いとおしい時 original lovestory
【初詣の決意】西門 檀
時は都が京から江戸へと移り、新しい通りが出来たあたり。
元は寺域だった場所が、京の人々の活気を取り戻すべく興行場や飲食店などが集められた。
新京極通と名のついた通りの始まりで僕は人を待っていた。
そこで賑やかな人々の行き交う姿を眺めながら、
冷えた空気を伝って聞こえてくる清水さんの除夜の鐘を数えて。
「五十四……、もう半分になるのか。雪が降りだしたな」
あと半分、鐘の音が鳴れば今年も終わるのかと思っているところへ、たらたらたら……と小気味のいい下駄の音がした。
「寒いのにお待たせしちゃって、ごめんなさい!」
息を切らし、鼻を赤くした君が僕の顔を覗き込んだ。
「何も走ってこなくてもいいのに。
小さな下り坂でも転んだら怪我をするぞ?」
「だって……」
数時間前、僕は彼女を呼び出すため、
彼女の住む屋敷の女中に文を頼んでいた。
彼女はそれを読み、ここへやってきたということだ。
「文が嘘だとでも思った?」
「思いました。けれど、行ってみようと思って来てみたら、本当に貴方がいたから……驚いて」
老舗着物問屋の跡継ぎである僕は、
生涯の伴侶を自分で選ぶことはできない身の上だった。
今宵はひそかに想い人と逢引といったところだ。
実は僕が文を使って呼び出すなんて、初めての事だった。
「それにしても、よく出て来られたね?」
「はい。松……あ、女中の一人に身代わりになってもらいました」
「そこまでしてくれたのか。……それは男冥利に尽きる」
僕は彼女の冷えた手を握り、
三条大橋の方向へと歩き出した。
愛しい彼女と出会ったのは、二月ほど前――
今夜のような雪ではなく、紅葉が散る清水寺の境内で彼女の下駄の切れた鼻緒を直したのがきっかけだった。
僕が肩を貸して鼻緒を直している最中にも、
彼女は頭上にある色鮮やかな赤い紅葉を眺めていたのだが、それがやけに自由な振舞いだと印象に残っていた。
あとから聞いた話だが、彼女はどうしたらいいのかと、内心緊張をしていたらしい。
それから、どこの娘なのか調べて今に至るが、
二人で会うのは四回目だった。
「何を考えていらっしゃるの?」
「いや。何でもないよ。おや、風は止んだようだ。
ほら、しっかりと僕につかまっておいで。
橋は凍り付いていて滑ると危ない」
「あ……ッ」
言ったそばから、君は何かにつまづいて身体が傾いた。
咄嗟にかばって、事なきを得たが君はうつむいたまま。
「大丈夫か?」
「ごめんなさい……どうしましょう。鼻緒が……」
「肩を貸すから、足を出してごらん」
「はい……」
冬用の足袋を履いた足は僕の膝にトンと置かれ、僕は下駄を両手に取った。
君の手が僕の肩に触れて優しい重みがかかる。
あの時と同じだ。そう思った。
まるであの出逢いの日と同じ格好で僕は君の足に触れる。
鼻緒は寸でのところで紐が切れそうになっていたが、きつく結び直せばすぐに履けるようになる。
ふと、鼻緒を止めている紐に見覚えがあった。
「これは、あの時……僕が直した下駄か?」
「……そうです」
「新調した下駄はあったのですけど、
どうしてもこれを履いて貴方に会いたくて」
「そうか」
何ともかわいらしいことを言うものだと僕は思った。
僕が先ほどあの日を思い出したことと、君もあの日を思い出していたことに通じるものがあると感じて胸が熱くなる。
直した下駄をその足に履かせるときに君を仰ぎ見ると、君は真っ暗な空から降ってくる白い綿雪を見上げていた。
僕の肩にはない、もう片方の君の手は優しく綿雪を受け止める。
「雪が、私の掌で溶けていきますよ」
「君が温かいからだよ」
僕との時を大切にしてくれている君がとてつもなく愛おしい。
もし、君と生涯共に過ごせるならば……
僕はこんなに幸せな瞬間を幾度となく垣間見ることができるのだろう。
「歩けそうかい?」
「ありがとうございます。どこまでだって歩けそうです」
「僕もだ」
見つめあう僕らに嘘はないと感じた。
そして僕たちは出会った場所まで歩き、除夜の鐘が鳴り終わった後、共に新年を喜び合った。
「願い事を初めてしたな」
「初めての願い事ですか? 叶うといいですね」
「必ず、叶えるよ」
君をお嫁さんに迎えるため、
父を説得することに決めたことをまだ話せはしない。
安易なことではないのはわかっていたからだ。
と同時に、君の笑顔や温かさを
傍で感じて生きて行くためにはこれしかない、とも。
そして、初詣の決意から一年後の春――
初めての願い事を叶えた僕らは祝言の時を迎えていた。
END
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