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260年の恨みと恩(前編)

「役者が揃う」。ファンにとってこれほど嬉しいことはないですね。
個人的に解せないのは「スターウォーズ/ジェダイの帰還」で、あれほどの大団円にハン・ソロとチュー・バッカがミレニアム・ファルコンを操縦してないことです。
「なんで、ランドが操縦してんの!ランドはまだしも、横にひょっこり座ってる黒目がちな小男は誰だ?」
 デススター内部への突入。反乱軍でもウェッジなどエースクラスしかできない腕利きの仕事ですよ。ソロ船長とチュー・バッカがやらなくていいのか?彼らがエンドアで泥にまみれてるときに、その“唇びちょびちょ汁だく”な小男がその座を奪っていいんですか。(ニエン・ナイという方だそう)

 創作された話でさえこうなのに、何故か幕末というのは江戸期成立時の“役者”がまるで仕組まれた小説のように勢ぞろいします。ほぼ同じメンバーが260年の時を超えて江戸幕府という存在を“しめ”にはいるという、不思議といえば不思議、因縁といえば因縁が露になるのです。
 代表格は関が原の戦いで敗軍についてしまった長州と薩摩。中国地方の王者から一転、防長2カ国の大名に転げ落ちた毛利家は、毎年新年に密かに倒幕の誓いを立て続けたといわれています。また、家康が最も恐れ、九州の南端に閉じ込められた薩摩島津家は、鎖国日本の中でさらに領地を鎖国し、琉球(沖縄)との密貿易で得た巨利を背景に独自の力を蓄積させていきます。
 そして幕末の混乱が起き、時代が倒幕に走り出した時、気づいてみればその中核にこの二藩がいたのです。

 事は東照大権現・家康の予想の範囲内だったかもしれません。彼はこの二か国を仮想敵として、ほとんど西洋の近代要塞のような石垣を持つ熊本城、ツインタワーの姫路城を建て、それでもだめなら東洋最大の大阪城、そして名古屋城、それでもダメなら箱根の天嶮で食い止めようとした。また、徳川家最強の譜代大名井伊家を京都が視野にはいる要所の琵琶湖畔に配し、最悪の備えとして上野の山の寛永寺、日光の要害・東照宮を用意しました。つまり日本列島全体を使って、この二藩が惹起するのに備えたのです。
 260年後の世界を見通す家康の力というのはただならぬものだと思いますが、彼の誤算は譜代と呼ばれる三河以来の戦闘集団と直轄軍旗本のあまりの弱体化にあったでしょう。
 とくに鳥羽・伏見の戦いでは、幕府成立期の精鋭、徳川軍の先鋒をつとめるべき藤堂家と武田騎馬隊の直系、赤備えの井伊家が寝返ってしまいます。  

 “東海一の弓取り”といわれた戦上手の家康がこの状況をあの世から見ていたら、本当に悔しがったことでしょう。
 ところが思わぬところに幕府最後の砦となる藩が存在したのです。

(続く)
260年の恨みと恩(後編)

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◆関ヶ原の向こうに伊吹山を望む

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