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死は「今を大切にすることができる魔法」なのかもしれない -END展 死から問うあなたの人生の物語 に行って-

「死」に(おそらく)はじめて向き合った


わたしは、幸運にも、世界で一番の長寿な国に生まれ、生まれてから日本で戦争もなく、「大切な人のいのちが失われる経験」をまだしたことがありません。

そんな私が、END展(-から問うあなたの人生の物語- マンガから始まる、大切な人と対話したくなる展覧会)に行き、普段なかなか触れることのない「死」に関する問いや展示に触れ、

「自分の『生』をどう紡ぐかに想いを馳せ」
「人生をより前向きに歩むためのきっかけ」

END展のチラシより

をもらったような感覚になり、とっても他の人にもこの感覚をシェアしたい気持ちになりました。

END展のチラシ

他の人の言葉を借りると、

死がくれる世にも美しい魔法
今を大切にすることができる魔法

SEKAI NO OWARI 『不死鳥』(歌)

いかに死ぬかを学べば、いかに生きるかも学べる

ミッチ・アルボム『モリー先生との火曜日』(小説)

といったように、「死」や「終わり(END)」を意識することは、幸せに、「善く」生きることにつながるのかもと感じました。

私が一番印象に残った「死からの問い」

ちょうど、数年後に社会人になり、育ててくれた大人から独立していく年になり、「さぁ私はどんな物語を書いていこうか」、とよく考えるこの頃。

「ヒトは技術や知恵を未来に伝承できる点で、他の動物とは異なり文明を発展させてきた」といったような趣旨を聞いたことがあるけれど、結局文明が発達しても、人間はどんな場面でもそれ相応の苦しみや課題があって(例:長寿になると生活習慣病が増える)(だからこそ社会発展にもつながるのですが)。
どんなに人から言われても自分自身で経験しないとわからないことってたくさんあるし、世界の真理を探究する哲学は、大事な本質は紀元前からずっと同じことが言われていて(…と感じてしまうのは私の勉強不足なのかもしれない)。

昔から哲学の本質は似たようなことで、文明が発達してもそれなりの悩みがあって、と私なりに考えていったときに、

未来に遺したい知恵や文化はありますか?

と自分のENDの後を問われたとき、ぱっと答えられない自分がいました。今の私の周りの人、今を生きる人たちに自分がしたいことはたくさんあるし、私が死を迎える前に、かかわった人たちに伝えたいことはたくさんあるのだけれど…!!知恵や文化って言われると、きっと自分の中にはぼやっと輪郭はある気もするのだけど、まだ形にできなかったです。

この問いは自分の中で温めて、じっくり向き合っていこうと思います。心から生まれた私なりの答えが、まさに「死から問う 私の人生の物語」を創る、人生の指針になりうる気がしてる。(もし自分なりの答えがある人がいたら、こっそり教えてくれると嬉しいです!)

「未来に遺したい知恵や文化はありますか?」の問の下にあったマンガ。
以下パンフレットより
”世界各地に存在する祭りは、厳しい環境のなかでも、明日を生きようとする人々の生命を支える文化装置だったのかもしれません。死と生をめぐる祭りの文化は、人から人へ、世代を超えていまも受け継がれています。あなたが未来に遺したいと思う知恵や文化には、どんなものがありますか?"

マンガの力 -マンガから始まる展覧会-

END展では、「マンガ」と死に関する問いがセットになっていること、マンガを軸に展覧会が進んでいくこと、大きな特徴でした。
「死」は、(今の時点の技術だと)全員に起こることでありながら、(少なくとも私にとっては)身近ではなくどこか遠いもので、こわいもので。

なかなか触れづらい「死」というテーマに対して、マンガから始まるこの展覧会は、死に対しての心理的な距離をぐっと近づけ、テーマに触れやすく、入りやすくしてくれました。

そして、展示されたマンガの1つ1つのセリフが、なんだかすごく本質をついている気がして、マンガ家さんの思考、すごすぎるなぁという気持ちになりました。(どんな人生を歩んできたんだろう…

私がはっとさせられたマンガたち

たしかに、生物が生きていく上で生物を「食殺」することは不可欠で、
人間は他の生物から食べられることは無いけど、
他の動物にとっては「死」って全く異なるものなのかも、と思った
どうしようもなく死が怖くなったら、このことを思い出したい
水木しげる『カランコロン漂白記』
”この世は通過するだけのもの”
なんとなーーーくこの前でしばらく考えてしまった。
以下パンフレットより
"葬儀という行為自体が、人が不条理なる死と抗うために編み出した知恵と実践なのかもしれません"
この言葉、END展の終盤に、頭に響き続けてました
肉体の死だけが死じゃないんだなぁ
(医学的な)死を迎える人の、魂を、心を、生きている人が生かし続けることができるんだなぁ
と、気付きをもらいました

死を学び、生を知る

死に向き合い続けた、END展の最後が、これか~!ってなった問い。

「生きるとは?」
問いに対するヒントとなりそうな、様々なマンガの名シーン
個人的に、読破していた進撃の巨人を、こんな視点から見るのが新鮮でした。

この問いで、死を考えることは、生を考えることなんだって、ぴかっとなりました。

そして、END展に来た人たちの
「死ぬまでにやってみたいこと」「死に関する印象的なエピソード」への各々の答えが集まったボード。

ずっと見てられるくらい、本当に様々な答えが、集まってました。

安易に言語で切り出したくないような、いろんな感情に支配されました。私なりに、死から学び、自分の生に向き合った3つを紹介します。

生を知る①自分の人生の物語

死ぬまでにやってみたいことはありますか?
それはなんですか?

の問いは、普段流れていく日々だとついつい忘れてしまいそうな、
「自分が幸せを感じること」「自分を周りや自分自身で縛らずに、自由に考えたときに、楽しいなって思うこと」について、向き合わせてくれるきっかけになる気がしました(私はしばらく答えにつまりました…)。
そして、

  • 死ぬまでにやってみたいことを達成したいことを考え、達成するぞ!という未来へのわくわくを感じること

  • この問いで(才能や周りで自分を縛らずに)ずっとやりたかったこと、できなかったこと、尻込みしていたことに気づき、やってみたかったことを創めてみること

が、今を生きることを楽しみ、輝かせてくれるような気がしました。

現時点での私なりの答えの一部(恥ずかしいものは隠します…笑)
ごめんなさいとありがとうを伝えきれてない人に、お互いが死ぬ前には伝えること。羽生結弦選手に会う、話す!私の感じたことを、歌・絵・詩・俳句・言葉などあらゆる手段でアウトプットできるようになりたい、純粋に絵とか歌とかうまくなってみたい。自分だけの分野を創ってみたい、芸術でも学問でも。かかわったいろんな人たちで共創する!ポケモンとのコラボ!人の心を支えたり行動をちょっと良い方向に変えられて読んでて純粋に面白い本を書きたい。などなどなどなど。

これからも定期的に、忘れがちな心のときめきを思い出し、生きることに楽しさをどんどん増やしていくためにも、この問いと向き合っていきたいなと思いました。

生を知る②死は生を価値あるものにする

死に関する印象的なエピソードでは、来場者の様々な「愛する人の終わり」に対するエピソードに触れました。

人の終わりと向き合うことは、愛する人であればあるほど、本当につらいことだと思います。

まだ身近に死を経験していない私には、きっとわからないこともたくさんあるんだろうけど、
105歳まで生涯現役で医師をされた日野原重明先生の言葉を借りると、病や天災、人災、何が原因かはわからないけど、始まりを与えられた私たちには必ず終わりがあって。

そして、すべての人に平等に訪れる死を、時間をかけて受け入れて、後悔や悲しみの気持ちは忘れずにもったまま、過去に対する想いがあふれる蛇口を一瞬きゅっと閉じて、水を止めてまっすぐに未来を見つめだすときがあれば、そのときには、
「故人が遺してくれたこと」を活かそうと人間は輝き、それがほかの人をも勇気づけることにつながったり。
「愛する人の終わり」を感じて、はじめて自分のいのちの尊さ・大切さ・価値を考えるようになって、それがほかの人をも助けることになって、自分ももっと幸せになったり。
こんな風に、死は生を尊いものにし、価値あるものにする側面もあるなぁと感じました。
(ただ、自殺に関しては、絶望の中で命を絶つのでなく、自分のいのちの尊さに気づき、つらい中にも幸せな未来を見つけていってほしいと思ってしまいます…つらい経験をした人ほど、少しの幸せに気づきやすく、人に寄り添うのが上手で、最後はハッピーエンドになるに違いないと、私はそう、信じています。だからこそ、今つらい思いをしている人が、まだ少しの幸せに気づけるような心持ちでなければ、幸せに気づけるようになるまで、少しでも寄り添える人に、なりたいなぁ)

生を知る③死を問うことで、大切な人と対話したくなる

END展の中で、マンガの展示が終わった後、1ブースだけ暗い閉鎖空間がありました。
人生の最後に、制限時間10分で、大切な人に向けて「最後に」紡いで遺す言葉を、スマホの形で表示して展示する #10分遺言 のコーナーが、終わりを意識することで大切な人と対話したくなることを、強く、感じさせてくれました

書いたり、消したり、ためらったりのプロセスが、なんだかよかった。

「人はいつ死ぬかわからない」からこそ、普段から伝えたい人に、伝えたいことを、私は伝えたい!って感じました。

私が切り取る、ダイジェストEND展

END展の会期は短くて(それも終わりを意識するという点で意図的なんだろうか)、何人かから行きたかった!と連絡も来たので、私の感性に引っかかったものをペタペタと貼っていきます。気になったものがあったら、ぜひ立ち止まって見て、ゆっくり心と対話してみてください。

最後はハッピーエンドがいいなぁなんて思うなど
全体像が、なんとも興味深かった。
これ、私は正直「わからない」って思ってしまいました…
もし死者とVR上で会えるとしたら、会いたいですか?
気になった人は検索してHP見てみてください。このプロジェクト、なかなか、考えさせられました
一つ上と、これの、対照的な考えが印象的
人生会議

まとめ -さぁ、死を考えて、これからどう「生きる」のか-

いろ~んな感情がごっちゃになっていて、うまくまとまってないのですが…

まず、なんとなく恐れていた死に対して、向き合った機会となったこと、やっぱり怖いけども、私にも、周りにも、死があるからこそ、私の今が大切なものになり、輝くんだなってことを実感できたのは、なんだか大きいことな気がしています。(不老不死によって、人は幸せになるのかについては、まだ自分の中で全然答えが出せていません。終わりがないとなったときに、幸せはあるのかな。)

↑このライブを最後に無期限活動休止をするまふまふさんも、活動に終わりがあるからこそ、観客も、まふまふさん自身も、幸せを感じ、かみしめるのかもしれない、なんて思ったり。

それから、「死ぬまでにやってみたいことはなんですか?」「死ぬときに後悔しないよう、これからやりたいことはなんですか?」「自分の人生を本にするならどんな題名にする?」といった、ENDを意識した切り口からの問いは、自分の心の叫びを引き出す力があることに気づきました。
そして、自分の心の叫びに気づき、将来の目標が出来たり、心弾むことを実践していく中で、どんどん日常が輝いて、幸せに感じていくのかもって思いました。(もちろん幸せの形は人それぞれなので、これは私の場合なのかもしれません。)
「死ぬまでにやってみたいこと」を考えてみて、(おそらく)潜在的に私が持っていた願望に気づいてから、人生がなんか楽しみになる現象が、私は起きています…!

そして、改めて!!!日頃意識はしているのですが、大切な人に伝えたいことを、伝えていくことは、ちゃんとやっていきたいなって思いました。伝えないと伝わらないし、「想いを伝える」っていうのは伝えられた側も、伝える側も嬉しくなっちゃう最高なことなので、さすがに毎日は厳しくとも、誕生日だったり年始だったりのタイミングで、伝えていきたいなぁと。

ただ一方で、医学を学ぶ身として、「防げる死は防ぎたい」「救える生命は救いたい」という気持ちもあるし、「死にそうになった経験が生をより際立たせた」ということはよく聞くし(これこそまさに死を意識して生を知ること)、人生の質が大事な一方で長生きしたい思いもある人も多いだろうし(私もそう)。やっぱりいつか来る死の前で、自分が、周りの大切な人が、生きているからこそ幸せになることってたくさんあって
だから、私として終わりを時折意識した上で今を輝かせ、人生の指針を見つけていって、大切なことを思い出していって
医学を学ぶ身として、極力救える生命は救い、いのちを輝かせて、
その上で人間にプログラムされたどうしようもない死が来たときは、それを徐々に受け入れて遺された人たちで活かしていく、というのが今の時点での私の姿勢になりそうです。

最後に、この体験は、未来への投資のように、ふとnoteや写真を見返して、いつかはっと気づくことが、あるような気がしています。こんな機会があったことで、自分の気持ちに応じて、ここで感じたことを柔軟に引き出せる気がしていて。
だから、いつかそんなときが来たら、そのとき新たな体験ができることをちょっと楽しみに、END展のことをそっと胸にしまっておこうと思います。

おまけ:私の「死」に関する推薦マンガ・本・歌

私の前にまず、公式に推薦されてる本があるのでご紹介。

この本の内容もいくつかEND展で展示されていて、しかも本当に考えさせられる内容だったので、とてもおすすめ、私もフルで読みたい。
ではいよいよ私のおすすめコーナー!!

松井優征『暗殺教室』(マンガ)

私が生徒たちの姿勢やセリフから、"暗殺対象"の殺せんせーの言葉から、人生を変えられているといっても全然過言じゃない、大好きなマンガ。題名こそ超怖そうですが、コメディ要素もふんだんに入って、人生の教科書にもなりうる(!?)マンガです。
常に、先生を「殺す」こと、先生の「死」が隣にあるこのストーリー、END展を味わった後だとなんだか少し違う見方ができるような気がしてます。作者がなんで「死」を扱った題材を選び、このストーリーにしたのか、なるほどと思いつつ、天才すぎるなって気持ちです。(どんな経験をこれまで作者はしてきたんだ…)

森絵都『カラフル』(児童文学)

私が小学生、中学生で複数回読んだくらいなんとなく好きで。ふと読みたくなって大学生で改めて読んで、多くの気づきをもらい、なんで好きだったか言語化がやっと少しできてきた本。児童文学だけど、ぜひ大人にも読んでほしい!
「死んだはずの主人公が天使から再挑戦のチャンスをもらい、自殺した少年の体を借りてその家族や周囲の人々との暮らしを始める中で大切なことに気づいていく姿をさわやかに綴る」と映画化されたカラフルのあらすじに書いてありますが、これも死を意識してこそ幸せや人生で大切なことに気づいていくお話な気がしてます。読み終わった後、題名の意味がわかるはず。
今年の2月くらいにアマプラで「HOMESTAY」という名前で映画化もされてます(主題歌はずっと真夜中でいいのに『キルト』!!)。

SEKAI NO OWARI 『不死鳥』(歌)

中学生の時になんとなく好きで、END展の後にふと思い出し、聴き返してなるほど?!ってなった曲。人間の「僕」と、不死身のロボットの「君」が恋に落ちる歌。
「不死鳥よ僕に永遠を与えてください」と永遠を求める「僕」、
「神様私にも死の魔法をかけて」と終わりを求める「君」の掛け合いが歌詞になって、ポップに歌われてます。さぁ二人が出した結論は…?!曲を聞いてみるとわかります!笑
この歌詞が書ける深瀬君すごいなぁ…

ミッチ・アルボム『モリー先生の火曜日』

著者ミッチの、大学時代の恩師モリー先生が難病ALSに侵され、死に近づく床で「人生の意味」をテーマに毎週火曜日に行われた授業を、本にした実話。
「彼の肉体が朽ちるにつれ、人格は一段と輝きを増す」という文章が一番印象に残ってます。
モリー先生、ミッチ、それぞれの人生を感じ、死を目前にしたモリー先生から発せられる数々の人生の本質を突いたような言葉にあふれた、やさしくあたたかい本です。

日野原重明『いのちの使いかた』

著者の、105歳まで生涯現役で医師を続けた日野原重明先生(約5年前に亡くなられました)が、"まだ終わらない自伝"として、長い生涯の間に考えたことを、101歳のときにまとめられた本。
「死から生を考える」という章もあり、病院で、ホスピスで、戦争で、数々の死を経験し、そしてハイジャックに会い死ぬかもしれないという状況を経験したからこその、先生の言葉が詰まってます。本の裏表紙に「人生を自ら切り開くための指針を示すことばに満ちている」と書いてありますが、確かにそんな感じです。先生の言葉だけではなく、先生が大切にしている言葉、哲学や宗教の名言、詩や童謡、なんかも入ってるのがとても良いです。

ここまで超長い文章を読んでくださった方に御礼も込めて、この本で私が大好きな言葉を2つ、紹介します😁

人間は、2万2000個もの遺伝子を両親からもらって生まれてきます。でも、その大部分は使われないでいるまま。つまり、だれにでも未知の能力が眠っている可能性があるということです。多くの人は「自分には音楽の才能なんてない」とか「ぶきっちょで絵なんて描けない」などと言うけれど、それはその人に才能がないのではなくて、そうした才能の種が育つ機会や場がなかっただけかもしれない。
(中略)
ですから、何歳からでも、何か新しいことを創めてみるといい。人は未知の分野に挑戦すると、これまで使われていなかった遺伝子が目を覚まして、活動し始めます。やってみたら花開くかもしれない。やらないよりも、まずやってみることから創める。それまで気づかなかった未知なる自分を発見することによって、人間はいつまでも若々しくいられるというわけです。

ネガティブな経験をポジティヴな生き方に
(中略)
心も体も元気なとき、人間は自分の内面を深く考えようとはしないものです。病を得たり、何かにつまづいたりしたとき、初めて自分のこれまでを振り返り、自分の内面に向かっておりていく。このときが人として、いのちについて、その使い方について考える、好機なのです。いつかだれかのために、あなたの持っているいのちという時間を差し出すときに、あなたの耐えた経験が必ず生きる。
(中略)
耐える経験が人を成長させるといっても、自分から求めて病気になったり不幸になったりすることはできません。ですから、誤解を恐れずに言えば、(略)その経験を大切にしなくてはなりません。そして、一見ネガティブと思われるような経験が、じつは人間の成長や発展に、非常に大きな意味を持つということを、みんなが感じるようにしなくてはならない。
(中略)
人生は失敗ばかり、後悔ばかり、という人ほど
いのちの使いかたがあるのです。


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