ドグラ・マグラから学ぶ、小説のあるべき形的なヤツ

先日、何の気なしにしたツイートが1000いいねついた。マジでビビったわな。

こんなツイートしといて何なんやけど、私ドグラ・マグラを最後まで読み切ったことないのよ。全体の3%くらい読んだところで、難解すぎてやめた。けどさ~、こんなツイートした手前、読まんとあかんくない?

てことで読み始めてしばらく経つんやけど、現在全体の30%を少し超えたくらい。進まねえなぁ。びっくりするくらい進まねえな。
いや、違うのよ。つまらんから進まんのじゃなくてな。面白いんやけど、一文を理解するのに数十秒かかるのよ。読んで、めちゃくちゃ考えたら分かるんやけど、分かるまでが長い。
私はどちらかと言えば速読が得意な方でな。文章が頭に入ったら、それが映像化されて流れるから、どんどん読み進めても平気なタイプ。主人公の動向を目で追ってるイメージになるから、映画とかドラマとか見る速度とだいたい同じくらいの速度で理解は出来る。覚えは出来んけどな。
それがね、ドグラ・マグラに関しては、この「映像化」が全くうまくいかんのよな。読んだことある人は分かると思うけど、これ映像にするもんじゃねえのよ。物語っていうか、論文なんよね。いや、厳密に言えば論文じゃなくて物語なんやけど、ちょっと、何ていうか、説明が出来んわ。とにかく、映像にして流すものではなくて、文章の形でしか成り立たないものなんよな。それを追っていくのにはめちゃくちゃ時間がかかる。

けど、久しぶりに「小説読んでるな~」って感じもしてる。一生懸命向き合って読まないといけない小説って、時間はかかるけどやっぱ面白い。こんだけ難解なのに今の今まで名作として有名なままなのにはやっぱ理由があるんやなってつくづく思った。全体の30%しか読んでないけどな。頑張ります。

で、ドグラ・マグラを読み始めて一個思ったことがある。
「小説ってほんま、なんでもアリやないか!」ってこと。

小説書き界隈のTwitter見てたら、よく「創作論」とかが回ってくることがあんのよ。私こういうのはすげえ苦手なんやけどさ。
要は、「三点リーダーの使い方」だったり、「文体を揃えろ」、「主人公の視点は固定して」だのなんだの、まあもっと細かかったり広かったり色々。どこの誰かも分からん奴が、こういうことを改行たっぷりに長々と垂れ流してたりするわけ。そういう人らって、自己紹介欄に「○○賞受賞」とか「○○より出版されました」だの書いとるのよ。だから変に説得力あって、影響されまくってしまう。

けどよ、と。あんたら、ドグラ・マグラ見ろよと。
あんなに自由な小説もあるんやぞ、と。もうほんまに、言うたらアレ「やりたい放題」よ。
そりゃ詳しく調べてる人からしたらあの小説は何らかの法則に則って書かれとるんかも知らんけど、私みたいな素人から見たらめちゃくちゃ自由よ? 文字の無法地帯。急に歌詞が挟まったり、記事が挟まったり、書類が挟まったり、物語の地の文が始まったり、目まぐるしいったらありゃしねえんだもん。

あんだけ好き勝手しても、「小説」として成り立つんやなって思ったら、細かいことなんか気にせんと好きなもんを好きなだけ書いたらええんやな、ってとこに行きついてしまう。辻褄なんて、最後に合うたらそれでええもんな。
ドグラ・マグラに元気づけられるとは思わんかったわ。頑張って最後まで読み切るぞ。待ってろ、夢野久作。

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