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第510回:どうやって責任を取ろう

巻き起こる全ての事象に一喜一憂して、「やってやるぞ」と「何もしたくない」を繰り返しているうちに、もう1年も半分過ぎるらしいね。そんなん聞いてない。やめてください。多様性の時代とか言うんだったら、少しは『もう少し1年をゆったり過ごしたい』という私に配慮してくれてもよくないですか? ご検討の程、よろしくお願い申し上げます。

やる気が出たり、そうと思えば入ったりしているけど、それも仕方がないと思う。
「何かをするぞ」と思うと、絶対に付いてくるのが「責任」っちゅうやつだ。何かをすると決めたら、それを成し遂げるという責任が伴ってしまう。例えば就職すると決めたら、その職場に毎日行くという責任、そこで仕事を進めて終わらせるという責任が発生する。電話を取ればその電話内容をきちんと把握するという責任が生まれるし、図書館に行けば本を期日以内に返却する責任が生まれる。
人はなんやかんや言いながら絶対一人では生きていけんので、必ず人と関わることになる。人と関わってしまえば、その瞬間責任が生まれる。

責任を果たす、っちゅうのはかなり難しい。自尊心と自己肯定感が低い私みたいな奴には特にそうだ。だって、兎にも角にも「責任を果たす自信が無い」。職場で失敗しない自信も無いし、電話の内容を忘れない自信も無いし、本の返却期限を超過しない自信も無い。

責任が果たせなかった場合、どうやって人間は責任を取るんだろう。
めちゃくそに金持ちだったら、慰謝料を支払ったりして責任を取るんだろうが、私にはそんなお金が無い。能力を持っていれば、その能力を生かして、失敗の尻拭いを自分でできるんだろうけど、私はそんな能力持ち合わせていない。何かに失敗したとき、私ができることと言えば、せいぜいパニックを起こしてその場で右往左往するくらいだ。確かに謝罪くらいはできるけど、無能人間の謝罪で責任が取れるなんて思っちゃいない。謝罪で損した金が返ってきたり、壊れた物が直ったりすることはない。

一応無職を卒業して、今一般企業で働いてるけど、もちろん昇進したいなんて微塵も思わん。だって自分の尻拭いすらできないのに、どうやって部下の尻拭いするんだよ。昇進どころか、誰かに仕事を教える立場にすらなりたくない。いわゆる『先輩』にもなりたくない。自分の教えたことが間違っていないという確信がずっと持てないからだ。だからずっと後輩でいたい。分からないことがあったら、へらへら聞きに行っても大丈夫な立場でいたい。
本当は電話だって取りたくないし、お客さんに何かを尋ねられたくもない。お金の計算だってしたくないし、飲み会の会場の予約だってしたくない。だって、全てに責任が伴い、その責任を確実に果たせるという自信がなく、果たせなかった際の『責任の取り方』が微塵も分からないから。

失敗した時、自分だけが損をする『責任』ならまだいいんだよな。だって失敗して自分が損をしても、耐えればいいんだし。
他人に迷惑がかかるタイプの責任が負えないんだよ。誰よりも自分が信用ならないんだから。

そうは言っても、自分のことが信用できないのなんかみんな一緒なんだろうな。そんな中でも、みんな覚悟を決めて責任を担ってるんだろう。
ってことは、みんなは知ってるってこと? 『責任の取り方』。知ってるんだったら教えてほしい。いや、みんな知らないのか。知らないから、自ら命を絶ったりするんだもんな。結局何を持っても責任が取れないから、自分の命で償います、ってことなんだろ。私も究極はそうすると思う。
けど、私みたいなもんの命に何の価値があるっていうんだろう。私が命を絶ったところで、償えるものなんか何もない。私が死んでも、損したお金は返ってこないし、壊れた物は直らない。

なんか、無いの? 責任の取り方ガイドブックみたいなやつ。こんな情報社会なんだからあるだろ、絶対。無い方がおかしいよ。いただき女子のガイドブックがあるんだから、責任の取り方ガイドブックだってあっていいだろうが。なんで無いんだ。責任の取り方知ってる人が作るべきだろ。それが人間の一番果たすべき義務ってもんじゃないのか!

責任の取り方が分からない以上、なるべく責任を負わない方向で動く以外に、今私ができることはない。責任を負わないためには、なるべく『何もしない』ことが最善だと、私は結論付けている。でもね、やらなきゃいけないことはたくさんあるし、やりたいことだってたくさんあるんですわ、これが。
責任の取り方を探す旅はまだ続く。

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