負けられない理由

心の平静を極力保ち、客観的な判断力が鈍ることは極力避けなければならない。酒を呑み酔うのも最小限にとどめる。強迫観念にも近い考え方のルーツは私が高校1年生の頃のある事故に由来している。

私は当時、近所の小学生兄妹の家庭教師をしていた。ある日、勉強の気分転換と称し、3歳の実妹を含めた4人で自宅前路上で遊んでいた。教え子の少年が悪ふざけをしてボールを民家に投げ込んだ時、私は感情の制御に失敗した。

責任のある人間に解決させるのは理想だが、その人物に解決能力がない場合は解決能力のある人間が動くしかない。つまり、その民家(空き家)に塀を乗り越えて取りに行けるのは私しか居ない。

教え子兄妹に実妹の保護を頼み、ボールを取りに行けば問題は無かった。ところがカッカとしていた私は小学生の兄に「頼みごとをしたくない」という妙な意地が働いてしまった。
塀を乗り越えてボールを取っている最中に限りなく嫌な予感がして塀の中から実妹の確保をお願いしたが・・・間に合わなかった。

妹が道に飛び出したらしく、車と接触したらしい。強運の妹は幸い、しりもちをついただけで、大した怪我も後遺症も無かった(今もぴんぴんしている)。だが、私にとっては痛恨の出来事だった。一歩間違えば取り返しのつかない事態を招く。また、車の運転手さんにも気の毒だった。正しい判断を下せなかった私が妙な意地を張り発生した事故だ。関わった全員が少なからず不幸になった。

感情制御にしくじった自分が誤った判断を下し、自分にとって大切な存在を守れない。あんな失敗は二度と御免だ。すぐに感情的になったり、あきらめて泣き言を言ったり、判断力を失う人間を少なからず低く見てしまうのはコレに由来する。

傲慢はもちろん嫌いだが、謙遜のしすぎが嫌いなのもコレが原因だ。正しい自己分析とはいえない。30年経過した今も我ながら未熟さは相変わらずだが、以前よりは感情制御も客観的判断能力も僅かに向上していると思う。


CIA(内部監査人)や行政書士資格から「ルールについて」、将棋の趣味から「格上との戦い方」に特化して思考を掘り下げている人間です。