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エビデンス偏重主義

今回はエビデンス(科学的根拠)に偏る見方のデメリットについて。
エビデンスは確かに重要ですが、それに拘り過ぎるとエビデンスの範囲でしかできない、ということになります。そうすると発展の余地はなくなります。そして、インスピレーション・直観を阻害してしまいます。もちろん、私たちには認知バイアスがあるので直観が間違うことは往々にあります。ですから、論理と直観が両輪のように回っていかないといけません。

多くの発見・発明、イノベーションは偶然に起こっています。セレンディピティと言われたりします。ただ、その偶然が起こっても、頭の中に知識がなければ何も起こりません。直観とは、その外的な偶然と内的な膨大な知識の結合から起こると考えられます。例えば、ニュートンがリンゴの落ちるのをみて万有引力を発見したという逸話がありますが、普通の人がそれを見ても何も発見は起こりませんよね。

また、エビデンスは平均値で積み上げてしまう可能性があり、エビデンスから論理を積み上げるとレベルの低いものが出来上がってしまいます。

例えば、運動学では、普通の人の筋肉の作用で積み上げてしまったら、レベルの低い運動理論が出来上がります。しかし、トレーニングしていない素人とトレーニングしたプロとでは、基本的な身体の使い方が違います。メッシやクリスチャーノ・ロナウドやネイマールなどの動きの共通点を抽出すれば、また違ってくるかもですが。

例えば、野球ではアマチュアとプロの投手の投げた時の筋電図が実験で確認されていますが、プロはアマに比べて外側の筋肉の活動が明らかに低く、インナーマッスルの働きはそのまま、もしくは活動的です。ですから、アウターマッスルよりもインナーマッスルを優位に使う運動学やトレーニングを考えた方がよいと思います。こうしたことは、後々の実験で明らかになるのですが、まずは実践的にやってみて、試行錯誤した結果、直観的に生まれてきた技術なのだと思います。ここは前回述べた経験の世界です。

私の潜在運動系も、単純な基礎理論を基にして、直観的に作ってきました。

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例えば、上の写真のようにダンベルを持って腕を挙上すると、通常は肩の三角筋は緊張します。しかし、私は鍛錬によって三角筋を緊張させない身体の使い方を習得しました。

なぜ、このようなことを習得したのかというと、19歳の頃、武術の鍛錬で肩を痛めてしまい、そこで「肩の筋肉を緊張させなければ痛みは消える」という仮説を立てました。そうして、独特の鍛錬法を編み出して、筋肉の完全弛緩が可能となりました。これを「潜在運動系」と名付けたのです。ご興味ある方は、拙著をご覧ください。

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もし、この時に、解剖学に詳しい人に相談していたら、「三角筋を緊張させずに挙上するのは不可能だ」とエビデンスの観点から言われていたでしょう。しかし、私たちの人体は、まだわかっていないことが多いのです。そこには、人体の神秘の大海があるのです。エビデンス偏重主義は、そこに制限をかけてしまうのが問題です。

人間は、まだ進化の途上かもしれません。私はそう思っており、今も鍛錬を続けて、変化し続けています。

自分の立てた考えが新しいことなら、当然、エビデンスがありません。そのエビデンスにないことに向かっていく勇気と、自分の仮説を信じる信念と、それを継続する継続力が必要です。そして、それが達成され、実験などで確認されれば新しい理論として確立されます。ちなみに、私も、大学の実験室で、バイオメカニクスの教授二名や学生に関わってもらい、実験をして、筋電図などを用いて証明しました。

あと、エビデンスのみで難病を考えた場合、可能性はなくなってしまいます。例えば、ステージ4の末期癌でも、たまに自然退縮することがあります。この自然退縮の症例を集めれば新しい理論もできるかもしれません。もちろん、まず主治医の言うことをよく聴き標準治療が重要ですが、もし可能性がないと判断されても、最後まで諦めずに、生命の奇跡を信じ、治療と並行して、様々な可能性を模索することが重要だと思います。

ちなみに、前回の記事はこちら

ということで、また。

【佐藤源彦プロフィール】
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