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#15 真夏の夜の夢

 夕方になるのを待って僕らは彼女の地元の祭りへと繰り出した。
 天気は晴れ。それも鮮烈なほどに快晴。花火を打ち上げるには最適な天候だ。間も無く日没を迎えるところだが、相変わらず外気はじっとり張り付いてくる湿度の高い暑さを誇っていた。年々右肩上がりになっていくこの暑さにまるで慣れる気配もない。
 彼女の実家は僕の自宅のある渋谷から40分程電車で行ったところにある。生活するには困らない所なのだが、どこか垢抜けない街でほんのりと懐かしい気持ちにさせた。
「私の知っている風景よりだいぶ賑やかです」と彼女が呟いていたが、だいぶどころか祭り会場の最寄り駅に近付くにつれて祭りを心待ちにしているであろう様相のカップルや親子連れで溢れかえっていく。どこを見ても吐き気がするほどの人、他人、ヒト。渋谷の喧騒とは違う、パニックにも似た騒々しさを感じた。
 駅に着いた時点で僕らのパラメーターは半分以下に削られていた。このハイテンションなどんちゃん騒ぎに耐性のない二人が祭りに行くなんて、サバイバル以外の何物でもない。
「はあ…凄い人の量だな…能崎、大丈夫か…?」
「い…生きてます…」
 文字通り息も絶え絶えである。しかし、はぐれると思ったのかどちらからともなく互いの手を繋いで人混みの中を進んでいた。
 花火が始まる1時間前に会場に到着した僕らであったが、彼女は早々に人気の無いところを求めた。
「おいおい、露店で何か買ったりとかしなくていいのか?花火が始まったらもっと人増えるぞ」
「一旦…休憩で…」
 この雰囲気を楽しむ余裕さえ無いのが恥ずかしいやら、虚しいやら。
 会場から少し外れた道端で、不動の自動販売機で買ったジュースを片手に休むことにした。
「想像以上の人ですね…ネットの中でしか見ていなかったので、数のイメージが掴めていませんでした…。調子に乗って浴衣なんて着て来なくて良かった…」
「40万人近くがこぞって同じところに集まってくるなんて…どこから湧いて出てきたんだろうな…。光に寄ってくる虫みたいだ」
 僕がその一部になっていることに何故か嫌気が差してため息を吐いた。否、どこまでも素直になれない人間性だということに嫌気が差したのかもしれなかった。

 さて、祭りの似合わない僕らはやっと気を取り直して露店を巡ることにした。
 露店は煌々としていて、活発な男性や若い女性の売り子の声が飛び交っていた。
「定番の焼きそば買いましょうよ」
「いいね、そうしよう」
 やっとこの雰囲気に慣れてきて、次第に彼女にも笑顔が見え始めてきた。
 威勢の良いおっちゃんが作ってくれた焼きそばを2つ購入した。人は何故経験したことも無いことを懐かしいと感じる時があるのだろうか。その焼きそばは昔食べたことがあるような味がして、僕らはあっという間に平らげた。
 楽しみ始めた彼女は異世界に迷い込んだ少女に早変わりしていて、わたあめ、りんご飴、お面にイカ焼きと次々と買い込んで、遂には金魚すくいなんてものもやらされる羽目になった。
「祭りの金魚はすぐに死ぬぞー?」
「では、長生きしたら素敵ですね」
 やったことがないと言っていた割に、その店のお爺さんにコツを教わるとほいほいと器に金魚を放り込み始めた。彼女はなんだかんだ色んなことに器用である。
 小さな袋の中でゆらゆらと泳ぐ金魚を掲げて、彼女はご満悦な様子だった。
 そうこうしているうちに、花火が始まるアナウンスがかかった。露店の近くにいた人々もぞろぞろと水辺に移動していった。特に場所取りも考えていなかった僕らはその流れに沿って移動してみることにした。

「あ……!!」
 小さな子供が発したその声で大会の開始に気付いた。ほぼ同時に人々が夜空を見上げる。
 花火はひゅるひゅると昇りながら打ち上がった。どんっという大きな音ともに闇夜に広がる美しい花火。そして一瞬にしてさらさらと消えゆく。打ち上がるたびに湧き起こる「わあ…!」という人々の歓声。その一連の流れはやはり長年続く日本の夏の風物詩で、ここに居る一人一人に根付いては受け継がれていくのだろう。
 久しぶりに僕は花火を間近で見上げた。「おお…!」だなんて口にしては年甲斐もなく興奮を覚えた。
 一人楽しんでしまっていたことにはっと我に返り、横に立つ彼女は如何なものかとふと視線を移した。彼女は物憂げな表情でそれを見つめていた。打ち上がるたびに彼女は花火と共に色付くのに、照らし出される表情はどう見たって悲しげだった。それは初めて花火を見る人間が見せる顔ではなかった。
 歓声を上げることもなく、彼女はただひたすらにそれを目に焼き付けている。
 何を思っているのか、その場では聞かなかった。
 花火大会はあっという間だった。15分程度だっただろうか。体感としてはもっと短い。暑さと人混みの中を待ったというのに、メイン様はほんの一瞬で終わってしまう。彼女はしばらく黙り込んでいた。
「大丈夫か?」
「あ、はい、大丈夫です。楽しかったですね」
「そうか、楽しめたか。まだ露店巡りするか?」
「いえ、満足しました。人生で最初で最後の花火大会。………帰りましょう」
「そうだな」
 会場最寄り駅周辺はすぐさま入場規制がかけられた。僕らはまたしばらく密集した人の熱気と外気と湿気に耐えることを強いられた。
「アイスでも買えばよかった…」
「仕方ありません。これを待っていると帰れなくなりますよ」
「それだけは勘弁願いたいね」
 やっとのことで乗り込めた電車は乗車率120%というところだろう。もう痴漢だなんだだなんて言っていられない。今にもさっき食べたものが押し出されてきそうなのを必死に堪えた。
 僕より小さい彼女が押し潰されないようになんとかして場所を確保しようと思っても、無理くり詰め込んでくるのだからどうしようもない。僕らは必然的に抱きつくような形になってしまった。
 痛いよ〜と泣き出す子供も居たり、ここぞとばかりに男らしさを見せようとする者が居たり。車内はカオスが繰り広げられていた。

 やっと渋谷に着いたところで、僕はこの空気に「帰ってきた…」と呟いてしまった。普段は嫌いだと思っていた場所はいつしか僕の中に巣食っていたらしい。
「き……金魚を守り抜きました………」
 眉をへの字に曲げて泣きそうな顔で彼女は金魚に大丈夫だったかと問いかけた。
「確かに、大惨事になるところだったな。良かった、破裂しなくて。…色々と」
「寿命縮んじゃったかな……」
「祭りの金魚にそんなに入れ込むな」
「酷いこと言わないでください。この子たちだって一生懸命に生きてるんですから」
 自分の命はこれから投げ出すくせに、おかしな奴だと思った。そんなに大事にするのなら、己の命も大事にしたらいいのに。
「そういえば、この子たちどこに移してあげましょう…?」
「ああ…何にも家にないぞ…」
「じゃあ買って帰りましょう」
 あんなに異世界のような空間に居たのに、気付けばいつもの24時間大型ディスカウントショップに向かっていた。そこで少し大きめの桶を買って帰った。
 彼女は帰宅すると早速金魚たちを桶に移してやっていた。エサなんかもあげちゃって。一番涼しいところにとどうしてか僕のデスクの側に置いた。自室に置けばいいのに。
「素敵な夜をありがとうございました」
「ああ、疲れたろうからゆっくり休みな」
「花火ってどうして綺麗なんでしょうね」
「さあ、どうしてだろうね」
「おやすみなさい」
「うん、おやすみ」

 彼女が花火のように弾けるまで
 あと2ヶ月。

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