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【979/1096】素直と従順

学習者には、素直さが必要と言う。

そのことについて、自分の中でかなりの葛藤があった。
師からの学びをそのまま実践する、というのが素直さであると理解したが、「そのまま」というのが、「言うことを聞く」に変換されて抵抗が出ていたのだと思う。
「言うことを聞く」は、自分の中ではかなり大きなトラウマだからである。

言うことを聞いて、そのとおりにして、そうでないと暴力を振るわれる。その混乱していることを伝えると、「素直じゃない」とまた暴力を振るわれる。
暴力を振るわれないように、言われたこと一言一句をメモしてそのとおりにやっても、また違うと言われる。
その繰り返しを何年も何年も続けていると、自分が何をしているのかまったくわからなくなる。
考えても無駄だ。何をしても違うのだから。
相手の気に入らなければ暴力を振るわれるだけなのである。
「お前が言うことを聞かないから」という理由で。
どうしたら、暴力が最小化されるかだけを考えて、その場をしのぐ方法だけを身につける。
相手の顔色を窺い、相手にだけ合わせ、嘘をついたり、ごまかしたり、とにかく今、しのげればいい。しのげないことのほうが多いが、たまにはしのげる。
暴力によって、身体が痛みを感じると、危険すぎるので、痛みを切り離す。
麻痺させて感じなくする。
直接的に殴られなくても、何時間も何時間も人格否定する説教を聞かなければならないのは苦痛以外の何物でもない。
しかし、そこで逆らったら(口を挟んだら)一巻の終わりである。
ただ、黙って言うことを聞いていればいいから。
ただし、黙って言うことを聞いていると、「黙ってないでなんとか言え」と言われ、何か言うとまたそこから延々と終わらない説教が続く。
ここからいつ逃げられるかはわからない。
そんなとき、人間は、どう生き延びるのであろうか。

相手に従順になることが「素直」だと教え込まれたため、「素直になる」というのは、ものすごい恐ろしいことになってしまったのであった。

しかし、従順なのと、素直なのは違う。
辞書を引くと、言葉の意味としては、似たような意味があるようだが、違う。

【素直】
1 ありのままで、飾り気のないさま。素朴
「—なる山家 (やまが) 育ちのたのもしき所見えて」〈露伴・風流仏〉
性質態度などが、穏やかでひねくれていないさま。従順。「—な性格」「—に答える」
物の形などが、まっすぐで、ねじ曲がっていないさま。「—な髪の毛」
技芸などにくせのないさま。「—な字を書く」
物事支障なく、すんなり進行するさま。
餌食を—に与へざれば、痩せおとろへてぞありける」〈仮・伊曽保・下〉


【柔順・従順】
性質態度などがすなおで、人に逆らわないこと。おとなしくて人の言うことをよく聞くこと。また、そのさま。「権力には—である」「—な部下

デジタル大辞林

「あなたは素直ですね」と言われると褒められている感じがするが、
「あなたは従順ですね」と言われると何かけなされた感じがしないだろうか。

従順には、相手の言いなり、自分で考えないというニュアンスが含まれているように思う。
そして、学習は、自分で考えることが必要だ。
従順であったとき、自分が考えたことは「いかにこの場をしのげるか」であった。
学習するときに考えることは、「この人が言っていることは何か?」である。

松下幸之助が「素直な心になるために」という本で次のように書いていた。

「素直な心とは、寛容にして私心なき心、広く人の教えを受ける心、分を楽しむ心であります。また、静にして動、動にして静の働きのある心、真理に通ずる心であります」

松下幸之助「素直な心になるために」(太字は筆者)

素直な心とは、真理に通ずる心であるらしい。
真理とは「いつどんなときにも変わることのない、正しい物事筋道。真実の道理。」である。
とすると、正しく物事をみて、吸収するのが学習における素直さということかと考えた。

何を学ぶかではなく、どのように学ぶか。
それを学ぶことはほとんどない。
けれど、どのように学ぶかが大事なのである。
どのように学ぶかは、自分で考えてやってみるしかない。
相手の言うことを素直にそのまま、受け取って理解し、それを実践してみる。
従順さで生き抜いてきた場合に、ここにハードルはあるけど、従順と素直は違うと思うとやってみる価値は十分にあり、自分が今何をしているか?に気づいていれば、従順か素直かは区別がつく。

学ぶというのは、人間の本質であるから。
それを止めるということはない。

では、また。

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