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煙草は自殺への一歩。

道端に落ちているその吸殻は、切なくも環境汚染の素と言われ、それをどんな人がどんな想いで口にしていたかなんて誰も想像しない。
煙の行き先が分からないように、喫煙者というものは己の行き先の見えぬ人間の集まり、と言っても過言ではないかも知れない。喫煙所に溜まる人々を見て少なくとも私はそう思う。

私は煙草が大嫌いだ。今も、これからも。
それなのに最近、時たまに吸う。
とは言っても過去にも吸っていた時期はあって。
吸い出す時はいつだって何かに行き詰った時だ。
世界は生かしも殺しもしないこんな状況だし、今なんのために生きているのか分からなくなる。
生きるのに必死で贅沢なんて出来ない。
そんな生活。

初めて自分のお金で煙草を買って吸ったのは今から約3年前のこと。
吸い始めのきっかけは当時働いていた飲食店の店長からもらった煙草だった。
「それって、溜息の代わりになるんですか?」
なんてクソみたいに屈折した痛いことを言った。
吸うと一時は心が落ち着く。だがその効果は至って短い。なんとなくリフレッシュしたような気持ちになるだけ。しかも、私の場合は生まれつきの貧血が祟って、気分爽快になるどころか体調によっては吐き気に襲われるので本気で向いていない。吸う頻度も少ないので吸いたいと思う機会もほぼ無い。
では何故、思い出したように吸うのか。

生きたくも死にたくもないからだ。

煙草は一本吸うごとに5分寿命が縮まるのだとか。肺がんのリスクも高まり、副流煙のもたらす害も酷い。
百害あって一利なし。
嫌煙される理由の方が多い。
煙草を吸うくらいなら飲酒の方が精神的に良い効果があると研究でも出ている。
煙草は、ゆっくりと、尚且つ、確実に肉体を蝕んでいくだけのもの。
ふらふらと生きる者にとって、こんなに打って付けな自傷行為があるだろうか。

一人で煙草を吸う時間は私の場合、己との会話の時間になる。
明日地球が終わるとしたら悔いなく終われるか…?
人生に正解はあるのか…?
私に出来ることは…?
"私"という存在の価値とは…?
そんな答えの出ないものや、規模のでかい思考を延々と巡らす。
体に毒を入れながら未来を思考するなんて矛盾しているのに。

死にきれない死にたがりは今日も煙草を燻らせている。喫煙所に溜まる人間が、どんな風に考え毎日を生きているか、いつかインタビューして回りたいものだ。

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