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第507回:「こんな大人になるはずじゃなかった」と思っている全ての大人たちが聴くべき曲

かんじゃ…………否、SUPER EIGHTの曲がサブスク解禁されてしばらく経つ。だいぶ私の心の傷も癒えたようで、以前の楽曲をラクに聴けるほどにメンタルは回復。

久しぶりに聴いた『BOY』という楽曲が、昔学生時代に聴いた時とは印象が全然違っていたので、今回はその話をします。

あ〜〜!!!!! 8UPPERSのとき、全員ビジュ良すぎ〜〜〜!!!!!! 古のヲタク女子なら全員大好きな殺し屋パロをまさか公式がやってくれるなんて〜〜〜〜〜!!!!!!
……という、マジでヲタクの夢みたいなアルバムに、BOYという楽曲は収録されていやがる。

タイトルの通り、この曲は幼少期・思春期がテーマになっている。
だけど、この曲を聴いていた当時の私、絶賛思春期真っ最中な私には、この曲はミリも刺さらんかった。なんだろう、歌詞の意味がこれっぽっちも分からんかったんよね。いや、意味は分かる。意味は分かるんだけど、共感が全くできない。まあそれはこの曲が『BOY』というタイトルなこともあり、いわゆる『男子』をテーマにしているからなのかなと思っていた。私はこう見えてもれっきとしたうら若き乙女なので。そらこの曲も刺さりませんわな。

……と、思ってたんだ。ついこないだまでは。
私も思春期を過ぎ、しょうもなくも色々なことを経験し、いわゆる『大人』になった。ま〜つまんねぇ大人になったもんですよ。この世が何にも面白くない。思春期の頃にあった、理由のない『全能感』みたいなのはことごとくへし折られ、ただ空っぽの心とバキバキになった自尊心だけが残った。そんな中聴いた『BOY』は、カサカサに乾ききった心にあまりにも染み渡りすぎた。

鏡の中の僕は あなたの後ばっかり追いかけて
綺麗に整った前髪を
ぐしゃぐしゃにしたり横に流したり
当たり前に暮らしていた 空想ばかり膨らませて
夜道を駆け出してみては
行きたい場所と遠ざかったりした

こんなの、あのちゃんに憧れて黒髪ボブにピンクシャドウにしてた私の歌詞じゃん。小説家になれると信じて疑わなくて公募に出しまくったのに、全部落ちた私の歌詞じゃん。

家族の中の僕は
胡座をかいてた 未成年って立場に
綺麗にたたんだ服を
脱ぎ散らかしたり 羽織ったり
(中略)
夢は叶ったり 叶わなかったりする
遠い未来に手を翳していた

昔『未成年』という立場を経験したことがある人、つまり今大人になっている人全員、この歌詞めちゃくちゃ共感するでしょ。未成年の頃は分かんないんだよな、いかに自分が親の世話になってるか。そりゃ色んな境遇の人がいるだろうけど、多くの人は多分こっち派だと思うんだよな。私は実際こっち派だったし。全然親の世話になんかなってない、己で生きてると思ってたけど、全然そんなことない。めちゃくちゃ親の世話になってたんだよ。勝手に叶うわけもない夢とか呑気に見てさ。

鏡の中の僕は 胸を張ったらそれなりに見えて
それでも大人になったら 望んだ場所を見失っていった

こっからですよ、この『BOY』って曲の真髄は。
そしてこっからが、私が思春期だったときには理解できなかったパートに入っていく。それもそのはず、この曲は『BOY』(男の子)ってタイトルだけど、こっから先は『大人』についての歌詞になってるわけだ。だから思春期真っ最中の私が理解出来るはずがなかった。こっから先は、聴く人が大人になってようやく意味を成すようになる。

攻められたり 攻め倦んだりして
時には言葉が武器に変わったり
ふざけあったり 笑い転げたりして
遠い未来に手を伸ばしていた

「攻め倦む」ってどういう意味なのか調べたら、「攻めても効果が上がらないので飽きて嫌になる」ことらしい。これ面白いよね。攻められることと、攻めても無駄じゃんと嫌になることが対比されてんだよ。『大人』ってなんとなくそういうことなんだろうな。攻めて満足することなんてなくて、攻めても虚しさだけが残る。そして自分が今度は攻められる立場になる。そんな繰り返しの中で疲弊していって、諦めとか虚しさが一定値を超えると、それが『大人』への入口になるんだろう。

この曲の最後のフレーズは、こんな言葉で終わる。これは思春期の私が、ガチで理解できなかった歌詞。なんでこんな歌詞で終わるんだろう、これってどういう意味なんだろうって思ってたけど、大人になった今、どの歌詞よりも心をえぐっていくこの歌詞。

終わりなんか無いって思ってた
終わるはず無いって思ってた

思春期の頃はさ、「『思ってた』って、じゃあ実際は違ったってことじゃん。なんかすっきりしない終わり方すぎ。じゃあ実際はどうなんだよ。実際はどうかを言った方が綺麗に歌も終わるのに」と思ってたんだよね。
でも大人になって聴いたらさ。そうなんだよな。実際はどうとかじゃないんだよ。実際のことなんか口に出したかないよ。確かに「終わりなんかない、終わるはずない」って思ってたことがいっぱいあったんだ。あったんだよ。本当にたくさん、幼少期・思春期の自分を支えてたものがあって、それが終わるなんかこれっぽっちも思ってなかったんだ。
っていうか、そう思えていた時期が一番綺麗で美しかったんだ、今思えば。終わるはずないと信じて、終わるかもしれないという不安なんか脳裏によぎることすらなくて、根拠の無い『全能感』に酔っていたあの頃が、どれだけ美しかったか。
それを表現するには、このラストフレーズで大正解だったんだ。

個人的には、この曲で伸びやかに歌うすばるくんの声が、すばるくんの過去や現在を考えるといい意味で苦しく、痛々しく、そして軽やかで美しくて、やはりこの曲はSUPER EIGHTが歌うべき曲だったんだと思わずにはいられん。
昔、何も怖いことがなかった思春期のBOYたち。そして今、全てに絶望して乾いた大人たち。この曲を聴け。そして、ひび割れた心にこの曲を染み渡らせ、心を痛めてくれ。

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