俺達は、安心感を求めて「サバ女」を読む
今日、ついに「ピッコマ」をダウンロードしてしまった。理由は簡単。めちゃくちゃ広告が有名になってしまってネタにまでされてる「サバ女」の漫画を読むため。
おそらくもう知らん人はおらんやろうね。「サバ女」。
正式な漫画のタイトルは「私ってサバサバしてるから」。お世辞にも可愛いとは言えん微妙な年齢・見た目のキャラクターが、「カシオレなんか飲めな〜い」って言うてるあの広告ね。
あの漫画、読み進めれば進めるほどめちゃくちゃ不思議なんよね。まだ最初数話しか読めてないんやけど、今のところ、勘違い自称サバサバ女が、愛い女の子にズバッと言われるのをただひたすら眺めてるだけ。しかも勘違い女やから、ズバッと言われているのにも気付いてない。「何こいつ……うざ」くらいにしか思ってない。
ジャンルで言うと確実に「スカッと系」のはずなんよ。でも、これまでの「スカッと系」とか「因果応報系」って、主人公は成敗する側やったんよね。るろ剣とか、水戸黄門とか、地獄少女とか。成敗する側の人間が主人公で、基本的には1話完結。1話ごとに悪は成敗されて、気持ちのいい終わり方をする。
それが「サバ女」は、「成敗される側」にひたすら焦点が合ってる。しかも、その主人公が完全に勘違い女なもんで、全くモヤモヤが解決していかない。むしろイライラが増していく。「スカッと系」であることは確実なんやけど、今のところほぼスカッとする瞬間が無いんやけど。
それでもね、読んじゃうのよ。なんで? マジで不思議。
「私ってサバサバしてるから」と似た感じの漫画、「私以外みんなバカ」ってやつも読んでみてるんやけど、これも同じくスカッとする瞬間よりイライラする瞬間の方が多い。もちろんたまに誰かがズバッと言うシーンもあるんやけど、主人公に全然響いてない。「何あいつ……」って感じで、ちょっと機嫌が悪くなるだけ。主人公が行動を改めることは無い。主人公が行動を改めたり、めちゃくちゃ不幸になったりしてくれたらこれまで通りの「スカッと系」なんやけど、今のところあんまり大きな転落はないね。
どうしてこういうタイプの漫画が流行ったんやろう。もちろんTwitterの広告がきっかけやとは思うんよ。ただ、広告もやっぱりイラッとくるやんか。イラッとするのに、なんで読んでしまうんやろうか。
人ってさ、どうしても「自分より愚かな人」を探してしまう傾向があると思わん? 「あ、私こいつよりマシやな」って思いたいという願望が、心のどっかに絶対あるやんか。この漫画、こういう欲望に上手いこと刺さった気がする。
実を言うとさ、私も「サバ女」やったのよ。言い訳させてもらうと、小学生の頃ね。男子と遊ぶ方が私には合ってる、女子はネチネチしとるから面倒くさい、いちごオレなんか気持ち悪い、私は一生コーラ飲んでますんで……みたいなタイプのクソ小学生やった。
今でこそ立場をわきまえた陰キャになったけど、昔のあの黒歴史を覚えているからこそ、「サバ女」を見るとめちゃくちゃ安心する。あ、これ大人になってもやってる人おるんやって。自分が「サバ女」であることを自覚しているだけマシなのかもしれんなって。
普通漫画って、イケメンとか美女が主人公じゃないと売れへんらしいやんか。それが「サバ女」はさっきも書いたみたいに微妙な見た目。それもなんとなく安心感がある。
あ、自己肯定感ってここまで高くてもええんや。じゃあ私ももう少し自分に自信持ってもええかもしれん。
「サバ女」を読み進められてしまう理由が「安心感」によるものやとしたら、1話完結で解決してしまわないのも「安心感」に繋がってるんかもしれんな。
現実世界では嫌な奴がおっても、剣で成敗できんし、呪いをかけることもできんし、怨み屋本舗に払うほどの金はないし、スカッとジャパンみたくその辺で社長が掃除してることもない。だからこれまでの「スカッと系」は単に気休め程度の「スカッと」しか得られてないんやないやろか。
それがどうだい、「サバ女」の転落の速度といったらえらくスローリーなのよ。スローリーやからしばらくイライラはするんやけど、速度は遅いものの確実に転落へ向かってるのは明らか。すぐに成敗されないあたりが妙にリアル。
現実世界にいるうぜえ先輩とかも、傍目から見たら全然幸せそうに見えたりする。でも、着々と転落には向かっていると思うことが出来たら、それはこれまでの「スカッと」とはまた違うタイプの「スカッと」なのかもしれん。そうなってくると「サバ女」は、限りなくリアルな現実逃避なんかもしれんな。
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