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【感想】『反省させると犯罪者になります』とコーチング・コンプライアンス教育

こんにちは、白山鳩です! クルッポゥ!

マガジン『本を読んだら鳩も立つ』での本のご紹介です。


前回の記事はこちらです。↓↓↓


さて今回は、
岡本茂樹の著書『反省させると犯罪者になります』から、

コーチングやコンプライアンス教育へつながる学びを探っていきます。



1つの記事あたり、だいたい5分で読めますので、お気軽にスクロールしてみてください!

ただし、ネタバレ注意です!


感謝して反省することを覚えろ?

鳩がまだ高校生だったとき、漢文の授業で、


「男が家で寝ているうちに出火し、家が火事になった。

そこへ飼い犬が飛び込んで男を起こしてくれた。

男は助かったが、犬が犠牲になってしまったので男は涙を流した」


というような文章があり、

「このときの男の気持ちを答えよ」

という設問がありました。


鳩は選択肢のうち、

「愛する犬が自分の犠牲となり呆然としている」

を選んだのですが、これは×。


正解は「自分を助けてくれた犬に感謝し、反省の涙を流している」でした。


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納得がいかない鳩は、

「仮に、道路を歩いているところへクルマが突っ込んできたとして、

とっさに自分の子どもが身代わりになって自分だけ助かったとしたら、

呆然としませんか?」

「『我が子、ありがとう! 反省するわ!」と思いますか?」


と国語教師に質問すると、


「おまえはまず人に感謝することを覚えた方がいい」


などと説教されました。うん十年経ってもいまだに根に持っています。


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さて、みなさんはどう思われましたか?


人間とは、いつも瞬時に反省ができる生きものなのでしょうか。


悪いことをした人を反省させると犯罪者になります。

さて、ここで『反省させると犯罪者になります』を見ていきましょう。



タイトルからして我々の直観と真逆のことを言っているこの本。

そのまえがきにはこんな文章がつづられています。


(「友達から借りた本を返さない」「学校や会社から文具類を持ち帰った」といった行為を指して)

こうした行為は、窃盗という犯罪です。

ほとんどの場合、自分から申告しないかぎり見つかることはなく、
たとえ発覚しても罪に問われることもないでしょう。

もし発覚しても、
「不注意でした。本当にすみません」
と言って終わります。

しかし、私が問題視したいのは、ここなのです。

「悪いことをする」

「『すみません』と言って反省する」

「終了」
というパターン
なのです。


これだけ見ると、

「なんだ、よく見る説教と反省のパターンじゃないか」

とみなさんも思われたことでしょう。


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しかし著者の岡本さんは、

「すぐに『反省の言葉』を述べる加害者は悪質」だと指摘し、

「『人は悪いことをしたら反省することが当たり前』という考えが大半の人に刷り込まれている」と言及しています。


そのせいで、

「悪いことをした人間は反省しているそぶりを見せるべきだ」

「反省しているそぶりのある人間は信用できる」

という風潮が生まれていると言うのです。


しかし、これまで述べてきたように、
自分が起こした問題行動が明るみに出たときに最初に思うことは、反省ではありません。

事件の発覚直後に反省すること自体が、人間の心理として不自然なのです。

もし、容疑者が反省の言葉を述べたとしたら、疑わないといけません。

多くの場合、自分の罪を軽くしたいという意識が働いているか、
ただうわべだけの表面的な「反省の言葉」を述べているにすぎません。

そのように考えると、犯罪を起こした直後に「反省の言葉」を繰り返す犯人(容疑者)は、
反省の言葉を述べない犯人よりも、
「より悪質」という見方ができます。


「反省文」は抑圧を生む危ない方法

悪いことをした人間はたいてい、「反省文」を書かされます。

学生のうちもそうですし、大人になっても「始末書」を書かされることがあります。


ですが、このような「反省文を書かせて終わり」という対処は、根本的には何も解決をしません。


反省させるだけだと、なぜ自分が問題を起こしたのかを考えることになりません。

言い換えれば、反省は、自分の内面と向き合う機会(チャンス)を奪っているのです。

問題を起こすに至るには、必ずその人なりの「理由」があります。

その理由にじっくり耳を傾けることによって、その人は次第に自分の内面の問題に気づくことになるのです。


ここに理解の補助線を退くならば、

「反省というのは誰かに強制されるためのものではなく、

自らの内面で自然と沸き起こらなければ意味が無い」

ということでしょう。


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実際に同著でも、

「自分の内面を考える気持ちが自然と湧くような反省は問題ない」としています。


しかし、「他人にどんな迷惑をかけたのか、考えろ!」と、

「自分以外の他人の気持ち」について、

「強制的に考えさせられる」反省は、かえって有害だと指摘されています。


この場合の「内面の問題に気づく」ための方法は、「相手のことを考えること」ではありません。

親や周囲の者がどんなに嫌な思いをしたのかを考えさせることは、確かに必要なことではありますが、結局はただ反省するだけの結果を招くだけです。

私たちは、問題行動を起こした者に対して、
「相手や周囲の者の気持ちも考えろ」
と言って叱責しがちですが、
最初の段階では「なぜそんなことをしたのか、自分の内面を考えてみよう」と促すべきです。

問題行動を起こしたときこそ、自分のことを考えるチャンスを与えるべきです。

周囲の迷惑を考えさせて反省させる方法は、そのチャンスを奪います。

それだけではありません。寂しさやストレスといった否定的感情が外に出ないと、その「しんどさ」はさらに抑圧されていき、最後に爆発、すなわち犯罪行為に至るのです。


コーチング:否定的感情を吐きだすことが出発点

では、問題を抱えている人たちに対してどのようなアプローチをするべきなのか。


著者の岡本さんは、

「不満や怒りといった否定的感情があれば、それを外に出すように促す」方法を勧めています。

その際に用いているのが、「ロールレタリング」という手法です。


・架空の形で(相手に読んでもらうために書くことが目的ではない)、

・「自分から相手へ」「相手から自分へ」の手紙を書き、

・往復書簡を繰り返すうちに、自分自身の内面をみつめたり他者を理解しようとしたりする心理技法


だと紹介されています。


受刑者が、自分の悲しかった過去を吐き出した後、
被害者のことを考えるようになるのはけっして珍しいことではありません。

否、ほとんどの受刑者がこの過程を辿っています。

実は、これこそ、本当の反省へと通じる流れなのです。

このことは、犯罪心理を考えればよく分かります。

なぜ受刑者は殺人など重大な事件を起こせるのでしょうか。

殺人という行為は、言いかえれば、

「他者を極めて大切にできない気持ちがあるからできること」と言えます。

ではなぜ他者を大切にできないのか。

それは自分自身を大切にできなくなっているからです。

(中略)

彼らが被害者の心の痛みを理解するためには、自分自身がいかに傷ついていたのかを理解することが不可欠です。

それが実感を伴って分かったとき、受刑者の心に自分が殺めてしまった相手の心情が自然と湧きあがってくるのです。

そして、そのときこそはじめて真の反省への道を歩み出せるのです。


同著内では受刑者を想定した記載がされていますが、

しかしこれは、コーチングの考え方にも通ずるところがあるのではないでしょうか。


人間は、自分以外の力を借りることで初めて、自己の内面について立ち止まって考えられるようになる

自分の感情を解きほぐすチャンスがあって初めて、本当は何をしたかったのが見えてくるのではないでしょうか。


ただし、ロールレタリングはKPIを設定して書きまくればいい、というものではありません

悪い例として、同著では、計18通もの往復書簡を書かせている少年院が挙げられていました。


考えてみれば分かります。

被害者との往復書簡を全部で18通も書くのは「苦行」となるでしょう。

しかし、教官の指示は絶対です。

最悪の場合、教官の気に入るような文章を書くことになります
刑務所で面接をしていると、少年院に入っていたときにロールレタリングを書いた経験のある受刑者に数多く出会います。

彼らの口から、
「そんなものを書いた記憶がある。
とりあえず反省文を書いておけばいいのだろう」
という言葉が出るたび、「やっぱりな」との思いを抱きます。

ロールレタリングが「反省文の書き方講座」になっているのです。

ロールレタリングは嫌な感情や思いを吐き出して「心の整理」をする技法なのに、これでは本末転倒と言わざるを得ません。


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単純に書く回数をこなすことを目的とするのではなく、

相手の心情に寄り添い、必要なときに相手の心情を吐き出させることが求められている、というわけですね。


コンプライアンス教育:「いじめたくなる心裡」から始める

岡本さんは学校教育における「いじめ防止」についても言及しています。

従来のいじめ防止教育における「いじめられた子」の心情を考えさせる指導が徹底されていることを批判しているのです。


教材は、いじめを苦にして自殺した子どもの遺書やいじめられた子の日記です。

そして「いじめの非人間性、いじめの虐待性について認識させる」というのです。

いじめられた被害者の心情を理解させて、
「いじめは人間として最低の行為だ。
絶対にあってはならない」
と思わせる手法です。

大なり小なり、ほとんどの人はこのような内容の授業を受けた経験があるでしょう。

そして、ほとんどの人が、「そう言えば、あんな授業があったなあ」ぐらいの感想しか持っていないのではないでしょうか

(中略)

いじめた加害者は悪い奴で、

いじめられた被害者はかわいそう。

だからいじめをしてはならない。

シャンシャンです。

一時的な効果はあるかもしれませんが、これではまったく深まりません。


みなさんが会社員だとして、務めている会社でコンプライアンス教育を受けるときのことを思い出してみてください。

これと、共通する点もあるのではないでしょうか。


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そこで、岡本さんは、「加害者の視点」からいじめ防止教育をスタートするべきだと指摘しています。


もちろん、いじめという行為は許されるものではありません。

しかし、いじめる場合にも、いじめる側の「理由」があります。
(私はいじめられた子どもの方にも問題があると言っているのではありません)。

その理由を明らかにしないかぎり、本質的な問題には迫れません。

いじめられた子どもの気持ちを考えさせると、なぜ「いじめてしまうのか」を考える機会を奪うのです。

したがって、被害者のことを先に考えるのではなく、まず加害者の古都を徹底的に話し合うことが必要です。

「なぜ、いじめたくなるのか」を皆で話し合うのです。


「セクハラをする人は、なぜやってしまうのか」

「不祥事を起こす人間は、なぜそこにいたったのか」

といった加害者の観点でのディスカッションは、企業のコンプライアンス教育においても、大きな利点があるのではと考える鳩でした。



以上、『反省させると犯罪者になります』とコーチング・コンプライアンス教育にまつわる記事でした。


次回「本を読んだら鳩も立つ」では、『じぶん・この不思議な存在』について書いていきます。


お楽しみに。

to be continued...


参考資料

・岡本茂樹(2013)『反省させると犯罪者になります』(新潮新書)


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