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ハリー・ポッターと魔法と現実と

先日、としまえん跡地にできたハリー・ポッターの施設に遊びに行ってきた。以前にも行ったことがある友人たちに色々教えてもらいつつ、子供の頃夢中になったあの物語の世界を堪能した。言うまでもなく現実世界に戻るのは大変苦痛であった。

私はハリー・ポッターのドンピシャ世代で、ちょうどハリーと同い年くらいの時に本を読んだり映画を観たりして夢中になっていた。当時の私はちょっと、というかかなり夢見がちだったので、11歳になったらホグワーツから手紙が来るかもしれないと結構本気で期待していた。(余談だが、机の引き出しから22世紀の猫型ロボットがくることも期待していた。威張ることではないが自分はのび太くんと同じくらいのレベルだという自負があったので)

まあ当然、フクロウ便もハグリットもくる事はなく、マグル界(ハリー・ポッターの世界でいう魔法使い以外の人種が住む世界)で現在に至るまで生きてきた。

原作を読んだり、映画を観た方はお分かりだと思うが、魔法使いというのはもちろん生まれ持った才能が必須ながら、それだけではダメで、きちんと教育を受けなければならず、魔法学校に行き、勉強をして、試験を受けて、卒業して、就職というのが一般的な流れになる。とどのつまり、人間界と大差ないのである。なんとなく杖をちょいちょいと振って呪文を唱えればなんでも出せて何でもできるという甘いもんではないのである。

ハリー・ポッター以前にも、私が子供の頃見ていたアニメで魔法に勉強や練習が必要だという描写があった。一つは劇場版ドラえもん「のび太の魔界大冒険」という作品で、のび太くんがドラえもんのひみつ道具「もしもボックス」を使用して魔法の世界を作りだすものの、学校では魔法の勉強が必要だし、箒に乗るのも練習が大変だし、車の代わりにみんなが乗っている空飛ぶ絨毯も車同様免許が必要。なんとも夢のない世界が誕生してしまう。そしてもう一つは「コジコジ」というアニメだが、この作品はちびまる子ちゃんで有名なさくらももこ氏の漫画が原作で、ジャンルでいうとナンセンスギャグアニメという感じの世界観の作品なのだが、このアニメの中でも魔法を使うのは勉強と練習が必然とされていた。

魔法が使えるからといってなんでも容易く叶ったらなんの苦労もないわけで物語としては面白くなくなるのだが、もし自分が魔法使いだったら、やっぱり努力しないで魔法が使えたらいいな、などと考えているだろうな。と怠惰な私は思う。

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