「POTSUNEN 〇~maru〜」の「丸の人」を語らせろ

「POTSUNEN」シリーズを、公式YouTubeに上がってる分は全部観つくしてしまった。最高やったな~、ほんまに。なんでもっと早くハマらんかったかな。もしもっと早くハマってたら、生の公演観に行く機会もあったかもしれんのに。

全部観た上で私が一番好きな公演はおそらく「ポツネン氏の奇妙で平凡な日々」。台詞ほとんど無しであれだけ人を笑わせるって何? しかも日本だけじゃなく世界の色んな人が観ても笑えるように作られてるって何? 意味が分からない。しかも、ピエロみたいに動きが特段面白いってわけでもない。一体私は何を見せられて、何を面白いと捉えて、何に笑ったのか? いまだにその結論が出せなくて面白い。

でも、一番好きなコント、というかあれなんて言うの? パフォーマンスでいいの? は、「ポツネン氏~」公演にはない。
一番好きなパフォーマンスは、「POTSUNEN〇~maru~」の「丸の人」よ。あれが一番好き。大号泣したんよ、あれで。

あれ、創作に関わったことのある人ならみんな泣くんやないかな。

ここにあらすじ書きたいんやけど、あらすじを書くよりも本編を観てもらった方が絶対にいいのでリンクにしよう。できれば公演を全部観てから、この日記は読んでほしい。

▼▼▼以下、観た人にしか分からん話をします。注意▼▼▼








私がこの「丸の人」で泣いた理由を考えた時、それは「悲しい」とか「寂しい」とか、そういう感情じゃない気がした。近い感情は、「嬉しい」なのかもしれん。

最初、私は自分が「悲しい」から泣いたんやと思ってたんよね。最後のシーン、主人公は「死んだ」と捉えたから、主人公が死ぬのは悲しい、だから涙が出るんやと思った。でも、私結構ひねくれ者でさ。普通、創作物で人が死のうが全く泣かないのよ。「悲しいの演出」で、結局は作りもんやないか、って思ってしまうんよね。だから、いくら映画の中で好きな俳優が死のうが子供が死のうが犬が死のうが、泣かない。確かにその時は物語に没頭してるから悲しいんやけど、「作りもんやしなぁ」と頭のどっかで思ってるから涙は流れない。
でも、「丸の人」では普通に涙が流れた。だから多分私のこれまでの経験も考えたら、「悲しい」以上の何かが関係して泣いたんやろうなって思ったわけ。

結論として、私が泣いたのは、「創作者のことを一番知っているのは創作物であり、創作者のことを一番よく表すのも創作物である」っていうことに気付かされたからじゃないかと思う。

ここで出てくる「丸」は、主人公の作ったものなんよな。それが急に喋り始めて、最後は人のような形になって主人公に触れ合うことも出来る。
「丸」は、これまで主人公が創作するにあたってやってきた努力を全部知ってた。自分の好きな物を信じて追い求めて、誰にも響かなくても作り続けたことを知っていた。もうその瞬間の「丸」は、ほぼ主人公そのものと言ってもよかった。

これは別の公演「SPOT」の中の「うるうびと」っていうパフォーマンスを観て思ったことなんやけど、時々小林賢太郎氏のコントの中には「一人では死にたくない」っていう感情が見え隠れするときがある。ほんまにそう思ってるかどうかは知らんけど、なんとなく私にはそう思えてしまうんよな。もしかしたら私がそう思ってるから、無理やり重ねてしまってるだけなのかもしれんけど。

この「丸の人」でも、同じ感情を感じる。一人では死にたくない。

最後のシーンで主人公がどうなったのかは明かされてないから分からんけど、私は「死んだ」と捉えたんよね。そう捉えた時、やっぱり死ぬときは一人じゃなかった。厳密に言えば一人やったんかもしれんよ、誰にも響かない創作を一人でやり続けて、変な人だと思われていた主人公は、傍から見たら一人だったかもしれん。でも、主人公にとっては「丸」がいたから一人じゃなかった。

最後に主人公を抱きしめたのは、創作物だった。創作物は最後まで優しくてドラマチックだった。創作物というのは創作者が生み出したいわば創作者の分身であるから、創作者もおそらく、ドラマチックで優しい人間だったんだろう。

私も割と創作を真面目にやってきた人間や。創作物はたくさんある。誰にも認められず、誰にも響かず、でも一生懸命やってきた。
だからおそらく私は、死ぬときは一人じゃない。心込めて生み出してきた創作物がある。創作物は知っとるのよ、私がどれだけ必死にこいつらを生み出してきたか。どんなに苦労して生み出したか。無名で、いくら作ったって何の足しにもならんかったかもしれん。でも、創作物は、創作物だけは私を一人にしない。そう思ったら嬉しかった。今まで作った物は誰にも評価されなかった、だからすべては無駄やと思ってた、でもそうじゃない。私は一人にならんために創作物を作り続けて来たのか。

そう思ったら、嬉しかった。何でもいいから、この金にならん活動に意味が欲しかった。それがここで急に見つかった。ゾッとしたのと同時に嬉しくて、安心した。大丈夫、私は死ぬとき一人じゃない。これから先、全く芽が出なかろうが、みんなに笑われようが、飯が食えなかろうが、大丈夫。一人じゃない。

多分私が泣いた理由はこんなとこなんやと思う。それでも時々ふと、「こんなことして何になるんや」って泣くこともある。もうこれは仕方がない。でも、きっと私が死ぬときは、創作物が「お疲れ様でした」って言ってくれると思う。それだけ心を込めて作ったから。私の創作物には私の心を削って入れてあるから。本気でそう思った。

観返したら息出来なくなるくらい泣いてしまうもんで何度も観返したりはしてないけど、日常生活でふと思い出すことがある。私も、「丸」を作る。これから。

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