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東西抗争について

西海岸のHIPHOPがアメリカ全体で有名になったころ、1995年にDeath RowのSuge Knight(シュグ・ナイト)は新たに2Pac(トゥーパック)というラッパーを仲間に入れようとしていました。

Suge Knightは、当時刑務所に収監されていた2Pacに保釈金を支払い、そのまま、Death Rowのメンバーに引き入れました。
 
その後すぐに開催された、The Source主催のHIPHOPアワードの授賞式で、東海岸で大ヒットを生み出していたBad Boy RecordsのCEOであるSean Combs(ショーン・コムズ)に対して、「Bad Boyの楽曲にはSean Combsの名が登場している。CEOに媚びたくないやつはDeath Rowに来い」と言い放ちました。この発言を基に東西のHIPHOPシーンが二分化され、「東西抗争」と呼ばれる事件が発生しました。
 
1995年にDeath Rowに所属するTha Dogg Poundというラッパーが、「Dogg Food」というアルバムをリリースしました。
 
この収録曲の「New York New York」が東海岸への宣戦布告として有名になり、このころから東西でお互いの地域をディスり合う事が盛んにおこなわれるようになりました。Dreはこの事態を良しとせず、HIPHOPのドキュメンタリー映画の「The Show」で「これ(東西抗争)はエンターテインメントであり、現実ではない」と訴えます。
 
しかし、当時は東西抗争により、HIPHOPをお金に変える流れがあり、Dreの発言でこの形を変えるほどの影響はありませんでした。
1995年後半に、2Pacが銃撃される事件が発生しました。2Pacは一命を取り留めましたが、東西の関係は悪化しました。
その中、2Pacと過去に親交があった、Biggy(ビギ―)ことThe Notorious B.I.G(ノトーリアス・B.I.G)という東海岸を代表するラッパーが「Who Shot Ya」という楽曲を発表します。この発表を受け、2Pacはあの襲撃はBad Boyが首謀したのではないかと疑念を持つようになります。

1996年初頭、2Pacは「Hit' Em UP」というシングルアルバムをリリースします。このアルバムのリリックには、2PacがBiggyの妻だったFaith Evans(フェイス・エヴァンス)と肉体関係を持つことを示唆し、BiggyとSean を脅迫するものでした。
 
このアルバムにより、東西海岸の関係が険悪になり、1996年3月にマイアミで開催されたソウル・トレイン・アワードの授賞式にてDeath RowとBad Boyの両レーベルが銃を持った取り巻きたちを引き連れて登場しました。
 
このような抗争の中、1996年9月7日、2Pacが銃撃され6日後の9月13日に死亡が確認されました。さらに1997年3月9日にThe Notorious B.I.Gが銃撃され、死亡が確認されました。両名20代半ばでこの世を去りました。
 
これらの事件が立て続けに起こり、Death Rowが2006年に倒産となりました。一方でBad Boyは、Biggyのセカンドアルバム「Life After Death」をリリースし、Biggyの存在を伝説的なラッパーとしました。
 
このことにより、東西の抗争は完全に沈静化しました。
 
今回は、東西抗争についてまとめていきました。次回でもDreの紹介を続けます。