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願いの叶え方

去年の6月から、月に2回、新月と満月の時に、願いごとを書いて見直すと言う作業を仲間と一緒にやっている。
仲間と一緒にやるのがポイントで、お互いに願いを口に出したり、気持ちを聴きあったり、しっくりこないことを「こんな感じ?」と問うてもらえるのがいいのだ。

願いは、表面でうっすら思っているものから、だんだん、だんだん、核心に近づいていくように、深く深く奥深くに眠っていた願いを取り出して書くようになってきた。

この願いは、もう叶った!と言うことを十分に味わって書く、と言うもの。
それが叶ったところが味わえない時は、その前の段階を丁寧にみていく。

叶えたい、でも叶って欲しくない。

と言うダブルバインドは、容易に起きる。
叶って欲しくない方を隠していると、いつまでも叶わない。

しかし、このダブルバインドはハマってる本人はなかなか気づけなかったりする。あまりにも当たり前にこれがあった環境で育ったりすると尚更。
だから、一緒にきいてくれる仲間がいるといいのだ。


それに、仲間がシェアしてくれた願いごとが、「ああ、わたしの代わりに願ってくれてありがとう」みたいなことだったりすると、わたしだけの願いごとを超えていく感じがする。

そのように切実に、深いところから取り出して、叶ったところを味わった願いごとを書いて、1ヶ月過ごす。

半月ごとに見直す機会があるので、叶わない願いごとリストは、何が今これを止めているか?を見つめる機会になる。

そして、わたしがこれをやってよかったなと思っていることは、願いごとは、意外と叶う方が多いのだなと気づけたことだ。

わたしはわたしの願いは何にも叶わないと思っていた。その力がなく、能力もなく、価値がないと思い込んでいた。
叶っていることもあったのに、それは、違うものとして扱っていた。

願いが叶った!とお祝いする。
それは、けっこう些細な願いごとのようにも思える。
だけど、やっぱりお祝いするのが大事だ。
大したことないんだけど・・・と言う枕詞をついつけてしまうのだけど。
わたし以上に喜んでお祝いしてくれる人たちがいると言うことを体感すると、ものすごく大切な願いごとが叶ったんだ、と言う気持ちがする。それが、自分の価値を高めるなと思う。
自己肯定感と言うのかもしれないし、自己理解と言ってもいいかもしれない。

願いごとは叶っている状態で、書き出す。
新月に書き出した願いごとは、きっと次の満月には叶っている。


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