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しあわせってなんだろう

しあわせってなんだろう?どんな状態だろう?

わたしが仕事を辞めて、デンマークに行くことを決めたときに心に浮かんだ一番大きな問いがこれだった。
え?なにそれ、「しあわせ」を探しに行くの?と、この話を聞いた人の中にはそう思った人もいたかもしれない。
でも、わたしにとっては「ひとのしあわせ」は今に始まったテーマではなく、それは中学生のときに遡る。

いまでも忘れない、大きな衝撃を受けた。
テレビで見た「世界がもし100人の村だったら」。
ロシアのマンホールの中で暮らす少年、フィリピンのゴミ山で家族を養う少女。
自分よりもずっと幼い彼らが働かなければ生きていけない境遇に置かれていたことを知った。

フィリピンの少女の名前は、マニカちゃん。
ただ名前が似ていたということもあって、強烈な印象が残っている。
幼い弟と一緒に裸足でゴミ山を歩き回り、お金になりそうなものをゴミの中からあさっていく。
母親は体が弱く、ゴミ山のそばにあるいまにも倒れそうなトタン屋根の家で横たわっている。彼らに父親はいない。

生まれた国や地域によって、これだけの差があるのは何でだろう。
明らかに貧しく、生きるのに精一杯の彼女を画面越しに見たわたしは、「貧困問題」に強い興味を抱くようになる。
いつか自分の目で現場を見てみたい。

なんでだろう?どうしたら解決できるんだろう?
何か自分にもできるかもしれない、いや、行動しなくてはいけないという使命感のようなものを幼心に感じた。

大学は、関西学院大学 総合政策学部に進学。
高校では英語が得意だという自負もあったが、大学に行ってみるとそれは劣等感に変わる。
帰国子女がたくさんいて、海外に住んでいた経験のある子が珍しくない。そんな環境に突然放り込まれた。
通訳になりたい!と思っていた高校時代、大学にはこんなにすごい人がいるんだ、と打ちのめされた。

でも、心の底にあった「貧困問題」への興味はますます強くなり、ついに大学2年生の夏、フィリピン・マニラへ。
学生団体アイセックを通じた、インターンシップに参加した。
現地では、フィリピン公立病院の医師や看護師が危惧する「エイズの蔓延」に対する活動をサポートするものだった。

フィリピンはキリスト教であり、カトリックでは避妊をするのは悪だという教えがある。
こうした背景が後押しし、エイズが蔓延したことで、国をあげて正しい知識を伝え、根付かせていきたいという想いをもつ医療従事者がいた。
医師・看護師たちが自主企画したファッションショーでこういった考えを広く知ってもらうこと、
地元で有名なバンドを招致し音楽イベントの企画をしてコンドームのサンプリングをすることを一緒に経験させてもらった。

そして、フィリピンへ向かった一番の目的、テレビで見たゴミ山へ。
観光客が入れるような場所ではなく、現地の案内人がいなければ危ないということで、大きなトラックが集まるスモーキーマウンテンの入り口まで行った。
強烈なニオイ、路上で座り込んでいる人たち、道のわきで鶏や犬を解体している人。
どれもテレビで見るよりもずっと強烈で、いまでも目に焼き付いている。
画面越しに見た世界よりも目を覆いたくなる世界が目の前にあったし、満足な暮らしができている人がいるか?という視点でも日本とは比較するにも及ばないほど発展途上の国だった。

同時に、印象に残っていることは、子供たちの輝くような笑顔。
貧しくても、お金がなくても、学校に行けなくても、それでも路上で遊ぶみんなの笑顔がとてもキラキラしていて、わたしには「しあわせ」そうに見えた。

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しあわせってなんだろう。誰が決めるものなんだろう。
この時初めて、自分の価値観で「しあわせ」を測ろうとしていることに気が付いた。

それから、都市政策のゼミではモンゴルへ行ったり、バックパックを背負ってマレーシア・シンガポールへの一人旅。
タイ・ベトナム・カンボジア・インドネシア・韓国・中国・台湾・香港、とアジアを周り、卒業旅行ではアメリカ・ペルー・ボリビアへ。
社会人になってもキューバ、メキシコ、モロッコ、カナダなど、行きたい!という衝動に任せて海外へ足を運んでいた。

世界はとてつもなく広い。
地球はひとつの惑星なのに、こんなにいろいろな人が生きていて、それぞれの文化をつくっていることに出会うたび、とてもわくわくした。
こんな気持ちを抱えながら、わたしは日本でがむしゃらに働いていた。

海外で暮らす貧しい人に対して、健康を支えるものやサービスを届けたい。

そう思って入社したものの、6年間のしごとで海外市場に関わるしごとには恵まれなかった。
と、同時にいまの自分は本当に何がしたいんだろう。このまま働き続けるのが正解なのかな、と考え始めた。

希望した会社、大好きな商品、ダイナミックなしごと、親見になってくれる同僚や先輩たち。
本当に恵まれていると思う、でも何かが足りない。忙しい毎日を淡々とこなすような感覚、1週間がはじまったかと思えば一瞬で終わった~と感じる過ごしかた。
わたしは本当にこの先も、この生き方をしたいんだろうか?

そんなときに何かヒントを見つけたくて、いまの自分にはもう一度「しあわせってなんだろう?」という問いが必要な気がして。
だからわたしは、一度離れてみることを決めた。

会社を辞める。
自分ひとりで何ができるかわからない、「しあわせを探したい」なんて理由で辞めていいのかな。どんな学びを持って帰ってこれるだろう。
いろんなもやもやがあって、決断まで半年くらい悩んでたと思う。

でも、ずっともやもやしてるというのは、結局「行ってみたい」理由をさえぎる何かが邪魔をしていただけだと思った。
「しあわせってなんだろう?」、この大きな問いに対して何かヒントを与えてくれる場所ってどこだろう。
しごとの帰りに本屋に寄っては、ピンとくる場所を探した。

親友が「デンマークって照明とかインテリアとかほんとにすてき」と教えてくれたことをきっかけに、
わたしはデンマークという国のことが気になって仕方がなくなった。

・ジェンダーレスで対等、女性の社会進出が進んでいる
・環境問題や社会問題が当たり前に会話され、市民意識が根付いている
・子育ては社会がするものという価値観
・幸福度指数が常に上位にランクイン
・人生のコンパスを定めるための学校 フォルケホイスコーレ
・好きを磨き、個性を尊重する教育制度
・高福祉大国

知れば知るほど魅力的だった。

むしろ、どんな本を読んでもいいことしか書いていない。
自分の目で確かめたい、体験してみたい。

だから、わたしはデンマークで暮らしてみることにした。

そんな国にいる人の暮らしはどうなっているんだろう。
働きかた、生きかたを教えてもらえるような気がして。

そんな国で行われている教育はどんな形なんだろう。
人を育てるためのヒントが転がっているような気がして。

だから、わたしは会社を辞めた。所属を失い、ただの人間になる。
デンマークで何ができるかわからない、異国の地で何を学ぶことができるんだろう。
そんな不安を抱えながらも、とにかく行ってみることに決めた。
行くことを決めたら不思議と重たかったこころがすっと軽くなり、もやもやからわくわくへと気持ちが大きくなっていった。

28歳、間違いなく人生のターニングポイントになった1年間。
かけがえのない時間を贅沢にも自分のために過ごすことができた。

そして、この1年で「しあわせ」には決まった形がないことも学んだ。
だからわたしは、帰国して1年経ったいまでも、自分なりの「しあわせ」のかたちを探し続けている。


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