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【892/1096】みたくないもの

自分のことは、自分が一番よく知っているなどと言うけれど、実のところ、自分のことがよくわかっていないことのほうが多いと思う。
自分に気づいて知っていくと、「見たくないものと向き合わないといけない」と言うことがある。
なんだか、恐いものを乗り越えないといけないみたいな。
過去の重い出来事を、かみ砕いて咀嚼しないといけないような。
何か見たことのない、触れたことのない、未知の世界の恐ろしいものと対面しなくてはいけないような。
そう思うと、怖気づいて「できればやりたくないなあ」という心境になる。

「できればやりたくないなあ」と思いながらやることに、ろくなことはない、と言うのが私の実感である。
苦手意識もそれだけど。
なんというか、「できればやりたくない」とイヤイヤやると、1~2割しか受け取れなくて、経験できない。
「よしやろう」と決めて、向かったときはまるごと全部受け取れるものが、多くて2割な感じ。
2割で、「わかった!」となってしまう。
だから、また同じようなことが起きる。

「できればやりたくないなあ」と言う気持ちが湧いてきていてもよくて、やりたくない気持ちもあるけど、「これをする」と決めるのが本当に大事。
そして、決めたら、やる。
決めるだけだと、何も起きない。

気づいたら、「ああ、これはやるやつだ」と思う。
思ったら、やる。
その全体を観るのみ。
分析したり、理由を考えたり、原因を探ったりするのは、やりたかったらやってもいいくらいのオプションである。

みたくないものは、今の自分で考えていると「みたくない」と思っているだけに過ぎなくて、観る必要があるから出てくるだけである。そして、それは、ちゃんと観れば、たいしたことなかったりする。
表も裏も眺めてみれば、こんなだったのか!と面白く、興味深い。
そして、だいたい、観終われば、人間ってすごい、とか、なんか大丈夫だった、とか、ありがたいなあ、とかで終わる。

自分てこんな人だったのか、と発見できたり、その発見した自分を使ってみたりできて面白いし、「みたくないもの」ではなくて、「これがみたかったんだなあ」に変化することもある。

みたくないと毛嫌いしないで、向き合ってみるのがよい。
そのためには、やはり、感じられる身体が必要である。

では、また。


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