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第491回:ベタな楽しみ方でも馬鹿と思われたくない

『令和ロマンの娯楽がたり』を観ました。
面白いね~、令和ロマン。実は令和ロマンを知ったのは去年のM-1グランプリ敗者復活戦。それ以前は一切知らなかった。まさか一年後にM-1王者になっちゃうとはな。早すぎるっちゅうねん。

『令和ロマンの娯楽がたり』で、くるまさんが言っていた「3すくみ」の話がめちゃくちゃ面白かったな。
コンテンツの楽しみ方は大まかに分けて三種類ある、っちゅうのがくるまさんの自論。「ベタ」と「メタ」と「シュール」の三種類で、それらは互いに関係しあっている。
くるまさんが言っていた、「テラスハウスを観る人」の例えを引用させてもらう。「ベタ」は、オシャレだな~とか思いながらテラスハウスをただ単に楽しむ人。それに反して「メタ」は、あんなもん全部やらせじゃねえか、みたいな感じで、ベタに楽しむ人を斜めから見る人。そこに入ってくる「シュール」は、やらせってことをみんな分かった上で楽しんでんだよ、みたいな感じで、メタで観ている人をさらに斜めから見る人。
……みたいな話だった、と思う。けどまあ、私の理解力はそんなに高くないので、間違っているかもしれない。詳しく知りたい人は『令和ロマンの娯楽がたり』か、令和ロマンのYouTubeを観てくれよな!

そんでね、私は思ったわけ。
あ、私はずっと「ベタ」な楽しみ方をしていたんだな、って。全てのコンテンツにおいて、私はベタな楽しみ方しかしてこなかった。差し出されるものをそのまんま受け取って、おもしろ~いと思いながらただぼーっと観てるだけ。
良いと思うのよ、全然。ベタな楽しみ方でも。でもさ、なんかすごく、ベタな楽しみ方って、馬鹿っぽくない? と思っちゃうわけだ、私は。
なんかメタとかシュールみたいに、別の角度から物事を見て、ああでもないこうでもないと色んな感想を言える人って、やっぱ頭が良く見える。というか、実際良いんだと思う。頭が良くないと、コンテンツを別の角度から見たりとか、他のコンテンツと繋げて考えたりとか、そういうことって出来ないから。
だからずっと、私の楽しみ方って馬鹿っぽいなーと思って悩んでいる。私だってなんか、頭良い感想言いたいわけよ。でもいかんせん脳みそがおバカなもんでさ。差し出されているコンテンツは、その通りにしか受け取れない。伏線にも気付けないし、メタファーにも気付かない。ただ目の前で起きている現象を、時系列に認識することしかできない。きっと私が『花束みたいな恋をした』を観たところで、ただの恋愛映画にしか見えないと思う。観たこと無いから分かんないけど。『パラサイト』を観ても、ただのサスペンスにしか見えなかったんだから、そういう脳みそってことです。

でも実際、別に「ベタ」な楽しみ方も、楽しみ方の一つとしていいはずなんよな。馬鹿っぽく見えるってだけで、別に馬鹿ではないんだと思う。知らんけど。そう信じたい。
とは言っても、ちょっと馬鹿っぽく見えちゃうのは事実だと思うんよね。映画を観てただ「面白かったです!」っていう感想だけじゃ、なんか、メタとかシュールな楽しみ方をしている人にフルボッコにされそうじゃん。こいつ何にも分かってないな、お気楽でよろしいですわね、って。

じゃあどうしたら「ベタ」な楽しみ方しかできない私も、ある程度頭よさそうに振舞えるんだろうなって考えてみたわけ。さっきから言い方は悪いけど。
「メタ」と「シュール」がなぜ頭よさそうに見えるかって言うたら、多分、『ちょっと見ただけじゃ分からないことに気付かせてくれるから』だと思うのね。つまり、自分がそのコンテンツを見たときに気付かなかった感情に、後々させてくれるってのが大きいと思うのよ。さっきのテラスハウスの例えを使うと、「あんなもん全部やらせだよ」って言われて、「やらせだったの!? 気付かなかった」と思ったら、やらせを指摘した人がちょっと頭良く見えるじゃん。そういうことが起こっているんだと思うのね。

だからさ、「ベタ」に楽しんだときも同じことができたら、ちょっと頭よさそうに振舞えるんじゃないかと思ったわけだ。
「ベタ」に楽しんだ人の一番の強み(さっきからなぜか3すくみを戦わせようとしているけど、別に本来コンテンツの楽しみ方で戦わなくてもいいんですよ。ただ私の自意識が、どうしても「馬鹿だと思われたくない」と叫ぶので、こういったことを考えることで自分を納得させようとしているだけです。コンテンツを楽しんだ後どんな感想を持つかは自由である)は、やっぱ「楽しい」という気持ちだと思うのよ。メタに観たりシュールに観たりするのももちろん楽しいと思うけど、一番純粋で勢いがあるのはベタの「楽しい」」という感情だと思う。

その最たる例がみくのしんさんの『走れメロスを読むラジオ』ですよね。
あれは「ベタに楽しむ」の最高峰だと思う。何も知らない状態で、何の事前知識も、予備知識もなく、有名な作品を読む。
私はあのラジオで、「走れメロスってこんなに面白かったんだ!」という新たな視点を得た。みくのしんさんは、あのラジオで私に、気付かなかった感情に気付かせてくれた。ベタに楽しんでも、人の心は動かせる。
せっかくベタに楽しめるんだから、思いっきり楽しむ。そして、それを思った通り表現する。それは人を動かす。そうすることで、ベタな楽しみ方をしても、「今自分めっちゃ馬鹿な観方してんな~」という気持ちにはならずに、心底コンテンツを楽しめるんじゃないか。

……などと私は思っている。ので、楽しかったことは楽しかったと記録するし、面白かったものは面白かったと記録する。できれば他の人に話す。その私の熱量で相手も楽しんでくれたら、その時私は「コンテンツを馬鹿っぽくなく楽しめたな」と思う気がする。

まあ実際こんなことを考えている人は少ないと思うけどね。私の自意識が本当におかしいだけで。別に「楽しむ」ということに、頭いいとか馬鹿っぽいとか、マジで関係ないもん。そんなことくらい分かってるんですよ。
でもこれが私の狂った自意識なんですよね。とにかく人に「こいつ馬鹿だな」と思われたくない。めちゃくちゃ頭いいな、と思われたいわけではない。ただ、「馬鹿だな」と思われたくないんですよ。実際めちゃくちゃ馬鹿なんですけどね。
だからこういうことを考えて生きている。性格が悪いね。


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