積み残しがあって当たり前
今日は久しぶりの有休。
気がつけばもう9月になっていました。
前にブログを書いてから、ひと月以上が経っています。
大殺界の今年は毎月なにかしら仕事でトラブルが発生していたのですが、7月にもまた大きな事件があり、対処に追われているうちに8月も終わってしまいました。
近ごろは残業するたびに「50代になって人生の残り時間が少なくなってきているのに、仕事ばかりしていたくない」という気持ちと、「そうは言ってもそれでお給料をいただくのだから、きっちりやることはやらないと」という気持ちの葛藤を感じます。
体力的にも、40代の頃と同じような長時間労働をすると、終業後は反動でなにもできなくなってしまいます。仕事の質を担保するために自分の残り時間をそんなに使っていいのだろうか… という思いがどうしても拭えません。
それはさておき、7月の事件をなんとかこなしているうちに、急に「ブログを書く」ということがとてつもなく面倒に感じるようになりました。
折からの酷暑で気力もなくなり、たまになにか書こうと思いついても、文章になる前に雲散霧消。
もともと、8月は暑くてとうてい出かけられないので、週末は家に引きこもって、5〜6月に出かけたときのことをブログにしたり、本を読んだりするつもりでした。
が、ついにブログは一本の記事も書けず。
当初の予定とはまったく違ってしまった夏。
書けていないブログ、やりかけのテキスト、ほったらかしたままの家事のto doリスト…
生活に散らばる未完のあれこれを数えながら、人生はこんなふうに積み残しがあるのが当たり前なのだろう、すべてを思い通りにこなせるなんてありえないと知っているはずなのに、どうしてそれを忘れてしまうのだろう、と考えたりします。
きっと人はたくさんの積み残しをかかえたまま、最後まで行くのではないでしょうか。
逆に、なんの心残りもないのだとしたら、(語弊はありますが)すぐにもあの世に行けてしまいそうな気がします。
さて、ブログは書けなかったものの、読書のほうはなんとか進んでいます。
この夏は例年挫折していた「平家物語」に再挑戦。毎年越えられずにいた一巻の壁を乗り越え、ようやく半分まできました。この分なら今年こそ読み終えられるかも。
やれなかったこともあるけれど、やれたこともあるので、よしとします。
ブログのほうもまたぼちぼち。