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第483回:灯台の下は暗い、それでも未来は多分明るい

Netflixでやってる「LIGHT HOUSE」第1回を観ました。あ〜、しんど。しんどいけどやっぱ超いい。若林さんと星野さんのトークは面白い。面白くて辛くてしんどい。楽しいけど、若干しんどいが勝つ。いや、でも希望は見える。でも辛い。

何だろうな〜。悔しい。とても悔しいことに、若林さんも星野さんも、「仲間」だと思わせるのが異常に上手い。もちろんお二人とも、暗すぎる時代を経験したからこそ、出てくる言葉全てに説得力があるんだけど。
でも全然「仲間」じゃないんだよな。悔しい。こんなにもお二人の話が「分かる」のに、私はあの二人のようには一生なれない。何クソ、と歯食いしばって傷だらけになったことはうっすら同じなのに、それが誰かに評価されて誰かに必要とされる存在になることがどうしてもできない。それが悔しい。

聞いててめちゃくちゃ楽しいし、分かる〜と思うし、私も頑張るぞという気持ちにもなるのに、それを遥かに超える「違い」が襲ってきて苦しい。私にはあのお二人にあるものが何も無い。語彙力もなければセンスも無いし、客観的な思考もなければ才能も無いし、何より努力するだけのパワーと、人に食らいついていくだけの胆力が無い。何も無い。

創作でしか人と繋がれなかったのは私も一緒のはずなのにな。街行くサラリーマンにはなれないと思ったのも一緒のはずなのにな。これ以外に生きていく術がないのは一緒のはずなのにな。どうして私は、小説家になれなかったんだろう。それだけを目指して生きてきたのに。

あ〜あ、こんな落ち込むような番組じゃないんですよ本当に。めっちゃ面白い番組なんです。むしろすっごい希望が見えるような番組なんですよ。これで落ち込む私がおかしいんです。

だけど最後の最後、星野さんの曲の歌詞があまりにも良すぎてうるっときてしまった。
「灯台  誰も救おうと思うな  ただ光ってろ」
お二人は別に誰かを救おうとして喋ってるわけじゃないんだよな。ただ必死で生きているだけなんだよ。その生き様を私は見ているだけなんだよな。
そう思うと、やっぱ好きだな〜と思うわけだ、お二人のことが。自分とはるかに違う次元を生きている、自分と重なる瞬間のあるあのお二人のことが。必死に生きていることだけは、やっぱり一緒なんだな。

私ももう誰かを救おうなんて傲慢なことは思わないから、ただ一生懸命生きていたいよ。

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