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ニュース見てない (日記その129

・自信を持ったり感受性を高いレベルではたらかせたり、そういう主体性をできる時とできない時がある。理由や原因はその時々で違うけど、体調や精神的なコンディションが大きな要因になっていると感じる。そう考えると、自我の流動性に目がいって、自己統一性が揺るぐ。でも、いついかなる時も揺るがない信念や美学を通し続けて生きるなんて、そもそも現実的ではないのかもしれない。そういう人間性はフィクションの中のものなのに、僕はフィクションばかり見て生きてきたので、それが実在していて、自分も持てると錯覚しているのかも。


・普段は温厚だけど不満が爆発すると手がつけられないタイプって滅茶苦茶卑劣かもしれない。不満があるのなら溜め込まずに相手とコミュニケーション取ってちゃんと伝える努力をすべきなのに、それをせず「今までずっと我慢していた」といきなりキレ出すのは怠慢だ。そう言う僕も衝突のリスクを面倒くさがって勝手に我慢してしまうことがあるので気をつけて生きたい。


・配信者って言葉が出てくる速度が早すぎてすごい。そういう能力は訓練で身につくものなのだろうか。Vtuberになりたい。


・すき焼き食べたい。毎年大晦日に父がちゃんとした割り下を使ってすき焼きを作ってくれる。「肉を焼いて軽く煮込む→肉だけ食べる→野菜や白滝を入れて煮込んで食べる→これを繰り返す」という儀式みたいな手順でやるすき焼きを、食べたい。


・ジジイがやってる個人経営の古本屋に入ってみたところ、アレがそこにあるとかこっちにはこれがあるとか一々口を出してきて鬱陶しかった。のんびり棚を見て回るどころではなくなったので100円のゴルゴ13 105巻(一冊も持ってないのに)を一冊だけ買って出た。店を出てからこれがジジイの営業術だったのかもしれないと気づいて悔しくなった。


・本当の本当にニュースを一切見ていない。ニュースだけでなく、時事の話題が表示されるような媒体すら見ていない。元から世情に疎い方ではあったけど、ここ数年で更にそれが加速した。世の人々が不景気や政治に不安を募らせている一方で、それが存在しない世界に生きている。
 一人ひとりが時事に関心を持つべきというのは確かにそうだと思うけれど、ニュースって大体不快な思いをさせられるコンテンツだから正直見たくない。時事について理解を深めればより不満を感じるようになって日々の不快指数が上がるんだろうなという予想が容易にできてしまって、ニュースを摂取しようという気概が全く湧かない。こんな態度で生きていたらある日突然に破滅を迎えることになるのかもしれないけど、破滅のリスクと引き換えに不愉快を回避しているのだから仕方がない。


・大発見!自己啓発本は忙しい労働者にも読みやすいよう読みやすい作りになっているので立ち読みで情報を丸ごと得ることができてしまう。字が大きいので文量は少ないし、ビニールがかけられていないからどれでも読み放題。何かしらの対策を講じないと実質的に万引きを許容しているのと何ら変わりがない気がするけど、大丈夫なのだろうか。


・ルックバックを観てきた。「学校にも来れないような軟弱者に漫画が描けますかねぇ~」というセリフがタツキっぽくてかなり好き。

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