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世界は自分の解釈で決まっている。


『「事実」と「解釈」を間違えないことだよ。』

友人の上司から言われたこの言葉。

人間は、というより女性の多くは、事実を「事実」として捉えずに自分にとって都合よく「解釈」をすることが多いと思う。男性がどうなのかは知らないから、ここではあえて"女性"は、ということにしておく。
別に男女の差についての話がしたいわけでもなく、男女の違いによる偏見について言いたいわけでもないことは先に述べておく。ただ自分が女だから、こういう言い方をしただけである。

話を戻すが、私は事実を「事実」としてきちんととらえることが重要である場合と、事実を自分の「解釈」で捉え考えることがプラスに働く場合の2パターンがこの世に存在すると思っている。

前者に関しての当てはまる事柄は、「他人」が存在し、その上自分が相手から翻弄されている状況のときだ。例えば、曖昧な関係にされている男女の関係や、他人とのコミュニケーションをとるうえで不都合な状況下におかれているとき。
事実を真正面から受け取るには苦しいとき、相手の心理に対して「もしかしたら」「本当は」「たぶん」「かも」といった言葉で解釈をし、都合のいいように物事を考え進めたくなる。そうすることによって、無意識に少しでも自分が傷付かないようにしているんだろう。ものすごく共感する。
しかし、他者が存在している中で、事実が宙に浮いている、ないし不明である場合に自分の「解釈」で物事を捉えることは違う方向にすすんでしまうことが経験上、ものすごく多い。そして更に、最悪な状況に進んでしまうことも少なくはない。
そのため、他人が介在する事象に関しては、物事の事実を「事実」としてきちんととらえ自分の中に落とし込むことが大事であると思う。
こうやって文章にして説明すると、当たり前すぎることを何言ってるんだと思うんだけど、案外多くの人ができていない、そしてそれによってすごく傷ついている女性が多い。

ただ先ほど答えた後者の「事実を自分の「解釈」で捉え考えることがプラスに働く場合」があることも知っている。しかもこれによって自分の人生を180度変えられるとも思っている。

その事象は、他人が介在しない場合の事柄であり、自分を主語においたときに発生する事柄である。
例えば、「私は幸せだ」と思えば、私たちは幸せであるし、「私は●●だ」と言葉で表せる事柄全ては、自分の解釈でこの世は動いている。相対的にみて、お金持ちだろうが貧乏だろうが、それは自分にとって「お金持ち(貧乏)だ」と思えば、自分の世界の中では、お金持ち(貧乏)であるのだ。もっと簡単にいうと、正解を正解と思えば「正解」になるし、正解でも不正解と思えば「不正解」なのだ

結論、自分の解釈によって自分の人生は大きく違ってくるし、変えられる。

人は、一人でこの世に生まれ、一人で死んでいく。
自分の世界の中で生き、自分が真ん中にいて、自分の世界の中で死んでいく。
正解なんて、事実なんて関係ない、自分が思ったように自分の解釈で生きる。
それが、人々が生きる中で案外盲点であるけど、重要かつ大切にしたいことなのではないだろうか。とはいえ、もちろんこの世には「他人」も存在することを、お忘れなく。

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