広く読むのを重視する。相手と異なる価値観や感覚を呼び覚ます必要がある。

風車の方針発覚を遅らせる為に一直線に陣形を組まずに、「隙あらば仕掛けますよ」というフェイントを織り混ぜつつ、慎重に低い陣形を保つ。一方の紳士はけっこう大胆に前線を張ってくる。私の思考分類に従うなら、「打ち込みをされない自陣の構成」、「敵陣で一見隙に見える箇所への打ち込みの検討」、「張り出してきた前線に押されずに支える自陣構成」を考える必要がある。

私『むう。隙だと思っていちいち検討したが、ことごとくこちらが作った馬を消す手や、こちらを上回るカウンターがある。さすがに打ち込み後の対策は計算され尽くしているな。』

要素が多い展開になり、あっさりと貧弱な私の思考キャパを越え、異様に疲れる。ここまでは今までにない集中力を発揮できているか。おそらく生涯で千局近く指してきていると思うが、だからこそ、疲労も早い。

私『これが多様な可能性に向き合うという事か。自分が仕掛けられるとけっこう大変だわ。この将棋が終わったら、以前企画倒れになった「車懸」の中央制圧に腰掛銀が使えないか検討してみよう。』

読まなければならない範囲が広すぎる。再びミントタブレットを口に放り込み、細心の集中力を保つよう努めるが早くも限界らしい。思考が分散しはじめ、脈絡がなくなる。時間だけがガリガリと削られていく。

私『いかん。このままじゃ、ダメだ。集中力が保てん。』

考える要素を削らなければもたない。こちらが一瞬でも緩めばやられる。というか既に幾度かのチャンスを相手は見送っているようだ。

私『?』

新たな疑問がわいた。

私『なぜ、打ち込みが来なかった?単にもっとビッグチャンスを狙っているのか?』

自分なりに考えて到達した仮説に戦慄を覚えた。

私『この人、持ち駒として角を持ち続ける事でこちらの駒組を制約している?』

今のままでもジリジリと不利になっているのだから、このまま単に風車を組むだけでは奇跡など起きない。順当に負けるだけだろう。都合良く確実な手段などない事はわかっているが、せめて確率を高められる手段を考えなければならない。

【将棋11】損害選択の自由

こちらは角を打ちこまれないために隙を作らない事(=低い陣形を保つ)、そして相手に隙ができれば打ちこむ事(=展開任せ)というように個々独立して考えていた。どこか作業になっていたキライがある。

相手は私の思考を見越していたようだ。「手持ちの角で返し技がある事」を前提にどんどん前進して抑え込みにきた。実際、相手の陣形には打ちこみの隙がある。だが、相手が角を持っているので常に返し技がある。打ちこみはできても後が続かない。このあたり、「戦略思考の読みの深さ」で既に負けていた。

自分の不利を自覚したら、認めた上でその打開を考える。もとい、考え付かずとも、とりあえず行動してみるのが大事だ。

私『相手の前提を崩したい。ならば、敢えて角を打たせちまえ。そうすれば読みの幅を減らせる。』

大半の格上にもそうそう負けないと自負し、私が寄り所としてきた「独自感覚:読みの広さ」をあきらめるというある種「本末転倒」な選択。

私『既に読みの広さで負けているのは事実。「広さ勝負」は勝つ為の手段に過ぎない。手段に問題が生じたなら、躊躇なく変える。それがたとえ自分の一番のウリだとしても。』

たとえて言うなら「大損する可能性」を見せながらジリジリとポイントを稼ぎ「小損の蓄積」に甘んじるくらいなら、「一時期の中損」でさっさと確定させる。どちらにしろ損害は受けるのだが、どの損害を自分で受け入れるかを選ぶ「損害選択の自由」はある(笑)。

そんな決意とは全く無関係に(笑)相手は確実に押し込んでくる。厄介なのはただひたすらに圧してくるだけではなく押したり、退いたりという間合いの取り方が巧みな事。私なりに反撃の罠を仕込みながら受けているつもりだが、ことごとく間合いを外される。罠の範囲外から丁寧に罠を解除しながら進んで来られるとキツい。腰を落とした横綱の磐石の寄りを思わせる。このあたりは父の将棋に近いか?

これが長兄なら罠を完全無視して最短距離を直線的に斬りに来るゆえ、罠が不発弾のように爆発する「事故の夢(笑)」を見ることもできる。以前の不発罠を「さも計算通り」というように自分の指し手と絡めることもありえるのだが、この相手にはそれすら望めない。

私が『わざと打たせた』と強がっていた角が馬になり、幅を効かせだす。風車の陣の左翼が相手の馬とこちらの飛車の小回りの差のまま徐々に崩される。相手の的確な攻撃に左翼を見切り、飛車を右翼に逃がす。風車を左翼から崩され、龍を作られる。それでも自分なりに最善の粘りで駒損は香車と歩二枚に押さえている。私にしては望外の大健闘と言えよう。

力量差、駒損、脳の疲労、持ち時間の消費、駒の損得、玉の堅さ、駒の効率、全ての要素が逆転の限界点が間近だと示していた。もとい、最初から勝ち目が極めて薄い戦だったのだから順当な結果とも言えるが。

私『中盤はなく、不利なまま収束するだけの終盤か。笑えんな。このままでは楽しみ(相手を上回る要素)が何もない。』

私からすれば撤退逃亡戦。相手からすれば、追撃掃討戦になる。

私『撤退戦だが、どこかで一点突破に賭けたい。突破戦に切り変えるためには、どう崩す?まだ崩しのパターンなかったかな?』

もともとそんなに豊富ではない私の「崩しのパターン」だが。今回出した技は完璧に見切られている。

私『戦力を速やかに集中する突破戦につなげる為に、積極的に持ちゴマを増やす方針にすべきか。何とか互角に近い交換レートならいいんだがな。』

持ちゴマにすれば一瞬で急所に戦力を集中できる。一点突破で相手玉に打撃を与える可能性が最も高い。問題は、この相手に互角に近い交換レートを望む、我ながらムシがいい要求が通るかどうかだ(笑)。

【将棋12】絶望の未来

手は進み、こちらの左翼は完全に瓦解、相手の攻撃陣がじりじりと自玉に迫っている。風車は左右に各一つの城があるので残る右翼の城に立て籠ったが、金銀一枚の守備ではそんなに粘れないだろう。
元々の力量差を考えれば善戦した自負はある。が、現実はほぼ一方的な展開。さきほどまで左翼で奮闘してくれた元味方の金銀桂香が相手にわたり、こちらは銀桂香を手にしている。金損の代償は相手の玉頭に歩を突き付けたことと角を打たせた直後に打ちこんで作った馬のみ。駒効率でも相手の竜に対してこちらは飛車な分不利だ。

私『しかし、この人、将棋は友達を無くす指し方だ。俺ごときを相手にまるで容赦ないや(笑)。』

油断も隙も無い盤石の指し回しはいっそ清々しい(父あたりによくやられるが)。戦士というよりは狩人が確実に仕留める感じ。狩られる獣としてはなんとか暴れて小動物ではない事を示したいところ(前向きなんだか後ろ向きなんだかw)。

将棋は情報全公開のゲームであり、ランダムの要素が極めて少ない。したがって、自分が負ける「絶望の未来(大仰な表現だが)」が見えてしまえば、よほどの事がない限りケンシロウよろしく、「お前は既に死んでいる」となる。だから、アマチュアにはまだわからないような局面でもプロ棋士は自分の敗北を悟り「参りました」と潔く頭を下げる事も多い。

だが、私は物分かりが悪い。原則として最後まで指しきる事にしている。奇跡を最後まで諦めない為というのもあるが、半分の確率で運悪く無能な指揮官の陣営に付き合ってくれた駒達へのけじめでもある。無能な上にやる気までないのでは申し訳ないように思う。

そんな私のモノローグとは全く関係なく(笑)相手の指し手の性質が変化した。「寄せ」から「詰め」に。

絶望的な状況では「お前が望む奇跡など起きない」という現実の突き付けが来る。とどめを刺されるまで、ちゃんと足掻けるかどうかはその時の精神状態に左右される。盤上では相手が馬をぶった切っての王手で明らかに「決め」にきた。こちらは同玉の一手。

私『あとは龍が王手にこう入って…。』

私でもわかる9手詰めが見える。見えてしまう。「詰みが見えた瞬間」かキツさの最高潮だ。気を抜いている時はもちろん、集中していても、その一瞬は必ず「あきらめ」が入りこんでくる。

私『…今、わかった。私が詰め将棋をなかなか覚えない理由が。無意識ながらこの瞬間を少しでも遅らせたいんだな。単なる現実逃避じゃんか(笑)。』

単に絶望的状況を避けたいなら、強敵と対局しなければ良い。挑んでおきながら、負けという現実から目を背けるのは我ながら矛盾がある。

紳士の指先が龍をつかみ、そして龍を落とした。

【将棋13】奇跡を呼ぶモノ

天使の階梯が垣間見えた(天使の階梯=雲間から指す一筋の光が地上を照らす様)。

竜を置いた場所が一つズレている。予想外の手。王手ですらない。

私『え?なぜ連続王手で終わらせないんだ?』

一瞬考えたが、王手ではない事を確かめた。把握。確認。再認識。

私『勝機!』

間髪入れず先ほど取った角打ちで王手龍取り!紳士が始めて驚愕と焦りの表情を浮かべた(ように見えた)。

「将棋の真剣勝負は駒から手を離したら、全ての責任を負わねばならない」

私『時は来た。俺は今、神を倒す!』

注:著者は若干正気を失っております。大袈裟な表現にご容赦くださいw

「敗北寸前」からの逆襲にテンションが上がり、厨なセリフが臆面もなく飛び出す。相手の龍を召しとり、私の即詰みという「死兆星」は消えた。以前、今回のように一方的に負けていた時、父に打ち歩詰めをさせて勝ったのを思い出した。あの時も完全に詰まされるまで「諦め悪く」指しており、父の最後の打ち歩詰めで逆転したのだった。

私『もしかして利きを錯覚したか、あるいは角がこちらの持ち駒になるのを見落としたのか。』

角などの斜めならともかく、飛車の利きで見誤るのは珍しい。単に駒を落としてしまったというのが有力だろうか。なんらかの理由はあるのだろうが勝負は勝負。…私の工夫や策はこれっぽっちも通用していないので、自分の成果でないのは残念だが。

私『今回、たまたま奇跡を呼んだのは私の諦めの悪さか。』

格闘家のヒクソン・グレイシーいわく「人生に幸運はない。あるのは戦略だけ」らしい。今回で言えば「諦めの悪さ」が戦略だったのか?少なくともプロ棋士のように9手詰めが見えた時点で潔く投了していたら、この状況は訪れなかった。私がアマチュアだったゆえの逆転と言えるのかもしれない。

私『おっと、まだ勝ったわけではない。状況分析し直さなければ。』

私は裸玉のそばに角が一枚。守備というにはちと寂しいが近くに即座の脅威はない。対して相手は金銀二枚の守備が相変わらず残っている。大駒戦力は相手4枚全てこちら陣営。ただし金銀八枚の内6枚は相手にあり、特に持ち駒にしている金銀各2枚をどう使ってくるかで方針は決まってくる。後は互いに小ゴマを数枚ずつ。但し、私は歩切れ。

私『守備は相手が堅いが、それ以外はこちらが有利か。流れや勢い、本来の棋力差まで含めても形勢逆転しているな。』

【将棋14】瞞天過海

瞞天過海=兵法三十六計の一つ、天を瞞き、海を過ぎる。

前にも書いたように将棋はほぼ全ての情報が開示されており、運やランダムの要素がかなり少ないゲームだ。目の前にある盤面という暗号を解読できれば、最善手という正解を導き出せる。ただ、それが極めて難しい。

この一局、まず相手からの角交換を仕掛けられた受け身な序盤、そして不利なままあっという間に終盤、ところが相手のミスで中盤に戻った。

彼我の状況分析をした結果、大ゴマの機動力を駆使して、攻守に牽制をかけながらポイントを取りにいく方針とした。

私『優勢だが、一挙に決める道筋は自分にはわからない。かといって、守りきるには手駒の種類が向かない。ここは、中盤戦のように攻守両用の構えでポイントを拾う方針で行こう。』

相手は金銀各一枚を即座に守備に投入し、三手で金銀四枚を菱形に組み上げたダイヤモンド銀冠の堅陣を再構築した。玉の位置が1つズレて7筋でも銀冠というかは知らないが。

私『こいつは堅い。並大抵の事じゃ崩せないぞ。王手絡みの両取りの筋もほぼなくなった。』

その間にこちらは飛車角の機動力を駆使して離れ駒を拾いに行ったが、囲いを固めた相手はそれを小ゴマの活用で巧みにかわす。こちらに歩があれば崩せるのだが、あいにくの歩切れ。

私『取れたのは香一枚のみか。下手に大ゴマを渡すとこちらが即座にやられる形だから、できれば小ゴマで崩したいんだがな、まるで戦力が足りない。』

実力はあれど足の速い駒が無い相手と戦力はあっても決めるだけの実力がない私の膠着状態。きれいな将棋では勝てない私としては泥仕合は望むところではあるのだが。

私『おお?持ち時間が3分切ってるじゃんか!』

相手はまだ持ち時間を半分以上残している。例によって、膨大な実力差を詰める為に時間はかなり投入させられている。かなり長く考えなければ、今以上に差をつけられ、とっくに負けていた。

私『時間がない。ここは歩でもいいから、両取りを仕掛けていこう。』
相手の歩と銀に十字飛車をかけた。相手は銀を逃げずに歩が成れて「と金」を作るが…

私『銀を逃げない?』

意表をつかれ、僅かな集中力をつぎ込む。銀を取ると香で角飛車への「田楽刺し」があるのに気付く。

私『あぶねぇ。ここは相手の予想のウラをかいて、と金を払って歩切れを解消しよう。』

飛車で成り立てのと金を払った。気のせいだろうか?紳士は少し申し訳なさそうにこちらを見たような気がした。

「将棋の真剣勝負は駒から手を離したら、全ての責任を負わねばならない」

この言葉がそのまま私に反射してきた。

桂馬で飛龍の両取り。先ほど私が使った桂馬だ。

私『ぬかった!香も取れるのだから、銀取りで良かったじゃないか!』

仕掛けを1つ見抜いたつもりになった。不覚。油断。気の緩み。紳士はまるで意識してないだろうが、私が勝手に自爆した。相手のミスで膠着状態になっていたが、こちらのミスでまた動き出した。

【将棋15】完全なる終焉

私『…まだまだ。この将棋はもっとキツい事の連続だった。また、建て直す!』

我が心を折れるのは我が弱さのみ。勝負事にミスはつきもの。ミスを引きずらない意識の切り替えが必要だ。ポケットに手を突っ込みタブレットケースを取り出す。ケースを軽く振ったが無音。ミントタブレットも尽きた。

考える事は大量にある。ミスは仕方ない、多少の損害は見切った上で、被害を少しでも減らす事に集中する。大ゴマを取られるにしても取られる場所を考えねばならないし、相手の桂馬を取れるというメリットを見込んで事前工作も検討したい。ただ、あまりに時間が足りない。相手の飛車打ちに備えたいが、自陣は隙だらけで守りようがない。

私『受けに使える金銀もない。おまけに玉がこれだけ上ずっていてはなあ。』

入玉狙いなら玉が上ずっているマイナスをプラスに転化できる。脱出ルート検索をしてもいまいち見えないが。邪魔されたら血路を開くつもりになる。自玉は5段目まであがってきた。敵陣まであと2手。

そこで相手は退路封鎖の焦点に銀打ち、それが必至。下手に玉周辺は動かすと詰みを早めるだけである。一方の相手玉は堅い囲いの向こう側。直接打撃を当てる手段も足掛かりもない。

私『こいつはさすがに粘りようが無いか。』

最後は追いかけ回されながら、将棋の詰みの基本である「頭金」できっちり詰まされた。

さらに良く見るとチェスクロックの私の針が落ちている。考えるのに夢中で全く気付かなかった。指している時間の8割くらいは劣勢や苦戦だったから仕方ないとはいえ、さすがに長考が過ぎたようだ。

私「完全に参りました。おまけに時間切れだったんですね。」
紳士「いえ、いえ。焦りました。」
私「アレは完全にそちらの錯覚じゃないですか。」
紳士「駒を落としてしまったのですが、あまりに素早く角を打たれたので(笑)。」
私「勝つとしたらあれくらいしかないですから。それでも負けましたけど。」

まあ、負けという結果がこれだけ大差で出てしまったなら、これは仕方が無い。

【将棋16】感想戦

局後に感想戦を行ったが、読みのレベル差がありすぎておっしゃる事の半分が理解できない。相手にとって当たり前の事をいちいち確かめなくてはならず大変だった。その度に親切な解説があるのが却って申し訳なく、わかった振りをしてうなずくと後で会話が噛み合わなくなる(笑)。
トータルでの論評として「大局観に基づく状況分析と攻守判断が必要」と言われた。要は「基礎的な事も足りてないのに色々やろうとしすぎ」ということらしい。

紳士「とはいえ、中盤の判断はプロ棋士でも結論が出ない事もあります。貴方の場合は『攻めると思わせて守り、守ると見せかけて攻める』のは非常に良いのですが、『攻めるべき時に守り、守るべき時に攻めてしまう』指しすぎが混在してます。」

やはり我流ではそういう基礎力に限界がある。

紳士「長考や指し過ぎを抑えるには、軸を一つ決めて、基礎的な部分を手厚くしたら良いでしょう。普段は無難に、勝負どころで独自感覚を出すようにすれば相手は少なからず焦るものです。」

と若干の社交辞令まじりのご教授をいただいた。あいにく、自力で考え出すのが楽しい性分なので基礎に取り組む可能性は相変わらず低いが(だから田舎初段がやっとなんだw)。

常に笑顔を絶やさずに親切丁寧な解説を受けたのだが、本局のみならず感想戦でも何回も「負かされた」ので敗北感と疲労感が残った(苦笑)。

私「明らかに遊ばれてましたよね?」

私の問いを肯定も否定もせず。

紳士「どんな将棋を指すか見たかったのですよ。大変おもしろい対局でした。ありがとう。」

ボロ負けしたのになんかお礼まで言われてしまう妙な対局だった。強すぎて同じシマに対戦相手がいない人に捕まった一局だったから、相手の機嫌が良かったのも当然か、と皮肉の一つもボヤきたくなる(笑)。

私『中盤までそこそこいい勝負だったのも、実は手を抜かれてたのかもなぁ。』

その後、飛車落ちではもっといいところなく負かされました。

CIA(内部監査人)や行政書士資格から「ルールについて」、将棋の趣味から「格上との戦い方」に特化して思考を掘り下げている人間です。