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永遠って思い出の中にしか存在し得ないんですよね (日記その122

・隣に一家が越してきて、5歳ほどの女児がワーキャー叫んでいるのがよく聞こえてくるようになった。この女児もあと数年もすれば成長して叫ばなくなって、中学生にもなれば「私が物心ついた頃からずっと無職の気味の悪い隣人」と僕を認識するようになるのだろう。でも、僕はその頃には実家を出てどっかで働いてたりするのかもな。いや、どうだろう。ずっとこのままかもしれないし、いきなり真っ当になるかもしれない。これから僕はどうなりたいと望むようになるのか、今は上手く想像できないけど今後に期待ですね。

・中学1年生の時にけいおん!にハマった。ED曲「Don't say "lazy”」の「大事なのは自分 可愛がること」「自分を愛さなきゃひとも愛せない」というフレーズに何か核心めいたものを直感したのを鮮明に覚えている。「精神的自立から生じる自己愛がなけば他者(世界)を受け入れることはできない」という精神的課題を、厨房の時点では認識できていなかったけれど、無意識の領域では掴んでいて、だからこそあの曲に惹かれたたのだと思う。僕が大学生になってようやく気づいた事を、秋山澪さんは何年も前に歌詞に書き上げて高らかに歌い上げていたのだからすごい。

・物心つく前から何度も通った近所のショッピングセンターが来年閉店するらしい。エスカレーターが怖すぎて乗れず号泣した中央階段も、全然ルールわからないポケモンカードを買ってもらったおもちゃ売り場も、少食のくせに毎回欲張ってお子様ランチ頼んで残しまくったレストランも、無料クーポン握りしめて1つだけドーナツを買ったミスドも、行く度に珍妙な文句が掲示されているお客様の声コーナーも、全部なくなるらしい。
 不景気だし人口減少に歯止め効かなくなってるし、思い出の場所がなくなっていくのってこれから先もっとたくさんあるんだろうな。悲しいといえばまあそうなんだけれど、なくなることで思い出が剥製になって自分の中の永遠の1つに加わるような気がして、それはそれで悪い気がしない。ハーバード大学の最新の研究によると、永遠って思い出の中にしか存在し得ないんですよね。これって意外ですよね。感傷マゾかも。
 でも、悪いことばかりじゃなくて、終わるということは新しい何かが始まる(可能性がある)ということでもあるので、それも楽しみ。思い出のショッピングセンターは閉鎖後にMEGAドン・キホーテになるとかならないとか、そういう噂がある。ドンキは幼馴染がチャラ男に寝取られてるみたいで嫌かも。

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