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#17 君と出逢えた人生で本当に良かった

命日を迎えて

愛犬が旅立ってからあっという間に1年が過ぎた。
心にポッカリ穴があいたという表現がドンピシャ。
時間が経つにつれて、喪失感は大きくなった。
月命日には、お花を選び、写真を撮ることをルーティンとし、
ぽんちゃんに思いを馳せた。
命日は、一緒に行った思い出のキャンプ場で過ごした。
透明にはなったけれど、時折気配を感じたり、夢に出てきてくれたり。
ぽんちゃんはお空でもきっと元気にやっているだろう。
以下の文章は一年前に書いていたが投稿できてなかったもの。
頭でわかっていても、現実を心から受け入れられなかったんだと思う。
命日を迎えて、自分の気持ちの整理の為にアップすることにした。

いつか必ず別れは来てしまう

SNSを見ていると、わんこや猫ちゃんが旅立った投稿がたまに流れてくる。自分事のように食い入るように見ては、感情移入し涙していた。
病院で亡くなってしまった子。
つい目を離した隙にひとりで逝ってしまった子。
自宅で看取られた子。
本当に色んな子がいる。
最期はどうしても二人で看取りたかったので、

「ぽんちゃん、死ぬ時は、病院とか、勝手にひとりでとかやめてね。
私たちが一緒の時にお願い」

毎度この話をすると、ぽんちゃんは「わかったよ」という感じで
鼻をぺろんと舐めてくれた。
夫には、「死ぬ話ばかりしないで」と言われつつ、
「いつ何が起こるかわからないよ。後悔するよ。それでいいの?」
と危機感を煽った。
出来るものなら寿命をあげたかった、1秒でも長く一緒に居たかった。
いつか必ず来てしまう「その日」のことを考えるのはとても恐ろしかった。

火葬の業者探し

想像してたよりもうんと早く、「その日」は来てしまった。
急変したものの、家で夫と二人でぽんちゃんの最期を看取ることが出来た。

翌日。涙腺崩壊、情緒不安、不眠の私たち。
『犬 亡くなったらすること』を検索。
まずは火葬の業者を探さなければ。
でも丸一日は3人で一緒に居ようと決める。

1社目に電話。
「愛犬が昨夜亡くなりまして…」
「お気に入りのベットに乗せて行きたいんですが、いけますかね?」

ベットはサイズ的にも入らないから、遺体を段ボールに一旦入れて
持ってきてほしいと言う。段ボールか…モノみたいだな。
話しててなんだか少々冷たい印象を受け、一度電話を切る。

2社目に電話。
HPにはペット専門火葬30年の実績とある。
電話するとやたらハキハキしたおじさんが出た。

「お気に入りのベットに乗せて行きたいんですが、入りますかね?」
「いけるかどうか一応持ってきてください」

段ボールに入れるのはススが出るので、絶対に避けたいとのこと。
(1社目とは真逆の返答)骨をいかに綺麗に残すかということを語られる。

「他はダメなところもあるけど、うちは写真を撮ってもらってもいいですよ」「わからないことあったらまた電話下さい」

タイムスケジュールに余裕がありそう、自由度が高そう。
私たちは目を合わせ頷き、その場で2社目に決めたのだった。

旅の日

最高に晴れ。真っ白の富士山がくっきりと見え、
湿気もなく、風も吹いて、5月って感じの爽やかな日。
車のナビは「旅の日」だと喋った。
きっとこの日を選んだのだと思う。
なんてかっこいい去り際だろうか。

私たちは喪服とスーツに着替えた。
服装は自由な気もしたけど、なんかちゃんとしたかったのだ。

ぽんちゃんに書いた手紙を、ひとりずつ読む。
ぽんちゃんのパッツンヘアをハサミで整え、少々いただく。
肉球をなんかしたかったけど、余裕なく何も出来ず。
最後にぽんちゃんを抱えて家のルームツアーをした。
二人共滝のような涙が溢れた。

火葬のおじさんとの待ち合わせ場所へ車で向かう。
ついてきてと言われた極細の道は、今からキャンプでも行くのか?という
地図にない山道を抜けて。
実は5月末にぽんちゃんとキャンプに行こうと計画してたので、
その険しい山道を進みながらまた泣いた。
森を抜け、行き着いたのは行き止まり、360度山。
空が大きく開けていて、ウグイスが鳴き、遠い空高くにトンビが飛び、
蝶々が舞っていた。

ぽんちゃんが寂しくないよう、私たちの匂いのついた服と一緒にお空に行ってほしくて、服を持っていったけど、現場でおじさんに断られる。
とにかくススが出るし、骨に色素沈着してしまうので、
ほんと最低限でいきたいんだと念押しされる。
結局お気に入りベットも却下になった。
洋服はぽんちゃんがよく着てた水色のスウェットと、
心臓の手術の時も持っていったお気に入りのタオルに厳選。
渋々OKが出された。
続いて、口もとにお菓子、いつも食べてたごはん、
大好きなバナナも1本おく。
お花もその場でハサミでカットしながら、どんどん飾り付けていった。
ぽんちゃんをイメージして選んだお花はボリュームが出てよかった。
前日にお花屋さんに相談したかいがあった。
お花屋さんも猫を何匹か見送っており、色々アドバイスを受けたのだった。
こんなこともない限りわざわざ話さないが、皆何かしらの別れを経験し、
その気持ちと共に生きているのだなと思った。

おじさんはぽんちゃんの事を色々聞いてきたり、
私たちに話しかけてくれた。
人によってはそっとしておいてほしい場合もありそうだが、
それほど気にならず会話を交わした。
亡くなったのは急だった為、痩せ細ってもおらず、
ただ横たわってるみたいだった。
最後に3人で触れ合って(その時はおじさんは空気を読み姿を消した)

そして見送った。
私たちはずっとずっと空を見上げていた。

夫は泣いたり、笑顔だったり、表情が秒でころころ変わっていた。
何の使命感か、私は報道カメラマンばりにひたすらシャッターを切った。

火葬のおじさん曰く、犬は人間に比べ温度調節が難しい。
あまり高温だと骨が綺麗に残らないらしい。
ちなみに便は最後まで焼き終わっても残るらしい。
綺麗にと言ったら変だけど、ぽんちゃんは便もなく、骨まで愛らしかった。

あっとゆう間の2時間。
とてつもなく悲しいが、良い日だったと言える。
忘れられない日になった。
お骨は気持ちの整理がつくまで家に置いておこうと思う。
人間と犬も入れるお墓が結婚当初から用意があったけれど
いざこうなってみると、全く入れる気にならなかった。

自分が死ぬまで(骨を)とっといて、
一緒にお墓に入れてくれって人もいるし、
粉骨してパウダーにして海に撒く、土に還すなど、
人それぞれ自由とのこと。
執着も良くないと言っていた。
動物は自然に還り、また木や花となり、
自然のサイクルに循環していくのも本来あるべき姿なのだと。
おじさんのお話は、感情的で不安定な私たちを少し冷静な気持ちにさせた。

いつかは自然に還したいと思う。

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