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親の影響でまっきーが好き。最近のアルバムは全然聴いてないけど2000年代前半までのアルバムはほぼ全部聴いてる、で一番好きなのが99年に発売されたCicadaというアルバム。まずジャケットが美しい。そしてジャケットからもなんとなく諦観というか葛藤みたいなのが見えるんだけど、総じてキラキラした夏を眩しく、自分には関係ないものとして見ているような行き詰まった感じがある、こういう夏のイメージに合うアルバムってなかなかない気がする。昨日の雲が夏で、今日のアスファルトの匂いで本当に夏を感じて、クーラーガンガンのTSUTAYAの匂いとCicadaを思い出した。

京都の瑠璃光院かな?行ってみたい

このアルバムが発売された直後に覚醒剤で逮捕されて、大人になってからこのアルバムを聴いてその事実を考えると妙に納得してしまう。まっきーの曲を聴いていると、ピュアに生きようとしていて、本当に心からピュアである瞬間と、それでは生きづらい世の中に耐えられなくなってしまう瞬間の葛藤みたいなのを感じることがあって、それが覚醒剤とかにつながったのかなと思ってしまう。で、このアルバム出したときってもしかしていまのわたしと同い年くらいだったかなと思ったらドンピシャだった、30歳のときに出したみたい。

前も同じようなことを書いたけど、たのしいこと・うれしいことがたくさんあっても、なんとなく自分の人生はずっと鬱屈としていて、すごく恵まれているのにいつまでも負け組体質で、でもそれを変えるほどの気力もないっていうか、それが自分が生まれ持ってきたものだからそういうもので、一生これに付き合ってその度に耐えて生きていくんだと思ってた。で、誰かと一緒にいてもこの気持ちは解消されないし、誰かに話したとしても同じように思ってる人と「あわかる苦しいよね」ってお互いの苦しさを確認し合うだけで別に人に話したら苦しさを分け合えるとかなかった。毎日じゃなくても心が辛くなることがあったりとか、漠然とした不安があったりとか、寿命が80歳だとして、こんなに苦しいままだったらわたしあと50年も生きられない、どこかで自分で終わらせてしまうって思ってた。
でもなんか、最近本当にすこし変わった。パートナーと一緒に生活していっぱい笑うようになって、単純に、たのしい時間が増えて悩む時間が減った。あと鬱から回復して、ふつうに苦しい時間は少ない方がよくない?ってなったのと、大らかに?なった。前は後輩の言動がいちいち気になって「人には得意不得意がある」って頭ではわかっててもそうは思えなかったのが、本当にそう思えるようになったりとか、街で困ってる人がいたら声をかけた方がいいってわかっててもなんとなく周りが気になって声かけられなかったのが、まじでどうでもよくなってすぐ行動できるようになったとか、なんというかいろんな人(自分も他人も)・もの・ことを許せるようになったというか、素直になったというか。
いや、気持ちはハタチから変わってないし、ムカつくこと超あるし超悪口言うしけど、前より生きやすいし自分でもいまの方が心地いい。しかも苦しい気持ち自体を忘れるわけでもなくて、それっていまの自分最強じゃんと思ったりする。

わたしはたまたまこの1年くらいで結婚しようと思えるくらいの人と一緒に生活することができて、鬱と回復を経験して、たまたま生きやすくなったけど、30年近くモヤモヤ生きてきて、この先の長さを考えたら薬に助けてもらったり自分で終わらせてしまったりするのわからなくない。米咲ちゃんもそうだったのかなとか。
だからこうして生きやすくしてくれた周りの人・自分の経験に本当に感謝してる。これからもできるだけたのしく生きていきたいな。

書いてからおまえアーティストの感性と自分の感性を一緒にするなよとなった、すみません。とりあえずCicadaすごくいいアルバムなので聴いてください。特に 1. introduction〜2. pool の流れと、5. Star Ferry と12. Cicada が歌詞もメロディも本当にきれい。本当に情景が目に浮かぶ。

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