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運命のプランシングホース(7)

■917~20年目の栄光
じゃ、ポルシェはレースに関心がなかったのかといえば、そうではなかった。戦後、最初にルマンに出場した356がクラス制覇したのを皮切りに550、RSK、904、906、908は続々とレーシングカーをサーキットに送り込み58年にはすでに全体で400勝を挙げるまでになっており、F1世界でも62年には804/8でフランスGPで優勝している。
つまり、レースに関心がなかったのではなく、資金がなかったのだった。

得意の技術商売も当時はそれほど効果を出しておらず、資金に乏しい弱小のメーカーではジャガーやフェラーリーに対抗できる大排気量のレーシングカーを開発することがかなわず、長い間、ルマンで入賞は果たすものの総合優勝をすることができなかった。
そんな状況をあざ笑うかのように時間は過ぎ去り、70年代が来ようとしていた。
60年代からにわかに人気の出てきたスポーツカー選手権。その最大のイベント、ルマンで無冠でいることはもう許されない、小排気量の車でクラス優勝をとってももう嬉しくないところまできていただろう。

ポルシェは全てを賭けたマシンを開発する。
1969年、ジュネーヴショーに姿をみせた大型レーシングカーが917がそれである。
巨大な空冷4.5リッターフラット12エンジンをミッドシップに搭載する917は、その巨躯を評して【ホワイトジャイアント】などと呼ばれた。


ポルシェ917 超巨大な水平対向12気筒エンジンを真ん中に積む怪物。
このエンジンは空冷。ポルシェらしい。強制空冷ファンで冷やす。


1970年、スポーツカー選手権はアルファ・ロメオ、マトラ・シムカなど多数のエントリーがひしめき最盛期を迎えていた。
そんな中917はルマンデビューを果たす。最大の強敵はもちろんフェラーリ、5リッターV12エンジンを搭載する512Sだった。
レースがはじまると、ポルシェVSフェラーリの激戦に加え、悪天候という条件が重なり、この年のルマンはサイバイバルレースの様相を呈す。フェラーリワークス(SEFAC)、ポルシェワークス(JWガルフ)の両チームはなんと全滅、残ったのはプライベートチームだけという有様。完走僅かに7台、史上最低の完走率とともに24時間のゴールを最初にきったのはカーナンバー23、ハンス・へルマンとリチャード・アトウッド組のポルシェ917だった。

実に初出場から20年後のルマン制覇だった。

「栄光のル・マン」1971年の映画。スティーブ・マックイーン演じるマイケル・ディレイニーのガルフオイル917がジークフリート・ラウヒ演じるエリック・スターラーのフェラーリ512に勝利するまでの軌跡を描いているが、このプロットでもフェラーリは撮影に車両を貸し出すことを承知しなかった。マックイーン本人はもちろんのこと、この映画の主役はなんといってもガルフオイルのカラーリングをまとった3台のポルシェ917KHだろう。ほとんどのトラックでのシーンが本物のレース映像と制作用の映像から構成されているため、複数台のポルシェ917が作品に登場する。

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