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2023年の記録

ストレートから2年遅れで社会人になり、さらに24歳にして実家を離れ、「子ども部屋おばさん」を脱しました。社会的にも物理的にも所属が大きく変わった2023年は、これまで生きてきた中で、最も非連続的な年でした。

というのは、常に「自分が1ヶ月後は何をしているか」検討がつかなかったし、逆に1年前を振り返ってみても、あの頃の「日常」に手触り感がないから。仕事も、生活も、共に過ごす人も、目まぐるしく変化する年でした。

そんな2023年の振り返りです。



暮らしについて

就職に伴い、一人暮らしを開始しました。

とはいえ実家はぜんぜん都心で、会社までのアクセスも最悪って程でなく、どうしても引っ越す必要があるわけではありませんでした。

それでも家を出た理由はいろいろありますが、一つ大きいのは、「家族が一つの場所で集まっているフェーズは終わったかなあ」と感じたから。どの家族にも、意図せず互いに依存したり、傷つけてしまったり、ということがあると思うのですが、ここ数年の我が家はその傾向が加速していました。

というわけで、超絶重い腰を上げてSUUMOを漁り始め、理想的なお家に出会えたのが今年の6月。その日のうちに契約し、8月から新居での生活をスタートしました。

ちなみに都内から都内への移動だからと気楽に構えていたのに、引っ越し当日、母が思わず涙ぐんていたのには胸がぎゅっとなったりもしました。

「さあ、家事もロクにできず、朝起きるのもめちゃめちゃ苦手な私が、一人で生きていけるのか……?」と大海原に乗り出すような気持ちで荷ほどきしていた4ヶ月半前。その頃を思うと、今はいい感じで乗りこなせているので、自分を褒めてあげたいです。(同時に、上京して一人暮らしをしている全大学1年生へのリスペクトが無限に深まりました)

なんなら今の暮らしをめちゃめちゃ楽しんでおり。特に感じているメリットは、①友だち呼び放題、②衣食住が趣味になる、の2つ。

①については言葉の通り、引っ越した直後からいろんな人が遊びに来たり、泊まりに来たりしてくれました。自分が作った空間&おもてなしで喜んでくれるのは嬉しいし、「居心地いいね」と言ってもらえることがモチベーションで、部屋づくりや掃除に精が出ました。

周囲を気にせず何時間でも話せるし、場所代もかからずコスパもいい。最強だ。今後ももっといろんな人をお招きしたいです。

②については、これまで親に任せっきりだった料理や掃除が必然的に我がミッションになりつつも、それ自体を楽しめるようになると、生活しているだけで日々が潤うな、ということです。

前回よりも手際よく料理できるようになる、初めての食材の扱い方を覚える、上手に冷蔵庫の中身を使い切れる。排水口の中がピカピカになる、床を水拭きして気持ちいい、部屋に柔軟剤のいい香りが満ちている。あるいはお気に入りの家具や雑貨を好きに配置する。こういうひとつひとつが新鮮で、ただの暮らしの中でも充実感を得られるようになりました。

特に料理は結構やりました。仕事がそこまで忙しくなかったのもあり、週の半分くらいは自炊して、レパートリーも多少増えました。まだまだ修行の身ですが、半年前まで「卵を調理」するしかできなかった(ゆで卵、目玉焼き、オムレツ、以上)ことを思うと、Lv.1→20くらいには成長した自負があります。

あと、料理を通じて誰かの幸せや健康に貢献できる喜びを知ったのも大きかったです。少し前に後輩の子が1ヶ月くらい我が家に泊まっていたのですが、その期間、可能な範囲で手料理を振る舞ったところ、めちゃくちゃ喜んでくれたんです。

初心者なりに「好きなものを作ってあげたい」「もっと栄養あるメニューにしたい」と考えるようになり、「誰かを喜ばせるための手札」を増やしている感覚がありました

とはいえまだ半年も経っていない一人暮らし。「家事はあくまで生活の一部なのだから、一過性の趣味ではあかんのだぞ」と自分に言い聞かせつつも、「少なくとも今年はよく頑張ったね」と言ってあげたいです。

仕事について

学生時代をボランティアやインターン、とりわけ国際協力や教育支援のフィールドに費やし続けていた私は、卒業後のファーストキャリアとして外資系のコンサルを選びました。

それこそこの選択は「非連続的」なので、「NPO側」の人からも「大企業側」の人からも、しばしば意図を聞かれます。「そのまま教育や国際協力の領域に進むことは考えなかったの?」と。

そこでの回答は「ひとまずコンサルで修行したかったから」というありふれたものになり、むりやり分解してみても、「将来社会課題に向き合う上で通用する問題解決能力をつけたかった」「NPOの世界しか知らない視野の狭い大人になりたくなかった」「新卒のうちは待遇の良い大企業で安定を得たかった」あたりに着地します。

しかし新卒1年目も終盤に差し掛かるいま、久々に会う友人知人から「仕事どう?」と聞かれるたび、その答え合わせを求められている気がします。というか、他でもない自分が自分に問いかけています。

結論としては、「ファーストキャリア:コンサル」でめっちゃ良かった。いろいろ理由は挙げられますが、真っ先に来るのは「自分にとって心地良いやり方では貢献できない環境に浸れたから」かなと思います。便利な言葉を使うと、超「脱・コンフォートゾーン」でした。

前提として私は、MBTI(流行りの性格診断)でいうとENFP型で、要するに「論理よりも感情、数字よりも言語で生きる自由人」です。そして学生時代の近しい友人も、このタイプが圧倒的に多かった。

ひるがえって今の職場で活躍されているのは(そりゃそうなのですが)「THE・コンサル」的な方ばかり。事実を正確に認識し、深く早く思考し、曖昧さを残さず論理的に主張できる。自分とは真逆の方ばかりです。

振り返ると学生時代のインターンでは、「感覚派」の自分でもある程度は戦力になれました。なぜならNPOやベンチャーって常に人手不足だし、草の根の地道な仕事が多いし、「明るく素直に働ける、時間のある若者」の貢献しろは十分にあるからです。

とりわけ教育や国際協力の現場では生身の人間を相手にする分、論理よりも感情、思考よりも行動が重要なシーンは往々にしてありました。加えて私は「ENFP族」のなかでは比較的考えるのが好きな方なので、「頭脳派」っぽいポジションになることも時にはあったりで。

でもそれはあくまで相対的な話。今の職場で「頭脳派」なんて冗談でも言えず、そういう意味で、思考や行動スタイルが対極の方たちと時間を共にしながら、「こっちの方向にも幅を広げたいな〜」とお手本を示してもらっている感覚です。

ただ、たしかに業務レベルでは「イメージと違うな」と感じることも正直あるし、旧友が「THE・ソーシャルな現場」でいきいきと働く姿に焦ることもあります。でも「自分の選択を後から愛せるようになると良いな」という気持ちで、そこそこ気楽に構えながら頑張っています。

(余談:似たような志向の後輩から「キャリアを直感で選ぶか、冷静に一旦大企業に行くか」という進路相談を受けることも多いですが、個人的な答えとしては「超やりたいことが決まっているなら前者でも良いんだろうな」と思います。なぜならその仕事を心から望むなら、きっと有無を言わさずその環境で全力投球できるし、そのなかで力がつくだろうから。そうでないなら、「一旦修行」的な選択は、無難ですが賢明ではある気がしています)

その他印象的なあれこれ

期間限定ライター見習い

社会人になるまでの半年間、ライター見習いをしていました。友人に紹介してもらったフリーのライターさんの元で記事の構成と執筆をさせてもらい、その上でがっつり添削・編集していただける贅沢なアルバイトでした。

ジャンルとしては企業広報用の社員インタビューが多かったのですが、「インタビュー記事」にこんなにノウハウが詰まっているのかと目からウロコが落ちまくりでした。ただの「文字起こし」ではライターが介在する意味はないのだそう。

漏れなくエッセンスを盛り込みながらも、読者にとって読みやすい形に整える。「創作」してはならないが、的確かつキレのある表現で、発言を記事として昇華させる。そのプロセスはめちゃめちゃ面白くて、たった半年しか関われなかったのが本当に悔しいです。もっと早く出会っていたかったなあ。

本業でなくとも、またどこかで文章を書く仕事がしたいな。

人生初・友人の結婚式。広島にて

中高6年間を共にした友人が結婚し、人生で初めての「友人の結婚式」に参列しました。

それもその形式がかなり珍しくて、「夫婦とその友人でつくり上げる手作り結婚式at広島の小学校&海辺のゲストハウス(ふたりとも東京暮らしなのに!)」という……新しすぎて想像できない。ご本人たちのnoteにて詳細を↓

ロケーションも、一つひとつの企画も、集まっている人たちの雰囲気も、どれをとってもきらきらしていて。いち参列者の私にとっても、まさに今年のハイライトのひとつになりました。

ちなみにこのご夫妻は毎月のようにホームパーティーを開催しており、そちらにも足繁くお邪魔させてもらいました。仲間との料理や、みんなで食卓を囲む温かさを教えてくれた存在です。

素敵な展示にたくさん行った

元々美術館や企画展は好きでしたが、今年も月1くらいのペースで何か見に行っていました。特に今年はTokyo Art Beatというメディア・アプリに出会い、面白そうな展示を探しやすくなりました。

特に好きだったのはこの2つ。自然と無機質の融合的なコンセプトがツボです。

余談ですが、実家暮らしの頃は新宿駅ユーザーだったので、京王線とJRの間の連絡通路にて、忙しく入れ替わる展示のポスターを日常的に目にしていました。しかし引っ越してからは使う駅や路線が変わり、自分から調べないと新しい展示の情報が入ってこない環境に。「情報格差ってこういうことか?」と思いました。

仏教に触れ、利他を再考した

友人の誘いで、京都にある「実験寺院・寳幢寺(ほうどうじ)」を訪れ、仏教の考えに触れる機会がありました。「実験寺院ってなんだ」という感じなのですが、簡単に書くと「仏教の考え方を現代に適用するようインストールしてみよう」と試みる新しい形の寺です。

特に僧院長の松波龍源さんは、仏教の理論と実践、はたまた仏教を超えたあらゆる人文学に精通する超すごいお方。京都で頂いた龍源さんとのディスカッションの時間は、言い表し難いほど鮮烈でした(そして情報量過多で疲れた)。

とはいえ私は、ほんのちょーっとエッセンスをかじって、自分にとって都合の良い部分だけ持ち帰らせてもらったに過ぎないのですが。そのなかでも刺さったのは「利他」についての考え方です。

元々私は、他者貢献や社会貢献に対する意識が強い方でありつつも、その意識を支える心のあり方を定めきれないところがありました。端的に言えば、「人にやさしく」あり続けるための方法論や精神論が分からなかった。

他者の期待や社会の要請に個人が応えるのは限界があると理解しているし、キリスト教でいう黄金律的な考え方(「自分のしてもらいたいように、人に対してもしなさい」)もどうもしっくり来ない。

そんな中で仏教的な考え方はすごく腑に落ちて、それ以来ちょっとだけ気持ちが軽くなったのです。これでnote1本書けそうな内容なので割愛しますが、まとめると「自分が生きていくのに必要なエネルギーやリソースの閾値を知り、それを超える分だけ他人に与えるのがよい。閾値を割って人に与えた場合、受け取った側は窃盗を働いたことになる」という考え方。超簡単に言えば「無理ない範囲で誰かに優しくしたほうがお互いハッピーだよね」ということだと解釈しています。

あとはこれはより観念的で素人には体得し難いですが、「本質的には自分も他人も区別のない存在だよ」という考え方も、もし腑に落ちたら結構生きやすくなるだろうなと思っています。

今年のはじめのnoteで「最近の私は自分と他者の境界を引くのが苦手だった」的なことを書いたのですが、それってつまり「他者との間に過度に一線を引いてしまう」あるいは逆に「他者に入り込みすぎて苦しくなる」とか、そういう悩みでした。仏教の考え方から、ひとつのヒントをもらった気がします。

旅行もした。もっとしたい

結構一年間で色んな場所に行きました。旅行、インターン、イベント運営、上に書いたあれこれなどで、沖縄・福岡・京都・大阪・広島・静岡・石川・福井へ。

旅先の景色も、味も、香りも、温度も、心に残っているものがたくさんあります。見知らぬ町を一人で徘徊するのも好きだし、非日常を誰かと共有するのも好き。来年も色んなところに行きたいな。

目標は、①海外にも行きたい(パスポートの期限が切れているのでまずは重い腰を上げて更新する)、②運転を上達して行動範囲を広げたい、③母とふたり旅したい、の3つ。

大人になるって楽しいです。


半年ぶりのnoteで息切れしているので、このあたりで終わります。

来年もいい年になりますように。

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