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第500回:断捨離という行為自体の悲しみ

久しぶりに短編小説公募に応募した。なんか、こう、そりゃ通ってほしいけど、これまでずっと一次選考落ちなので自信はない。なので「通ってくれ〜!」とかあんま思ってない。たまたまええ感じになってくれたら嬉しいな、くらいなもんです。
次はそこそこ長編公募の締切が着々と迫っている。間に合う気はせんけど、急に筆が乗って間に合えば嬉しいなという気持ち。

そういえば長編の公募はほとんど出したことないな。プライドが高いから、努力して書いたものを「はい落選〜お前は雑魚〜何も面白くないです〜〜〜」されるのがめちゃくちゃ怖くていつも応募をやめてしまう。もちろん、選考委員の方々がそんな風に新人を煽り散らかしているわけないのは分かっとりますがな。でもなんかそういう風に捉えちゃうんだよな、落選する度に。努力して何時間も何日も何ヶ月もかけて書いた物が、インターネットの藻屑となって消えていくのを何度も経験すると、やっぱ己の小説には何の意味もなく、私自身の価値など微塵もないという気にもなるわけだ。

そうは言っても、公募に応募しない限り公募は通らんのですよね。だからひたすら書いて応募するしか私に道は残されていない。大学も出ておらず、繋がりもなく、陸の孤島とまで呼ばれる田舎の僻地に住む私にはそれしか方法が無い。2年ほどしっかりサボっちゃったんで、今年からは頑張っていきたい所存。

最近気づいたんやけどさ。私がやる気全然出ないのって、もしかして部屋が汚いからなのかなぁ。机もしっちゃかめっちゃかなもんで、さあやるぞって椅子に座る気も起こらない。
どうしてそんなに部屋が汚いかっちゅうと、出した物を元に戻さないっていうのもあるけど、そもそも物が多すぎるってのもあるんよな。分かってはいるけど捨てられない。元貧乏の人は分かると思うけど、「物がある状態」ってめちゃくちゃ安心せん?  次いつ買えるか分からんから、物が常に無いと不安。だからいつでも多めに買うし、安くなってたら買うし、少しお金に余裕がある時はすぐに買う。だって次欲しいときには買えないかもしれんから。
そういうのを繰り返していると、そりゃ物で溢れかえりますわな。今の私の部屋はそうやって構築されました。

けどまあ冷静に考えたら、生きていく上で必要なものってそんなにたくさん無いんよな。究極無くてもいいものなんかたくさんあるわけで。
だから断捨離したくなってきた。……とは言いつつ、以前もそんなこと言って断捨離始めて、結局辞めちゃったんよな。なぜなら、「物を捨てる」という行為はそれ自体が非常に悲しいことなので。その悲しみに私が耐えられなくなるタイミングが必ず来る。
まだ使える物を捨てるって本当に悲しい。ミニマリストの方々に問いたいもんな。あんたたちトイストーリー見たことあんのかって。あれを見たら、まだ使えるものを捨てようなんて気持ちは砕け散るんやから。

そんなことばっか屁理屈こねこねしてるから部屋が一生片付かんのだ。やるぞ、断捨離。ミニマリストくらい部屋から物を無くしてやる。そして、集中するぞと思った瞬間に作業できる環境にするんだ。そうしたら私、変われる気がするからさ……(死亡フラグ)

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