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【968/1096】毎日、はじめて見るように見る

人間、「いつもと同じ」は退屈なのである。
いつもと同じ、過去と同じ、そう意識に刷り込んでいると、いらだち、興奮してくる。倦怠感がうまれる。
日々の生活に。
いつもと同じ風景、いつもと同じ顔、いつもと同じ部屋、いつもと同じ自分。
それは、妄想を見ているのと同じである。

いつもその瞬間、はじめて見る。
はじめて見ている。
目に入ってくるものを見る、というのはそういうことである。

ところが、「何かを見よう」とすると、とたんに予測が入る。
このように見えるはずだ、と過去の記憶から引っ張り出してくる。
このように見たものは、今、ここを見ているのではなく、過去のものを見ているにすぎない。

毎朝、起きたら、「はじめて見る」ように見てみる。
そうすると、驚く。
毎朝、自分の顔が違って見える。子どもたちも違って見える。
私はだいたい毎朝毎朝、ここにものすごく可愛い子がいる!と驚いている。(これは親バカにすぎないかもしれない)
でも、けっこう本気で新鮮に、なんて可愛いのかと驚く。

現実は、日々変わっているので、毎瞬驚きに満ちている。
が、妄想を見ているとだいたい類型的になる。
カウンセリングで話される内容に共通項が多いのは、そういうことだろうと思っている。
まったく別々の人が似通った話をするのである。
(妄想が類型的であると言う話は、統合失調症を診ている精神科医の先生も言っていた。)
似通った話だからと言って、これはあれね、などと類型化して聞くとカウンセリングにならないので、毎回、初めて聴くをするわけだが。

学び続けるときにも同じことが言える。
同じことを繰り返し学んでいて飽きないのか?と言う人は、妄想を見ているのである。
同じことなどなく、繰り返すことで驚きと発見が積み重なっていく。そのこと以上に面白いことがあるであろうか。
呼吸・整体の学びはそういう学びなので、始めてから今まで、面白くてやめようと思ったことは一度もない。
学びとは本来そういうものなのだなとようやくわかった。
学校で学んでいるときにはそのことに気づけなかったのが残念なので、子どもたちには学びの面白さを伝えたいよなーと思う。
伝わってるのかどうか、今のところ微妙だが、なんとなくは伝わっているのではないかと思っている。私が面白そうにやっているところを見ているからかもしれない。

では、また。



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