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スキル0だった私が在宅ワークを始めたきっかけ


5年前、幼稚園児2人を育てながら、
保育士として働いていました!

そんなある日、診断の結果が届き
要精密検査 」の文字。 

“ え?まじかよー! ”

というくらいで、正直そこまで重く受け取らず
なんとなく病院へ

詳しい検査しましょうね〜!からの
検査をした日...そこで、バタバタ!バタバタ!
と先生と看護師さん達

そして、数日後病院から電話が【 悪性腫瘍でした

“ え?まじかよー! ”

というくらいで、正直そこまで重く受け取らず
なんとなく病院へ

詳しい検査しましょうね〜!からの
検査をした日..

バタバタ!バタバタ!
と慌て出す先生と看護師さん達
(正気を保つのに必死の私)

そして、数日後病院から電話があり
ご家族と来てくださいと言われ、
ああ、終わった..と思いながら診察室へ


悪性腫瘍でした


冗談ではなく、本当に頭の中に
“ ガーーーン ”というテロップが流れ
目の前が真っ白に。


その時に、頭によぎったこと

・仕事はどうする?
・あと何年生きられる?
・子ども達とあとどれくらい思い出残せる?

とにかくこの3つのことで
頭も胸もいっぱいになり、大号泣
とにかくその日は母の前で大人げなく泣いた。


そして迎えた手術の日。
8時間越えの大手術。


アレルギー体質だったらしい私は、
術後自分の汗にアレルギー反応起こし(なんでだよ)
全身に発疹が出て、
トイレに行く車椅子から転げ落ち
大怪我をしそうになり、
本当によく頑張って生きた!
と自分を褒めたいほどだった。


それでも、頭の中は
「 子ども達と早く出かけたい 」
この時は、心も弱っていたから
自分が来週も生きられるのか?という
テンションでいたので、
入院してる場合じゃない!!という感じ。 


けど、入院中はただ天井を見つめる日々。


毎日毎日子どもの事でバタバタしながら
数年を過ごしていて、
こんなに自分の事に集中して考えごとができたのは
この入院中が出産して初でした。


保育士としてクラスを担任していたこともあり、
【 クラスどうしよう.. 】
という事がまずずっーと頭にあり、
同時に、この体と体力でクラスの子ども達を
守れるか?と自分に自信も持てなくなり、
なんとなく、「 退職 」を考えるように。


大好きな保育士を辞めるのは、
本当に悲しかった、悔しかった。
ちょうど楽しくなってきたところだった。
初めて、こんな先生になりたい!という
憧れの先生にも出逢えたタイミングだった。


でも、「 仕方ないんだよ
と、自分に言い聞かせた。落とし込んだ。
大好きな園児達のために懸命な判断だと。


そして、退職。
みんなが泣いてくれた。私も泣いた。
いつでも戻ってきてと。
嬉しかった。頑張ると決めた。


その時に思った。
私は【 仕方なく諦めた 】のではない。
違うステップへ行くために
バージョンアップするんだ

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