「憎めない人」が憎いけど、「憎めない人」はやっぱ憎まれないんよね

「憎めない人」が羨ましくて憎い。結局憎いんかい。

 「憎めない人」っておるやんか。失態とか失言が多かったり、なんか人に迷惑かけたりするのに、なんか怒れない人。「そういうキャラやからね~」で済む人。待ち合わせの時間にいっつも遅れてきたりとか、言わなくていいようなことを言っちゃったりとか、お金の管理がルーズだったりするけど、何となく許してしまう人。
めっちゃ羨ましくない? ずるいと思う。

 「憎めない人」ってさ、普通に考えたら「憎む要素はある人」なわけよな。怒られても仕方がない、怒られるべき要因が必ずある人が「憎めない人」になる。けど、怒られるべき要因があるにもかかわらず、怒られない。
理由は色々あると思うけど、「憎めない人」に共通しているのは「可愛げ」。
 そういう人って、なんかやたらと可愛い。「人たらし」って言葉が似合う。懐に入るのが上手。多分、高校時代、スカートを短く折っていたのに生徒指導の先生にあまり注意されなかったタイプの人。何でかは分からんけど、人に気に入られるのがめちゃんこ上手い。

かくいう私は、よ。
 全く「可愛げ」ってもんがない。人の懐に入るどころか、近付く人全て傷つけるジャックナイフ。

 本当は、「憎めない人」になりたかったんよ。ただでさえ性格終わってるし、失言も失態も多いし、その上に可愛げが無いと来たらもうそれはただの「クズ」なんよ。

「憎めない人」を観察してたら、どうもあの人たち怒らないみたいね。人にも自分にも怒らない。自分に怒らないから色々ルーズなとこがあっても己を許してしまう傾向があるんやと思うけど、それと同時に人のことも怒ったりせん。だから、周囲の人はやたらめったらその人のことを怒れない。だって自分は怒られてないから。
 大人ってさ、相手と相互関係になることを好むやんか。対等な関係、というか。
相手が滅多に怒らないのんびりした人の場合、そんな人に向かって声を荒げて怒ったら、怒った方が「大人げない」っていう雰囲気になる。それを避けようと思ったら、怒らない人には怒らずに対応するしかないのよ。
その結果、「憎めない」っていう言葉で片付けるしかない。ほんまは心の中でみんな憎んでるくせに、「大人げない」って思われたくないから「憎めない」って言葉でその気持ちを隠す。でも、「憎めない」って言葉をわざわざ使うことによって、「あいつは憎んでも仕方ない要因があるんやけどな~! けど誰もあいつを怒れないから野放しにするしかないよな~! そうだよな~!」っていう気持ちを、押し殺した気持ちがある者同士で共有してるんやと思う。知らんけど。

 私は羨ましいよ、そういう人たちが。
 だって、憎まれるはずの要因があるのに、それをずっと許されて、良しとされて生きてこれてるんやもん。そんなズルいことあるかよ。
 普通の人間やったら、怒られて、治しなさいって言われることも、「憎めない人」はそれでも良しとされる。キャラやからね、って温かい目で見られる。
大人ども、ほんまにそれでええんか? 許してええんか? この悪行を。見て見ぬふりでええんか?

 普通の人はな、1回の遅刻をめちゃくちゃ責められるわけよ。それがどうよ、「遅刻常習犯」の人は、「遅刻常習犯やからな~」でおしまい。むしろ時間通りに来た時褒めてすらもらえる。

 よくTwitterでも話題になるやんか。「昔ワルかったヤンキー等が更生するのは偉いのか」問題。
 あれさ、「憎めない人」問題としてももっと取り上げてほしい。

元々ちゃんとしようと努力してる人は、「憎めない人」より偉くないんか? 「憎めない人」より褒められる回数が少ないまま生きていく人生を歩ませてええのか?

 当たり前のことを当たり前やと思うな、っていう言葉もよく聞くけど、ほんまにそやで。時間をめちゃくちゃ逆算して早め早めの行動を心掛けている人とか、失言の無いように一言一言を丁寧に選んで発してる人とか。
 別に「憎めない人」を明日から憎めって言うてるわけじゃなくてな。「憎めない人」ってのはそれはそれでもう才能やからさ。それでええと思うのよ。
ただ、「ちゃんとしてる人」のことももうちょい注意して見ようよって話。「一生懸命努力してちゃんとしている人」への評価が馬鹿低い気がすんのよ、世界。

 そうは言っても、「色々失敗はあるけど人付き合いが上手い人」の方が、「大きな失敗はあまりしないけど人付き合いが出来ない人」より好かれるのはまあ当たり前よな。私もちゃんと人付き合いが上手い人間になっておきたい。

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