見出し画像

第492回:もう、世界を憎む体力がない

もうお察しだと思うが、つい先日3日連続くらいで日記を更新したのが、今月の『元気期間』でした。そこからはもう下降。下降するしかない。ひたすら元気がなくなり、這う這うの体で病院へ行ってまた1ヵ月分の薬をもらってきた。本当にこんな感じで、今年中に目標である「健康」を達成できんのか……???

それでも、立てた目標を諦めるには早すぎる。まだ今年始まって一か月も経ってないし。なもんで、色々頑張るぞという気持ちはまだある。体調はおしまいになってるけど心は折れていないぜ!

最近健康のために頑張っていることといえば、「弁当を作る」ことです。
正しい食生活は、健康に欠かせない。毎日昼ごはんに適当なコンビニ飯を食べているようじゃ、一生健康になれんと最近気づきました。なので色んな、季節に応じた野菜なんかを使って、栄養とか彩りを考えて、弁当を作るようにしている。そうしていると、なんとなく健康に近づいているような気がする。もちろんめちゃくちゃめんどくさいんやけどね。ほぼ半泣き。作った後は一回寝転んで、ため息を5回つく。めちゃくちゃ体力持って行かれとるやないかい。

己の健康のため、というのに加えて、なんていうか、ちゃんと家族に何かを還元しなければいけないという気持ちもある。
私は体力ゴミなのにプラスして、頭も良くないので、家族に大変迷惑をかけて生きている。最近までずっと、「同じ家に生まれたからには仕方ない。こんな出来損ないと共に住むことも致し方ないと思って諦めておくれ」と思ってたけど、改めて考え直したら、そんな偉そうなことがあるかいなと思ってね。大変お世話になっているんだから、何かしらで感謝とか伝えた方がいいと思う。人として。

それで色々考えましたとも。私みたいなもんは本当に捻くれモンですので、面と向かって「ありがとう」なんて言えん。こっぱずかしくていつも言えん。言った方がいいのは重々承知なんやけど、自意識とプライドの高さがいつも喉を閉めてしまう。
でも感謝は伝えた方がいい。それで思ったんやけど、「手作りのお弁当」ってこれ以上無いくらいに『愛』じゃない?
ファストフードやらデリバリーサービスが飽和状態なこの国で、毎朝わざわざ起きてお弁当詰めるってすごくないか。自分が母親の弁当を食べていた頃はあまり感じていなかったけど、自分で弁当を作るようになってからとてつもなく分かる。これ、死ぬほどめんどくさい。なのに毎朝、起きて、彩りやら栄養やら冷めても美味しいものやら食べる人が好きなものやら考えて詰めるわけじゃん。それってとんでもなく『愛』じゃない?

まあもちろん、自己満足の域ではあるんですけどね。
でも、これこそ私なりの愛だ、なんつって。アイドルの歌詞にもありますわ。私の弁当は、私なりの家族への愛なわけです。伝わってるかどうかは分かんないけど。
そう思うと、義務感は無くなった。ので、作りやすくなった。成長です、これも。人間的な成長。私はちゃんと大人になっています。

あ~、不思議だなぁ。絶対こんな話をするつまんね~大人にはならないぞと心に決めてたんだけどな。結局、人は愛で動くのが一番すんなり動けるんです。愛と感謝。これが一番気持ちよく、自分を動かすことができる。
こんないわゆる啓発的なことを言う大人には絶対になりたくなかったんだけどな。いつまでも全世界を憎んで、会う人みんな傷つける悲しきモンスターであることを嘆く、悲劇のヒロイン症候群でありたかった。でもね~、ほんと根本的な話なんだけどさぁ。やっと分かった、大人がみんなしょうもない「感謝」とか「人に優しく」とか言う理由。
大人ってもう、世界を憎む体力が無いんだね。若い時はその体力があった。でも大人になるにつれて、その体力が減っていくんだよ。でもこの世界で生きていく折り合いをつけなきゃなんないじゃん。だから「感謝」とかに行きついてしまうんだよ。まあ私まだ24歳なんですけどね。もういい歳か。

最近はもうめっきりXなんか見てない。あんなに忌み嫌っていたInstagramをずっと見ている。
Instagram、疲れた脳にちょうどいい。誰も怒っていないし、誰も誰のことも嘲笑っていない。ただ綺麗な写真とか、美味しいご飯とか、イラストとかを丁寧に加工して乗っけてるだけ。Xなんかよりずっと平和。確かにたまにマウント合戦みたいなのはあるけど、まあそれはいいじゃん。勝手にやらせときなよ。人間は自慢したい生き物なんだから仕方ないよ。誰彼構わず噛みついて、草生やしてるXよりよっぽど純粋で健全。
そうか、Instagramは、世界を憎むことに疲れた人が行きつく場所だったんだな。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?