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母の鬱病からの気付き

私は、社会人になって毎日がウキウキの裏腹
将来についていつも不安を感じてました。

仕事の方は、毎日が楽しく新しい発見と学びの連続でした。ですが何か足らないと私の中では満足感は無かったのです。

そこで、従兄弟のお誘いで大学に行く事にしました。大学の教授が地元に近い場所へ来て受講出来る環境だったのでとても有り難かったです。

なので平日は仕事して週末だけの授業を受けると言う日々を過ごしました。これはエキサイティングでした。大学行くまでの道乗りや、行ってから他の受講生に会う楽しみが私のライフスタイルに少し彩りを添えてくれました。

それから何年か経ち、またして飽きるのです。これは、この時は気付かなかったが、受動態だったからだと思う。自分から動く自分の望むところへ進むことがベストなのかもしれないと最近の一番の気付き。

これも、母の鬱病のお陰で、仕事を辞め自分の進みたい所へ行く。キッカケを得た。
これは、とてもエキサイティングだった。
地元を離れ、知らない環境へ飛び込む。新しい環境へ飛び込む。毎日がウキウキでした。

ここまできてふと思ったこと。

何故人は鬱病になるのか。

ある時、こういう人がいた。

鬱病は、完璧主義の人がなる。と、
確かに母は完璧主義とまではなかった。だが、
起こってもない事に不安を感じてました。

その起こってもない結果、結末に恐れを感じてたのですね。結果そのままが反映してさらに落ち込み鬱が深まる。

だが、結果どうであれ、もっと怖いのはその不安の材料となってる事を体験しない事なのだ。

私自身がそうであった事を体験したからこそ言える。私は、この頃ある会社に長年勤めていて次のステップに行くためにそこを辞めたかった。だが自分のエゴから辞めたいと言えず数年が経ち母が鬱になった。これは良いキッカケだと思い上司に相談したところあっけなくオッケーを頂いた。その時に話してくれた事を覚えています。会社が人が足らなくて困るのは事実でも、それはどうにでもなる。代わりはいくらでも探せる。代わりがいないと思うのは自分のエゴであると知った瞬間でした。

辞めたいと中々言い出せなかった自分が恥ずかしく思いました。これは、同時に「辞めたい」という事を言えない体験の恐れから解放された瞬間でもありました。

それからは、なるべくどんなに怖いと思っても体験する事を恐れなかった。

それでも、時々怖い時もあるが、時間差でやる時はやりきるようにしてます。

どんなに悪い状況下でも、どんなに恥をかいても、この体験することに勝るものはないのですからね(^ ^)

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