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第487回:利用されたくない、だけど無用途にもなりたくない

常々、「価値のある人間になりたい」とは言ってるけど、もう少しわがままを言っていいのなら、それだけじゃなくて、「私自身に価値がある人間」になりたいな、などと思ったりする。叩かないでください。誰だ、無能がそんな贅沢なことを抜かすなと正論を言ったのは。ごもっともですが今言うべきことではないな、バケツ持って廊下に立っとれ!!!!!

最近、自分の長所のようなところに気付き始めている。なんでかと言うと、やたら最近同じことを色んな人から言ってもらう機会があるから。
どうやら私、「話しやすい」らしい。なんでだろうね。年下の女の子からも、年上のお姉様からも同じことをよく言われるようになってきた。何度も別の人から同じことを言われると、その言葉に信ぴょう性が増してくるので面白い。

そう言われることが多いので、なんとなく人生を思い返してみると、そういえば私は誰かから相談を受けたり、秘密を打ち明けられたりする機会が多かったように感じる。それも全て「話しやすい」というステータスの数値が少し高かったからだと思うと納得やね。

もちろん「話しやすい」と言ってもらえるのは嬉しい。自己中心的な気持ちではあるけど、孤独になる可能性がかなり低くなるので嬉しい。話しやすい人のところには、自ずと人が集まってくれるような気もするし。話しにくい人間だと思われるよりよっぽどいい。一つでも自分で自分の長所を認知していれば、それだけで結構人間は生きていけると思っている。現に最近、人に話しかけやすくなってきた。大人になりつつありますね。

でもね、なんていうか、こんなことを言うのは贅沢やけどさ。人間っちゅうのは欲張りだからさ。もっと多くのことを求めたくなってしまうわけだ。

なんだろうな。
「話しやすい」っていうのは本当に「私自身」の価値なのかなと思ってしまう。いや、まあ私自身の価値には変わりないんだけどもね。

「話しやすい」ということの弊害、というと言い方は悪いけど、なんというか、私は上手く利用されているだけなんだろうな、と感じることが多々ある。もちろん、相手にそんな他意はないと思うし、勝手に私がそう感じてしまっているだけとは思うけどね。

でも現に、今までそういうことが多かったから仕方ないと思わせてほしい。私の友達に近づくために私に近付いてきたヤツとか、ただ愚痴を言うためだけに私をご飯に誘うヤツとか、内輪での話題作りのために勝手に私の顔面をSNSに加工無しであげたヤツとか、なんかそういうのがいっぱいあったから、そう思うのもしょうがないじゃん。しょうがないよね? 異論は認めませんけども。この場は私が支配している。

それも言っちゃえば「価値」ではあるんだけどね。利用価値。それによって誰かが喜ぶなら、それもまた価値ではあるんだけど。
でも、私が欲しいのって、正直に言うとそんな価値じゃないんですよ。確かに「利用価値」も、私が存在する理由にはなり得るとは思いますけれどもね。

そうじゃないんだよ。私がいつも一生懸命会話をしているのは、私が好かれるため以外の何者でもないんだよ。利用されるために喋ってるわけじゃない。難しいな。私の語彙では上手く説明できん。とにかく、利用されたいわけではないんだよ。役には立ちたいが、利用はされたくない。何かを成し遂げるための道具として使われたくはないんだよな。
まあ前提として、使われないよりはマシ。孤独より、無用途人間になるより、道具として利用されている方が全然マシ。だけど、もっと欲を言っていいなら、ちゃんと私個人を人間として見てほしい。ギリギリ人間の形を保っているだけのゴミみたいな存在ではあるけども。それでも一応人として扱われたい。

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