INSEAD MBAサバイバル記
*これは、実話を98%もとにしたフィクションです
終わりの始まり
それは1学期を終え、2学期も始まった秋の夕暮れ。僕はいつものように、授業後に学校のカフェで友人たちと談笑していた。この頃には、酷かった英語力も大分マシになって、会話の内容を理解することは勿論、時には気の利いたジョークをかまして笑いを取るまでに成長していた。
イタリア人クラスメイトのマルゲリータが「そういえば、そろそろ成績発表ね」と話題の矛先を変えた。そういえば、、、そうだった。1学期はコア科目といって、会計・経済・マーケティング・統計等の極めて基礎的な知識を学ぶ。普通にビジネスをしてきた者であれば、基本的に既知の内容が多く、どちらかというと元軍人等、非ビジネス系のバックグラウンドを持つ生徒向けの科目であった。
僕はというと、商社時代経理部に在籍したこともあり会計は得意だったし、出身は経済学部だ。成績の一部を占める事前の小課題の提出も抜かりなくやっていたし、英語のハンディキャップはあったものの、授業中の発言も定期的にしていたので(MBAでは、授業中の発言も成績評価のポイントとなる)、特に成績に懸念はなかった。なんなら、期末のペーパーテスト中に余裕の居眠りすらしていた。
マルゲリータが続ける。「今回、学年で3人くらい悲劇的な成績をとった生徒がいるんだって、教授達が凄く心配しているみたい。」
そんなやつがいるなんて。僕は、呆れるを通りこして、憤っていた。INSEADの学費は、当時でも1000万円近くした。そして、欧州No.1と謳われる名門校でHarvardやStanfordの合格通知を蹴って入学する猛者も少なくない。そんな崇高な学び舎に、一体何をしに来たというのか。しかもティーンエイジャーならいざ知らず、社会人経験のあるいい大人達である。まったく恥ずかしい。
「あんな簡単なテストで、可哀そうな人もいるもんだね。フォンテーヌブローの森に棲むイノシシでも、もっとましな成績取るよな」僕は皮肉を込めて返した。
「そういえばさ、今週末シャンパーニュに日帰りでいってみない?」INSEAD MBA生はStudy hard, Play harderである。話題は週末のアクティビティに切り替わり、僕は成績発表のことはすっかり忘れ、クラスメイト達と週末の日帰り旅行のプランニングをするのだった。
届いたメール
その晩、自宅で愛用のマックブックを開いた僕は、なにやら見慣れない宛先からメールが来ているのを目にとめた。ジェームス??誰だっけ??あー、たしか本学の校長もそんな名前だったか。胸騒ぎがして、メールを開いてみた。そして、僕は全てを悟った。
俺かいぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!!!!!!!!
そう、そこには成績が非常に悪かった旨と、今後の対応について緊急に会議がしたいので、校長室に来てほしい旨が書かれていた。一瞬血の気が引いたが、僕も大学時代は一年生の冬にほぼ留年を決めた剛の者である。「大袈裟に騒ぎ立ておって、これだからアマチュアは」と気を取り直すことに成功した。成績不良だと?優等生ばかりに囲まれた、いわば教育者としてぬるま湯につかり切った奴が何をいうのか。多少成績が悪かったくらいで校長室に呼び出すなど、デモンストレーション猛々しい。僕は、オンラインで成績発表されているのを思い出し、IDとパスワードをサイトに入力して、念の為成績を確認してみた。そこには、別次元の宇宙が広がっていたのだった。
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