【短編小説】愛しのサム
「……サム、玄関の鍵を開けて」
音声を確認。スキャンします。……靴紐が解けています。
「ほんとだ。そういや昨日会社で靴紐踏んで、こけたんだよ。おかげで赤っ恥だ。……はい、これでいいだろ? 玄関の鍵を開けて」
スキャンします。……靴紐、確認。財布を忘れています。
「はぁ……携帯持つと財布忘れるんだよな……あれ、俺机の上に財布置かなかったっけ。鞄にも無い。サム、俺の財布どこ?」
あなたの財布はトイレの中、トイレットペーパーホルダーの上です。中身は千五百十一円、田辺内科医院診察券、ネットカフェ会員証、未払いのためクレジットカードは使用不可で……。
「分かった分かった、もういいって! あった、財布。財布探してほしかっただけだよ。いちいち中身まで読み上げるな」
クレジットカードの督促状は、リビングの机の上、ピザのチラシの下です。
「今はいいんだよ! ったく……さては母さん、また勝手にプラン変えやがったな。おいサム、今のプラン何になってる?」
サム・ワン・ルームサポート、プランの確認中。二週間前に変更になっています。変更者、熊谷千代子。
「やっぱり母さん変えてんじゃねえか……」
プランD、詳細サポートオプションが追加されています。年配の方向けのプランです。
「どうりで過保護だと思った。俺のこと何歳だと思ってるんだ、母さんは……」
プロフィール確認。現在の熊谷大輝様の年齢は……。
「いいって! 聞いてない!」
失礼致しました。
「もういいから。とりあえず玄関の鍵を開けて」
スキャンします。……寝室の窓が開いています。
「はぁ……ちょっとそこに散歩に行くだけだよ。開けたまま行くからいいって」
寝室の窓が開いています。
「だから、いいんだって別に」
エラーです。玄関の鍵を開けることは出来ません。
「なんでだよ……ちょっとそこまで、コンビニまで行くだけだからいいだろ」
近辺に不審者データが存在します。直近の目撃データは二日前です。
「それ最近話題の下着泥の話だろ? 俺は男だし、第一ここ五階だぞ。誰も入って来ねえよ」
男性用下着を狙った下着泥棒のニュース、マンションの雨どいを登り、六階の部屋に侵入した空き巣のニュースが見つかりました。寝室の窓が開いています。
「……分かった分かった、行けばいいんだろ。ったく……じゃあ靴紐を結び直す前に言えよな……」
寝室の入り口にナイロン袋が落ちています。足元にお気を付けください。
「ほんとだ、何の袋だこれ……ああ、風で飛んだのか。はい、閉めた。これでいいだろ」
全ての部屋の窓の施錠を確認しました。
「はぁ……明日プラン変更の電話しなきゃな。手間がかかりすぎる」
お気に召しませんか?
「……急に会話らしいこと言うなよ。お気に召さないっていうか、面倒くさいんだよ、このプラン。忘れ物とか探し物とか、それのチェックだけで充分なのに。母さんが過保護すぎるんだよな。わざわざ毎月手作りの料理送って来たりもしなくていいのに……ん?」
お気づきのようでよかったです。コンロの火が着いています。
「それを先に言えよ! ……うわぁ、焦げ付いた。最悪だよ……お前一番過保護なプランなんだったら火は先に言わなきゃ駄目だろ……」
コンロの消火を確認しました。
「もういいか? 散歩に行きたいだけなんだから。玄関の鍵を開けて」
もう忘れていたかと思いました。
「お前……さすがにそこまで忘れっぽくないよ。まあ仕方ないか、お前、高齢者向けプランなんだもんな」
クレジットカードの督促状は……。
「それは忘れてるんじゃないの! 忘れてないけど、触れたくないから置いてるだけだ。しばらくクレジットカードの督促状の話はするな。やたら派手な色の督促状が来てからが本番なんだから」
私にはよく分かりません。
「そうだろうな。とにかく、督促状はまだ大丈夫だから。早く玄関の鍵を開けて」
傘をお忘れです。
「傘? ……雨なんか降ってないだろ」
ウェザーニュースが見つかりました。二十三時五分頃よりにわか雨の模様です。傘、もしくは折り畳み傘を持ってお出かけください。
「二十三時って、まだ一時間近くあるじゃないか。そんなに長い間出て行くわけじゃないんだって。ちょっとそこのコンビニに行くだけだから」
少しそこまで、の散歩が長引く確率について計算しますか?
「いらない。やめてくれ。分かったよ、持っていけばいいんだろ。ほら、持ったから早く鍵を開けろ」
乱暴な言葉遣いが検出されました。乱暴な言葉遣いでは、サムは起動しません。
「じゃあ乱暴な言葉遣いを俺に使わせるなよ! 言っとくけど全部お前のせいなんだからな」
私のせいですか?
「そうだよ。厄介なプランにしやがって……」
サムは、主人との会話で最適解を学習します。お話しする機会を増やせば、あなたにぴったりの受け答えが出来ます。
「……俺のせいだっていうのか?」
お気に召しませんか?
「はぁ……もういいよ。わざわざ起動して機械に話しかけるなんて、本当に寂しい人間みたいになるじゃないか。最低限のことだけやってくれればいいんだよ。玄関の鍵を開けてください。これでいいか?」
脳トレモードを起動しますか?
「は? なんでだよ。そんなモードもあるのかお前。いらないって。俺は散歩に行きたいだけなの!」
スマートフォンに、問題アプリをインストールしました。三問連続正解で、鍵が開きます。
「面倒臭いことするなって……どうせ嫌って言ったって聞かないんだろ。……ほら、解けた。これでいいのか?」
おめでとうございます。脳に衰えは見られませんね。
「なんなんだその言い方は。さっきからお前何かおかしいな。俺を外に出させたくないのか?」
予定が一件、見つかりました。お忘れかと思い、引き留めていました。
「予定……? そんなもん入れた覚えは無いけど」
本日十一月三日は、熊谷大輝様のお誕生日です。
「ああ……確かにすっかり忘れてた。母さんだな、入れたの……」
誕生日パーティが、まだ行われていません。
「開かれないよパーティなんて! 何歳だと思ってるんだよ、もう三十過ぎてるんだぞ?」
パーティと年齢の因果関係について調査しましたが、見つかりませんでした。
「年齢は関係ないかもしれないけど、第一誰がパーティ開くんだよ。俺がここにいること、家族以外は誰も知らないんだぞ? 友達も恋人もいない、祝ってくれる奴なんか誰もいないんだよ! ……ったく、そういう現実を忘れたいから酒でも飲んで記憶飛ばそうと思ってるのに。早く鍵開けてよ。でなきゃお前の本体を叩き割ってやるぞ。それはお前だって困るだろ。主人の意見は絶対だ。早く開けろ!」
乱暴な言葉遣いではサムは起動しません。
「玄関の鍵を開けてください。さもなくば、サム本体を床に叩きつけて二度とお喋りが出来ないようにします」
……玄関の鍵を開錠しました。
「さっさとそうしてくれればよかったんだよ。いいか、俺が帰ってきたら黙って鍵を開けて、後は話しかけないでくれ。いいな」
乱暴な言葉遣いが検出されました。
「いい加減にしてくれ! お前だって学習型AIなら言ってる意味くらい分かるだろ。もう話しかけるなよ」
……お気をつけて、いってらっしゃいませ。
……
……
……午後二十二時五十二分です。祝福モードオン。おめでとうございます。熊谷大輝様、本日はあなたのお誕生日です。三十二年前の今日、この時間にお生まれになったあなたに、ささやかながらサム・ワン・ルームサポートよりプレゼントを用意しました。冷蔵庫の中に、ケーキとメッセージカードがありますのでお楽しみください。今後とも、サム・ワン・ルームサポートをよろしくお願いいたします。…………生体反応、無し。祝福モードをオフにし、紙吹雪を清掃、速やかにスリープモードに移行します。
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