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noter飲み会的な夜

昨夜、一人でパソコンに向かってカタカタやっているとスマホが震えた。stand.fmのアプリから「おとうふさん◯◯について思うことさんがライブ配信を開始しました」という通知だった。

おお、ライブ?と思ってリビングで寝落ちした妻を起こさないようにイヤホンをつけて聞いてみると、コメント欄にも見慣れたnote仲間がちらほら。

配信のお二人もコメント欄のみなさんもお酒を飲みながら参加していて、リアルタイムのやり取りが本当に集まって飲み会をやってるみたいな気分になって楽しかった。

顔は知らないけど、noteの記事で何となく人となりを知ってる方たち。安心して野次を飛ばしたり、下ネタ言い合える仲間って貴重だなあとか思ったのだった。

唐突に昔の話をするが、私は子供の頃から自分だけ周りと足並みがそろわないな、と思っていた。

いつも記事を読んでくださる方はなんとなく想像がつくと思うが、私は空想癖がある。よくぼーっとしていていきなり変なことを言い出すし、昔付き合った彼女から「あなたは何を考えているのか全然わからない」と言われたこともある。

私はよく過去のエピソードをくだらないことだと話したり書いたりする。でも笑いながらも、その時はその時でけっこう真剣だったように思うのだ。

例えば私は「君が代」の歌のリズムが嫌だった。ねっとりしていて陰気になる。こけのむすまで、とかなんか気分はグレー。そういうことに疑問も持たずに歌うやつらが嫌だった。算数の問題で友達なのになんでC君だけ5分後に家を出るの、みたいなのとか思わないのが嫌だった。

人とのズレが積もり積もって、それは説明できない嫌な感情で、その部分を共有できる人はなかなか現れなかった。一番仲の良かった友人でも話すことができない部分が多かったと思う。

それからmixiやtwitterがでてきて、その感覚をSNSに書くようになって、ある時知らない誰かに共感してもらったときにすごく感動したのを覚えている。なんだか自分の嫌な部分がすっと昇華されていくような気がしたのだった。

今でこそ、私は自分と人との違いをおおまか理解するようになったし、違う部分こそ面白いと学ぶようになった。SNSは共感を得るためにガリガリ書くというより、私の中でやわらかい場みたいなものに形を変えた。

例えて言うなら、見知らぬ人との電話のようなものかもしれない。

ツーツー、聞こえますか。

私はこんなやつなんです。

あなたと仲良くなりたい。

それはいきなりかける間違い電話のようなもので、それでも相手が電話を切らずに話す確率はどれほどのものなんだろう。素敵な人は自分が魅力的になれば来るはずで、「ほしいほしい」では来ぬ。人のそばにいるのはその人の鏡だ。

ハローかグッバイか、ハローもそれなりにでてきたけど、いつも少しだけ緊張する。その緊張は、そんなに悪くない。血圧が上がるのが気持ちいい。

あれから私は夫になり、父にまでなったが相変わらず個体としてどう生きていくのかとか全ては不安である。自分の欠陥とはずっと付き合っていかなければならない。

でも、お互いに現実のおかしみを笑い合う仲間がいることで、まあ騙し騙しやっていけるなと思ったのだった。悲しいニュースに気持ちがひきずられそうな夜に、笑えたことが何よりうれしかった。

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