「ねばならぬ」への反発

こんにちは。

年が明けて早くも今日で松の内が明け、そろそろ玄関飾りなどを仕舞う頃合いでしょうか。

我が家は、10年前に郊外の戸建てから街中のマンションに引っ越して来たのですが、
マンションに来て以来
玄関飾りを飾った事がありません。
(廊下は共用スペースなので付けてはいけないのかもしれませんが)
お隣の方も付けていません。
その他の方は確認していないので不明ですが、付けておられないだろうと思われます。

戸建ての時は、周りが皆飾っているので、
今思うと、
「変な人」「常識のない人」と思われないように飾っていたフシがあります。^^;

14日には寒い中どんと祭に行き、
去年のおふだと玄関飾りを焼いて、
その火に当たれば無病息災。
そう信じて
何の疑問も持たず
10年前まで毎年行って来ました。

子供はわたあめがもらえたり
家族で甘酒を飲んだり
そんな光景は楽しい思い出として
残っていますが^ ^

マンションに来て玄関飾りをやめたのは何故かというと、
うちは端っこで、
宅急便の配達の方くらいしか
玄関を訪れる人がいないから。^^;
そんな理由です。

つまり、誰にも見られない=いらないよね、となった訳です。

鏡餅も以前は買っていましたが
今ではこれ↓^^;

自分で編みました笑
ミカン的なものが乗っかった
雪だるまのようですが、
鏡餅のつもりです。^^;

最近は、毎年使える置物の鏡餅も、
販売してるようですよね。

……という事は?

毎年買わなくても良いもの?
玄関飾りと同じく、なくても良いもの?
と、今年はこれさえ
出すのを忘れておりました。

こういった、長年の決まり事を
やめていくことが
いいことか悪いことか
意見が分かれるところでしょうけれど、

私の独断と偏見では、
どちらでも良い です。
好きなようにしましょう、です。

この事に関わらず、
親や教師、先輩や上司から
ずっと言われ続けて来た
「ねばならぬ」が大嫌いなのです。

うちは、年賀状、新聞、電話をやめ、
先述した通り
初詣ももう何年も行っていません。
車のお祓いもしていません。
街での生活に車は必要なく、
今は息子に譲りましたが、
事故にも1度も遭っていません。

そもそも、親からは「マンションはダメ。価値がないから」と
頭からマンションを否定されていました。

独裁者だった母が亡くなり、
自由を得てやっと、
家を手放しマンション生活を手に入れたのです。

夫婦2人で生活するには
街中のマンションは
快適で、価値も今のところは
前の所と比べると高いです。
(でも、「価値」ってなぁに?)

親の言っていた事は
残念ながら当たっていなかった事になります。

こういった刷り込みは、
親からだけではなく
世の中には無数にありますね。

「バチが当たるよ」
「神社に行かないとダメだよ」

そんな言葉を聞くと
猛烈に反発を覚える私です。

「信じる人は救われる」?
それなら何故
天災がたびたび起きたり
お墓参りの帰りに事故に遭ったりするのでしょう?

信心深い人もそうでない人も、
関係なく
天災や事故は起き、病気に罹る。
私はそう考えています。

だからこそ、「祈りたい」のですよね。
私も心の中で、
遠く離れた家族や友人の無事を祈っています。

それは、
神社で祈る事
家で祈る事
どちらでもいいと考えています。

「初詣は行くのが当たり前」と言われると反発を覚える、
という話です。

反抗期がなかった(反抗出来なかった)私は
今が遅すぎる反抗期なのかもしれません。笑

神社好きの方、ごめんなさい。
こんな私に反発を覚えた方もいらっしゃる事でしょう。
ただの一意見ですのでお許しくださいませ。

今日もここまで読んでくださり
ありがとうございました❤︎

※追記
また「スキ」制限がかかって
しまいました(T . T)