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脇屋友詞著「厨房の哲学者」/重要なのは、「何」を選ぶかではなく「何か」を選ぶこと。

脇屋氏は知る人ぞ知る中国料理の巨匠ですね。この本を読んでいて、中国料理の世界で日本人が大成するという事の凄さを知りました。

占い師だったという脇屋氏のお父様は、家庭内で絶大な権力を持っており、中学を卒業したら赤坂の中国料理店で働く事が勝手に決められたのだそうです。

中学を卒業後すぐに(高校進学を親から許されなかった)親元を離れ朝早くから夜遅くまでひたすら重い鍋を洗っては運ぶという苦行に、脇谷氏は耐えました。指はいつも真っ赤に腫れていたそうです。

しかしそんな生活を半年も続けていたら不思議なことが起きた。
入ったばかりの頃先輩から言われた「耳はウサギの耳だ、背中に目をつけろ」という謎の言葉がなんとなくわかるようになったといいます。
逃げ道ばかり探していた頃は雑音にしか聞こえなかった背中の音が、不思議と鮮明に耳に届き始めたと。

本当のことを言えばみんなと同じように高校に行きたかった。父親が自分の将来を潰したと恨む気持ちが強く鍋洗いだけの毎日の鬱憤を晴らそうと、唯一得意だったスキーをしに出かけた先のお土産屋で、とある額を見つけた。
この道より我を生かす道なし。この道を歩く」という、武者小路実篤の有名な言葉に雷に打たれたような衝撃を受け、その額を買って帰る。
これをきっかけに、

何を選ぶかではない。
重要なのは、何かを選ぶ事だ。

ということに気づいた彼は、その日からノートをつけ始める。
その日覚えた料理。
先輩から言われたこと。
心に残った言葉。

自分には誇れるものがない。
しかし、毎日鍋を洗い続けることで、この道を行けばどこかにたどり着けるかもしれないと思い始め
ただ無心に毎日毎日鍋を磨き続けたそうです。

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こういった小さな一言に心動かされその一言に支えられ人生を前向きに捉え進んでいけること。これってもしかしたらある種才能というか持って生まれた気質、なのだろうか。(素朴な疑問です)
彼は自らの感性で大きな気付きを得て、がむしゃらに働いたのですね。

脇谷氏は、
将来の希望も見えないままひたすら鍋を洗い続け人知れず目で盗んだ調理法を練習しまかないに活かした努力家でした。

そうして3年半が経ち彼は気づいた。自分はこの仕事が好きだと。
中国料理こそ僕を生かす「この道」だ
と。
未来は混沌として何も見えないけれど、「ここで止まったら終わりだ。僕のこの道は中国料理の見習いで終わる。」
日本人が誰も辿り着いたことのない中国料理の第一人者になりたい、突き抜けたいという心が固まり、彼は「山王飯店」を辞めた。

その後、自由が丘の「楼蘭」
そして21歳の時に東京ヒルトンホテルの「星ケ岡」、料理の腕を買われ、請われて立川のリーセントパークホテルの中国料理部門の料理長となる。

当時の立川はまだ砂利道も残るような田舎であり、最高の料理を出してもお客はなかなかつかなかったが、
中国料理ではあり得なかった画期的なコースメニューを作ったところこれが大人気となった。

ある時のメニュー

5種特製冷菜盛り合わせ
蟹肉入りフカヒレの煮込み
大正エビチリソース煮
骨付き牛肉オイスターソース炒め
季節の揚げ物二品
活穴子の香蒸し焼き
豚三枚肉と大根醤油煮
特選ゆば野菜巻ホワイトソース煮
渡り蟹土鍋入り粥
楼蘭特製点心

これで1人前五千円

中国料理は最低でも2.3人前を取り分けるやり方が伝統だが、それだといろんな料理を少しずつ食べるという事ができずすぐ満腹になってしまう。
そこで、フランス料理のように、冷めても美味しく食べられるメニューを取り入れ少量ずつ楽しめるメニューにしたところこれが大ヒットしたという訳ですね。

そのような閃きも功を奏しお店は大繁盛、ヌーベル・シノワ(新しいチャイニーズ)と呼ばれるほどになった。

しかしそこで満足する事なく、中国料理の大会に臨んだりニューヨークに進出するなど中国料理界で現在も活躍されています。

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あまりの厳しさに、入社しても残るのは1割程度という中、辛い鍋洗いに耐えた先にしか見えない世界がある。
それは、超えた人にしかわからない境地であり、誰にでも叶えられることではないのかもしれませんが…

親に押し付けられた道を
恨みに思いながらも、これが自分の生きる道。自分が選びとった道なのだと胸を張って言う。ここには、
ただ言われるがままに生きているのとは厳然たる違いがありますね。

いつまでも誰かのせいにしていることは自分のためにはならないという
深い教えを頂きました。

先日、MAUさんのこちらの記事を拝読し、ああこのことかと大いに納得でき長らく下書きに入れていた記事を仕上げる事ができました。
ありがとうございます。↓

MAUさん曰く、
他人のための我慢ではなく、自分のための我慢をすることで、見えてくる世界があると。
まさに、脇屋友詞さんが、父親の命令で職につき嫌々していた「我慢」を、ある時自分のための「我慢」と捉え直しコツコツ鍋洗いを続け道を極められた事とリンクしました。

MAUさん、勝手に記事をお借りし申し訳ありません。
大きな気付きを頂きました。ありがとうございます。



長文を最後まで読んで頂き
ありがとうございました❤︎

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