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呼吸の音 と ピアノの音色


呼吸の音 と ピアノの音色


吸って 吐く
吸って 吐く
吸って    吐く

体から奏でられる音は
指先から溢れ出る音と重なり合い
空間を埋め尽くす

かつて、あなたが聞いていた音は
時空を超えて

穏やかな
“時”を離れるあわい光

暗闇の中で見た
わずかな光を思う

降り続ける雨音に
耳を澄ませ

次なる音は
次なる風景を生み

とりとめもなく
流れゆく

意識の旅路は
音にのって

残されたものを
導き続ける


坂本龍一さんが逝ってしまった。

20代の終わり。
ちょうど坂本さんが「LIFE」というオペラを製作中の時、私はその番宣番組のナビゲーターとしてニューヨークを訪れた。それが坂本さんとの出逢いだった。ナビゲーターと言っても20代の私は坂本さんを前に案内役など出来るわけもなく、ただただ坂本さんから色々なお話を聞き、制作現場を見せて頂き、沢山のことを教わった。ここでの経験と、出逢いが、その後の私を形成していったように思う。

「LIFE」を製作中の坂本さんは輪郭がなくなりそうに透明だった。まるで天から言葉を下ろす預言者のように。けれども、舞台が始まりだすと現実感が増し、逆に輪郭は濃くなっていったように思う。
「LIFE」には20世紀へのレクリエムと、そこから始まる21世紀が「共生」への道へ続くように、という祈りが込められていた。
これが終わったら坂本さんは一体次に何をするのだろう?と思っていた。
それほどまでに、「LIFE」で描いていたことは壮大で、神々しかった。

私がこんなことを言うのはおこがましいけれど、坂本さんが奏でる音はそこからどんどん自我が抜けて軽やかになり、自然に近づいていっていたように思う。そして、積極的に“自然の理”に反していることには声をあげ、環境活動などもされていた。そして、病気をされて以降はますます、その音の深さと純度を高めていかれたように思う。

いつしか坂本さんは人間の側からではなく、自然の側から物事を見るようになっていたのではないだろうか。そのように変化し続ける坂本さんの背中を見ながら、私も自分サイズでいいから、そのように年を重ねていきたいと思っていた。

昨年末に配信された「playing the piano 2022」を見た時からそう遠くない未来に「その日」が来るのだと想像していた。1音、1音確かめるように、大切に音を奏で、音の余韻に耳を傾けて弾く<姿>と<音>はこの上なく美しかった。
そして最後のクレジットに、坂本さんの愛するご家族の名前が並んでいるのを見た時、目頭が熱くなった。最期にご家族で作った素晴らしい作品。

入退院を繰り返すようになってからは公私共に坂本さんのパートナーであった方に病状をお聞きしながら、坂本さんにも時々メッセージを送っていた。病気でなかなか外に出ることも叶わないと思ったので、美しい景色のある場所に行った時や、美しい花を見つけた時に短いコメントをつけて写真を送った。坂本さんからも短いメッセージとスタンプが届いていた。最期に送ったのは3月25日。満開の美しい桜の花を見られていないだろうな、と思ったので桜の花の写真を何点かセレクトした。逆光に照らされた桜の写真だったので、送る時に「ちょっと向こう側の景色のようだな」と思っていた。
坂本さんからはやはり短いメッセージとスタンプが届いた。
それが最期のやりとりとなった。
今から思うと、その時はもう大分苦しい状況だったのだと思う。

それから坂本さんの訃報を知ったのは4月2日。

それから毎日のように多くの人が坂本さんへの追悼文をsnsにあげていた。
それを読むたびに多くの人の心の中に坂本さんの命が宿っているのだと思った。
そして追悼番組を見るたびに、坂本さんが残した沢山の<作品>と<行為>の中にも命が宿っていることを再確認した。すごいと思った。芸術の中だけでなく、あらゆるものの中に坂本さんの命が息づいている。坂本さんは最期の最期まで、私たちに沢山のメッセージを投げかけ、残していってくれたのだ。

心よりの感謝を坂本さんに。

そして、各々の中で坂本さんからの命の種が花開きますように。


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流れゆく景色を眺めながら心に浮かぶ言葉を紡ぐ。物理的に移動する旅もあれば、たったひとつの言葉から心の中の風景が流れることもある。その気にな…

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