見出し画像

教員志望だった私が代表取締役になっていた経緯〜ショートVer.〜

このテーマについて長々と4回にも渡って書いてみましたが、やっぱり長かった。。書き始めたら、いろんなことを思い出してしまって、掘り下げたくなった結果、、くどい。自分では色々と振り返れて、すごくよかったんですが、読む側からしたら苦痛だと気づいたので、ショートVer.も書いてみました。そしたら、書くポイントまでズレた。。笑

これはこれ、ということで・・笑


ーーーーーshort verーーーーー

高校まで優等生だった私は、「子どもたちにとって大切なことを教えてあげられる、素敵な先生になるんだ!」と志して東京学芸大学に入学しました。アルバイトとサークルと飲み会に明け暮れる日々。とはいえ、せっかくなら取れるものは取っておこうと思い、幼・小・中・高・特別支援の教員免許が一通り取れるように授業は詰め詰めで、毎日忙しい日々を過ごしていました。そんなこんなしているうちに、あっという間に大学3年の後半。

うちの大学は教員になる人が多く、就活する人が少ない。私もその流れに身を任せ、就活をせずに、大学3年を終えようとしていました。が、、心の声が。。

「このまま卒業して教員になっていいのか、、?!」

私が理想としていた、素敵な教員になれる自信が、当時の私にはまるでありませんでした。

学校から出たことがない私が、一体何を教えられるのか、、?自分自身、全然魅力的な人間になれてないし、何の知識も経験もない。

もう一つ。

「もうちょっと待って、、!」

教員になる覚悟ができていませんでした。モラトリアムってやつですね。

ということで、密かに行きたいと思っていた海外へ。オーストラリアへ8ヶ月間逃亡しました。

英語も話せず、オーストラリアで何するかも決めず、どんな国なのかもよくわからずに、いつ帰ってくるのかも決めず、初めての一人での海外。震えながら旅立ちました。

一つだけ決めて行ったこと。

”オーストラリアで教壇に立つ”

ということ。

結果、英語もなんとなく話せるようになったかな、程度でしたが、なんとか現地の人たちに支えられて日本語教師アシスタントとして4ヶ月間ボランティアさせてもらえました。

この経験は、私の中ですごく大きな成功体験になりました。”やると決めたらできる”というのが潜在意識に刻まれている気がします。

8ヶ月のワーホリの間に、気づかないうちに刷り込まれてしまった感覚がありました。それは

”自分のやりたいことをやるべし!”

オージーたちの縛られない生き方に影響を受けてしまい、「将来何したいの?」という質問に対し、「教員になる」という答えが、いつの間にか「世界中、広い世界を見て回りたい」に変わっていました。

実際、帰ってくる頃には、オーストラリアで先生になろうか、結婚してこっちに住まおうか、そうでなくても、海外で働こうか、、とかいろんな可能性を感じていました。

何となく、広い世界をみれた気がして、いざ帰国。途端に元の生活へ。周りはみんな卒業して教員、もしくは就職。一気に日本の環境に飲み込まれてしまいました。。

あっという間に大学最後の1年が過ぎ、やっぱり教員に。。

となるかと思いきや、ここでも教員になる道から逃げました。教員採用試験は真面目に受けず、教育実習先の校長先生から直々の臨時採用オファーも断り、非常勤職員として4年生の時に働いていた児童養護施設への就職を決めました。

教員になったら一生教員”。その感覚がどこかにあって、どうしてもそこに踏み出せなかったんだと思います。

就職してすぐに再会した大学の先輩から聞かれて胸がザワついた一言。

「将来何したいの?」

ザワザワ。。

”聞かないでーーー!”心の中で叫びました。聞かれても自信持って答えられないし、将来のこと考えると不安になるし・・

その時に一応答えたのは「特別支援学校の先生になろうと思ってます」。

先輩は、その心のザワつきに気づいたのか何なのか、そこから色々と世界を広げてくれるような人や場に繋げてくれました。

そんな中で出会わせてくれた、一人のツワモノ。。(というか何と言えばいいのか)

事業家でもあり、投資家でもある男性。その方から、これから世界に大きく伸びていくという事業の話を伺いました。当人がビジネスモデルも組み立てたのだと。

当時の私には何を話しているのやら、チンプンカンプン。通訳してください・・って感じでした。笑 で、最初の感想は「怪しい・・」

まあ、ビジネスだとか起業だとか、全く興味も関心もなかったので、言葉もよくわからないし、その話がどれだけ可能性ある話なのか、当時の私には全く理解できませんでした。

ただ、理解できたのは、”金銭的リスクはおそらくほぼないのだろう”ということと、”何となく面白そう”ということ。

このタイミングで目の前に来たし、とりあえずやってみるか!

と、そのくらいの気持ちでスタートした、私のビジネスライフ。

これが案外上手いこと進み、そこから8ヶ月ほどで仕事を辞め、1ヶ月ほど南米を旅し、1年足らずで完全に個人事業主へ移行。そこから2〜3年で株式会社にした、という感じです。

上手くいかないことはもちろんありましたが、あの時踏み出して、ここまで継続してきて、本当によかったです。

踏み出してよかったと思える1番のポイントは、”自分の本当にやりたいこと”にちゃんと気づけたことです。

「世界中、広い世界を見て回りたい」

心の奥にしまって、見て見ぬ振りをしていたこの欲を解放できました。その時から、自分の未来にワクワクして仕方ありません。

自分で事業をスタートして、自分でお金も時間もコントロールできるんだ、ということに気づけたことがすごく大きかったです。

今となっては、ママだからこそ、この事業に巡り会えて、今の環境が作れていることに感謝しかありません。まだまだこれから来る、この事業の波を逃さず、しっかり稼いで家族を守っていくぞ!(あ、もちろん主人にも稼いでもらいますけど。笑)

そして、世界中で家族の思い出を作るぞーーー!


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?